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妖かしに贈る唄  作者: 樋桧右京
第一節 縁導き
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第一節 縁導き(3)

「この辺りなら人目にはつかねぇか……」

 山の奥へとひたすら走り続けたザーダックは、振り返って麓との距離を確認すると、肩から部下の死体を下ろし、数歩離れて腰を下ろした。

「באש הגיהינום לשרוף טיפש(愚者を焼き尽くす地獄の業火)……」

 不意に。ザーダックのものではない声が重く響いた次の瞬間、二体分の死体は青い炎に包まれ、瞬くの間に骨も残さずに灰となる。

「なっ!?」

 驚愕の声を上げたザーダックは、背後へ突如と生じた気配に振り返る。

 そこには、このような山の中には似つかわしくない黒いドレスを纏っている、銀髪の少女が立っていた。見た目は十歳程度に見え、髪の長さは肩で切り揃えられている。そして少女の左腕は肘から先が、空気中に溶け込むようにして存在していなかった。

「ちっ、あんたかよ」

 苦々しく呟くと、ザーダックは先ほど部下達のいた場所へと視線を戻した。

「屑が言葉には気をつけろ……。同じようになりたければいつでも言うがいい」

 感情の欠片も感じられない抑揚のない声。ザーダックは寒気の走るこの声が嫌いだった。

「屑とは言ってくれるぜ」

 首だけを向けて銀髪の少女に目をやると、少女はゆっくりとザーダックに向けて右手をかざす。

「……貴様も役に立たないのならば塵の一つでしかない」

 銀髪の少女に対し、言葉で返す代わりにザーダックは突き刺すような鋭い視線を向けた。

 幾刹那の間。

 銀髪の少女は同じようにゆっくりと手を下ろすと、瞬きの間に忽然と姿を消した。

「屑は屑なりの役立ち方もあるだろう……」

 どこからともなく、少女の声だけが森の木々の間にこだまする。噛み締める牙の軋む音が、ザーダックの頭の中に響いた。ザーダックは、逆らい難い強大な魔力を持つ少女への服従を強いられている事に、自分と相手に激しい怒りと苛立ちを覚えていた。


                ‡


 この国、『大和帝国』は南北に長い陸地を持つ島国である。そのため、北方と南方では驚くほど気候が異なり、それに合わせた人々の生活習慣も、ある程度の軸は共有しつつも多種多様となっている。もっとも、島国であるという認識は数十年前まではこの国の誰にも無く、幕末に西洋よりもたらされた世界地図によって、初めて世界の規模に対してこの国の国土がとても小さい事を知る由となった。

 九郎達は、国土のほぼ中央に位置する大浜県にある、この国最大の湖、『淡海』の西に連なる山脈の麓から少し登った所にいた。

 ザーダックの襲撃から、すでに二時間半程が過ぎた頃。陽も徐々に傾き始めていた。

「休憩を入れなくて大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

 このやり取りも幾度目だろう。九郎は静音の体力を心配して声をかけるが、彼女は決して弱音を吐かず、黙々と九郎の後を付いてきていた。出発時よりは九郎もペースは落としていたものの、彼女の表情にはありありと疲れの色が見て取れる。

 そこで九郎は少し思案すると、言い方を変える事にした。

「歩き通しで少々疲れましたね。急ぎである事は承知の上ですが、僅かばかり休息を頂いてよろしいですか?」

 足を止めて九郎は静音にそう申し出た。すると静音は逆に申し訳なさそうに頭を下げる。

「これは気づきませんで……。どうぞ足を休めて下さいませ」

 逆に謝られるとは思わなかった九郎は、帽子の鍔に手をかけて感謝の意を表しつつ、その陰で苦笑いを浮かべていた。手近な岩に九郎が腰掛けると、静音も側の岩に腰を下ろす。

 九郎が目の端で静音の横顔を覗くと、安堵の表情を浮かべているのが見て取れた。

 落ち着いて見れば、髪や顔、着物もかなり土で汚れており、年頃の娘の身なりとしては不憫に思ったが、急ぎのようでもあるし、今は仕方ないと割り切る。肩から提げていたアルミ製の水筒を下ろすと、方位磁石付きの蓋を開けて中の水を一口流し込む。

 そして一息吐くと、九郎はなにやら横からの視線を感じ取った。静音は着ている物以外、これといった手荷物も持っていない。当然水筒の類など持っているはずはなかった。逃げている時に落としでもしたのだろう。

「どうぞ」

 いつも絶やさない微笑のまま、九郎は水筒を静音に差し出した。

 表情をハッとさせ、静音は慌てて視線を逸らす。

「い、いえ! 私は大丈夫です! 天城様の分を頂くわけには……」

「まだたくさん入ってますから大丈夫ですよ」

 言うと立ち上がり、半ば押しつけるように静音に水筒を渡すと、また元のように腰を落ち着ける。あまり我慢しすぎて途中で倒れられても困るため、ここは飲んでおいてもらわないとならないと九郎は判断した。水は体力の回復には欠かせない物だ。

 だが静音は水筒を身体の正面で持ったまま、顔を茹で蛸の如く染めて固まっていた。

「どうしました? たった今僕が飲んだんですから、毒なんて入ってませんよ?」

「いいいイ、いえ! そそそそのような。た、タだ」

「ただ?」

「こここコここれは、噂のかかカかんせ……」

 何かを言いかけた静音は、顔をハッとさせて勢いよく九郎へと振り向く。

「いえ! 何でもありません!」

 向き直ると同時に静音は勢いよく水筒を煽った。本当はとても乾いていたのだろう。音を立てて水が喉に流れこんでいく。勢いのまま空にすると静音は水筒を下ろし、小さく息を吐いた。九郎は顔を逸らして笑いを噛み殺す。それに気がついた静音は、九郎と水筒を見比べると、慌てて立ち上がり深々と頭を下げた。

「も、申し訳ありません! 私ったら混乱してつい……」

「気にしないで下さい。少し行った先に清流があるはずですから、そこで補充しましょう」

 おかしくて笑うなど、どれくらい振りの事だろうか。ふと笑いを堪える九郎の頭にそんな事が過ぎった。

 静音は水筒を九郎に返すと、ふとした疑問が口を突いて出る。

「天城様はこの辺りのご出身なのですか? 土地にお詳しいようですが」

 水筒を肩にかけ直す九郎の表情に、一瞬曇りが過ぎった。

 余計な事を訊いてしまったかと、静音の胸の内に後悔の念が湧き起こる。

「私ったら不躾な事を……」

「いえ、構いませんよ」

 変わらぬ微笑みを向ける九郎に、静音は少し安堵した。

「僕の育ちは遙か東の方ですが、両親がこの辺りの出身でしてね。よほど思い入れがあったのでしょう。幼い頃、母にはよく、故郷であるこの土地の素晴らしさを、それはもう事細かに何度も聞かされたものです。お陰様で初めて来たはずの場所なのに、まるでそんな気がしません」

「そうでしたか。ではご両親は東方の地にいらっしゃるのですか」

「いえ、数年前に二人とももう亡くなりました」

 あまりにもあっさりとした口調に、静音は一瞬その言葉の意味を理解できなかった。

「え……あ……、これは失礼を……」

「気に病む必要はありません。悲しみは年月と共にとうに擦り切れました。お恥ずかしながら今は今日明日を生きていくのが精一杯です」

 無理をしているという風でもなく朗らかな九郎に対して、同情心からだろうか、胸が締め付けられる思いがした。

「それにしても、私のためにお手間を取らせてしまい申し訳ありません。天城様も急ぐ旅だったのでは無いですか?」

 静音は気がかりだった事を訊ねてみた。最初は己の目的が無事に果たせそうな事に舞い上がっていたが、よくよく考えれば彼も旅の目的があるに違いない。

「いえ。この先にも気が向いたら行くつもりでしたし、目的も、有って無きが如しで」

 九郎はそこまで言うと、笑みを浮かべたまま、帽子で目元を隠してしまった。

                 †

 帰りの事も考えて適当なところで休憩を切り上げた二人は、再び歩き出し、今は少々険しい山道へと分け入っていた。しばらく登り続けると、程なくして九郎達の前に、朽ちかけた山門が見えて来る。辿り着いてみると、扉の片方はすでに無く、もう片方も傷みが激しくて扉の役目をほぼ為していなかった。また、門の両脇に本来延びているはずであろう壁はなく、そもそも門が守るべき建物自体が影も形もなく草むらばかり。ただ遠くに連なる山々を望む事ができた。遙か古の時代には立派な寺が鎮座し、多くの僧がいたのかも知れないが、今は崩れかけた門がその名残を残すのみである。

 だが、九郎は振り返ると静音に報せる。

「着きましたよ」

 息を吐いて辺りを見渡す静音の表情に、ありありとした戸惑いの色が見て取れる。

「え? ここ……ですか?」

「ええ」

 そんな静音を他所に、九郎は頷くと、輪にした指を口に咥え、一定の調子で口笛を吹く始めた。三度同じ調子で繰り返すと、吹くのを止めた。

 横から静かに吹き抜ける風。

 背後から感じる、静音からの何とも言えない感情の織り混ざった視線。

 一声だけ響くカラスの鳴き声。

 そして静寂。

「…………」

「…………」

「……あれ?」

 いくら待てども誰かが現れるわけでもなく、特段の変化は現れなかった。

「あのぅ……」

 静音が何と言っていいのか分からず、明らかに困っているのが、顔を見なくてもその声からはっきりと九郎は感じた。

「はて、おかしいですね……」

 予定していた事と違った九郎は、何か間違えているのか、とりあえず確認するために山門をぐるりと回って色々と調べてみる。すると門の裏手、扉を取り付けている柱の陰にあるものを見つけた九郎は、不意に声を上げる。

「あ」

 その声が気になった静音も、小走りに駆け寄って九郎の背後からその視線の先を追う。

 九郎はしゃがみ込み、そこにいた手の平に容易く乗るほどの小人をつまみ上げた。

 着物姿の子供をそのまま小さくしたような小人は寝息を立てて眠っており、つまみ上げられてもなお目を覚まさない。このような大きさの人間など、いくら子供とはいえいるはずもなく、間違いなく妖怪である。九郎はその妖怪に、軽く揺さぶりつつ声をかける。

「すみませんが起きて下さい」

 だが寝息が大きくなるばかりで、一向に起きる気配はない。

「かわいい」

 くすくすと笑う静音であったが、九郎にとってはそれどころではない。

 更に何度か揺すってみるが、やはり同じだ。

「困りましたね……」

「ちょっとよろしいですか?」

 差し出してきた静音の白く柔らかそうな手のひらに、九郎は小さな妖怪をそっと乗せた。

 今度は静音が試みる。

「もし、もし起きて下さい」

 静音が声をかけた途端。小さな妖怪はあくびをしながら大きく伸びをし、目を覚ました。

「何だよ、煩いな……って、なんだお前らは!?」

 静音達の顔を見るなり、手の上で慌てて飛び起きる。

「気持ちよく寝ているところを、起こしてしまってごめんなさい」

「ん? ……ん~、いや、うん、ま、まあ仕方ないな。そのキレイな声に免じて許してやろう」

 心底申し訳なさそうに謝る静音をしばし見つめていた小さな妖怪は、腕を組み、顔を朱く染めて横に逸らした。分かりやすいと九郎は思いつつ、口には出さずに用件を伝える。

「僕達は長に会いに来たのです。取り次いで頂けませんか?」

 横から声をかけた九郎に小さな妖怪は、静音に対するものとは打って変わり、不機嫌な感情を隠そうともせず、値踏みするかのようにつま先から頭頂まで睨め上げる。

「……僕が何か?」

「あんちゃん、このねぇちゃんのコレか?」

 小指を立てる妖怪。九郎はあまりに突拍子もない問いに、笑顔が凍り付いた。

 それが意味する事を理解できないのか、静音はきょとんとしている。

「……いえ、僕は雇われの案内兼護衛です」

 九郎は何とか気を取り直すと、ありのままに答えた。それを聞いた妖怪は、表情を明るく輝かせる。

「そうかそうか。ならいいんだ。長に会いたいんだっけ? 任せろ!」

 静音に向かって胸を張ると、その手から飛び降りた。

「じゃあ、道側から門を挟んで山の方へ向かって呼びかけてくれ」

「取り次いで下さるのでは?」

「オレ様は山彦。お前の声を長のいる里に届けて門を開けてもらう」

「なるほど」

 合点のいった九郎は先程のように門の表に回り込み、静音もそれに続く。

「では行きますよ?」

「はい」

 一歩下がった所に控える静音に確認すると、静音もそれに答えて頷いた。

 再び先程と同じ口笛を吹く九郎。先程とは違い、遠くに見える山の向こうまで届くのではないかと思われるくらいに、何重にも重なって山の奥へと響き渡った。

 束の間の後。辺りに静寂が戻ってきた頃、不意に門から見える風景が歪み、どこかの農村のような風景がそこには現れた。

「それじゃいってらっしゃ~い」

 柱の陰から山彦は、静音に対してだけ、愛嬌ある顔を向けて手を振っている。

「はい、行ってきます」

 そんな山彦の贔屓に静音は気づく様子もなく、静音はただ無邪気に笑みを湛えて手を振り替えしていた。

「……では行きましょう」

 九郎は頬を指で掻くと、促して先に門をくぐった。

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