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妖かしに贈る唄  作者: 樋桧右京
第一節 縁導き
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第一節 縁導き(2)

「私、鷹束静音たかつかしずねと申します」

 二人は黙したまま歩き続け、人狼に襲われた場所から約五百メートル程離れた辺りに来たところで、静音から口を開いた。

「僕は天城九郎あまぎくろうです」

 視線は前に向けたまま、九郎は名乗り返す。

「天城、様ですか……? ですが先程は山田様と……」

「あれは嘘です。得体の知れない相手に、正直に名乗る気にはなれませんでしたのでね」

 眉一つ動かさず、さらりと九郎は答えた。天城九郎という名も、果たして本名なのだろうかという疑問が静音の頭を過ぎったが、嘘を突き通すつもりなら、そのまま山田と名乗っておけばよいのだから、おそらく本当の名なのだろうと結論づける。

「そ、そうでしたか……。ともあれ、先ほどは危ないところを本当にありがとうございました」

 九郎の歩速について行こうとすると、どうしても早足になるため、頭を下げている余裕が無い。静音は軽く息を弾ませながら、その横顔を見つめ、礼を述べた。

 九郎は口端を少し吊り上げると、少々意地悪げに問う。

「あの時、本当に引き渡すと思いましたか?」

「え!? いえ、そのような事は……」

 否定をしてはみるものの、静音は思わず口ごもってしまった。

「嘘の吐けない方ですね。もっとも、さっきのが本当に陸軍の兵士で、きちんと報酬が支払われるのであったのならば、考えたかもしれません」

「…………」

 九郎の冷たくも思える言葉に、静音は一瞬眉根を寄せる。だが確かに九郎の言う通り、素性の知れない女が兵士に追われていたら、普通ならば素直に引き渡していた事だろう。あの場にいたのが九郎だったからこそ、自分は助かったのだ。そう静音は思い直した。

「あ、あの、今は手持ちがありませんが、用事が済めば都合する当てがございますので、その時に是非お礼をさせて下さい」

「用事?」

 九郎は歩を止める事なく、首だけを静音に向けた。問いかけられてそれに正直に答えるかどうか、一瞬躊躇う静音ではあったが、少々重そうに口を開く。

「……はい、私はとある場所に使いとして向かう途中だったのです」

「あのモグラ妖怪の土竜どりゅうと一緒にいたのが関係しているのですか?」

 静音は黙って頷いた。

「最初は他の妖怪の方がお一人、案内役として迎えに来て下さっていたのですが、途中、先ほどの狼さん達に襲われてしまいました。その時、通りすがりのモグラさんのお力でここまで逃げてきたのですが、逃げる時に案内役の方とははぐれてしまって……」

「なるほど」

 その話を九郎が、特に怪しむでもなく素直に受けいれている様子に静音は少なからず驚きを覚えた。妖怪の存在は、雀のようにどこにでもいるという訳でもないが、熊やイノシシ程には一般的である。害を為す妖怪でもなければ人間にとっての妖怪とは、『珍しいものを見た』で片付けられてしまうか、多くの場合は人を驚かせたり困らせたりして喜んでいる、質の悪いイタズラ小僧の如き迷惑な存在としての認識だ。

 一部は尊敬と畏怖を以て崇め奉る事もあるが、それはかなり稀である。強い信仰を受けるような妖怪は最早妖怪とは呼ばず、昇華して八百万の神の一員となる。

 そのような人間と妖怪が、ある一定の対等な関係として接する事などまず無い。

 故に説明などしても、眉唾な扱いをされるとばかり静音は思っていた。だが先程彼が見せた奇妙な天狗の面と、人業離れた剣。面がどういった謂われの物かは分からなかったが、静音は彼ならばきっと信じてくれる気がしていた。それでも一抹の不安から、つい訊ねずにはいられない。

「あの……お疑いにならないのですか?」

 九郎は不思議そうに尋ね返す。

「僕を騙そうとしているのですか?」

「い、いいえ! ただ口にしている私自身が、少し信じられないものですから……」

「ならご安心を。あなたが嘘を吐けるような方ではないのは、先程ので判りましたから」

 恥ずかしいながらも、おかしな娘だと思われずに済み、静音はほっと一安心する。

 だが、問題が解決したわけではない。肝心の使いの用が残っているわけではあるが、案内役とははぐれたままの行方知れず。元の待ち合わせ場所に戻る事も考えたが、そもそも最初に襲われたのがその付近であるため、あの狼が待ち伏せているかもしれない。

 どうすればよいか名案は浮かばず、思案に暮れ、そして溜息を吐いた。

 すると、九郎から突然、思いもかけない提案を受ける。

「もし良かったら、もう少し詳細をお話しいただけませんか? もしかしたらお力になれるかもしれません」

「え? ですが……」

「これでも僕は妖怪の退治屋をやっていますので。妖怪絡みなら何かお力になれるのではないかと。ああ、ちゃんと役所の、陰陽省の許認可も受けています。なんでしたら登録証をお見せしましょうか?」

「あ、いえ! 大丈夫です! 先ほどのお手前と、お腰の物で察しは付いていましたので」

「そうですか」

 胸ポケットを探る九郎を、静音は慌てて止めると、九郎も特に気にするでもなく再び前を見て歩き出す。九郎は自分の言う事を信じてくれると言っているのに、自分が彼の言を疑うような事は、静音は失礼な気がしてならなかった。


 妖怪の退治屋。正式には退魔師という名称だが、一般的には退治屋で通っている。

 妖怪の中には、人の生命や財産に大きな害を為すものも存在する。本来であれば、そう言った妖怪への対処は陰陽省管轄の陰陽警察、場合によっては陸軍もしくは海軍所属の陰陽師部隊が当たる事になっている。だが、これらは全国各地くまなく配備できるほどの人員も予算も無いため、神出鬼没な妖怪に対して十分な備えが出来ているとは言い難かった。

 そのため国は『退魔師』という資格を制定し、民間で妖怪に対する対処能力を持った者に、試験及び検査を行い、これに合格して登録された者に武器の携行と使用、または陰陽術の使用許可を与えた。神職や僧侶、剣術等の道場主に登録者が多く、ほとんどの場合、『退魔師』は副業であり、何らかの本業を持っている。一定の地域範囲で退治屋としての仕事はそう頻繁にあるものではないからだ。

 『陰陽術』とは陰陽五行の気を操り、様々な超常現象を行使する術の事である。細分すれば様々な理論及び技術系統が存在し、正確には名称が異なる事もあるが、便宜上の総称として『陰陽術』の名称が使われている。なお法律により『陰陽術』の使用には規制が設けられており、医師等が治療の目的で行使する事の他、軍や警察、及び退魔師のみにこれの使用を認めている。ただし例外として、祭祀関係は場合によって認められることもある。

 数十年前、この国、『大和帝国』がまだ幕藩体制だった時代の末期に各地を旅した西洋の商人は、陰陽術を見て『東洋の魔法』と呼んだとか呼ばなかったとか。


 静音は言うべき事を頭の中で整理するために、九郎の申し出に対しての返事に幾ばくかの時間を要した。

「……私は兄の使いとして西の妖怪を束ねているという、長に文を届けに行く途中でした」

「お兄さんから手紙を?」

「はい。この国の行く末を大きく左右するかも知れない、とても大切な事だと」

 いまいち腑に落ちない様子で、九郎は顎を軽く撫でる。

「そのような重要な事を、何故あなたのような年端もいかない女性に?」

「それは……使者には近親者のみを寄越すようにとの指示が、先方からあったためです」

「なるほど。相手を信用してない、かつ自分の方が優位な立場にある時の交渉ごとでは、古来よりよくある要求ですね」

 九郎は納得したようで、小さく頷き、そのまま言葉を続ける。

「ではそのような重要な事に携わっているお兄さんとは、どういったお方ですか?」

「……それについては、申し訳ありませんが」

 静音は俯くと小さく答えた。九郎はその返答に特に不満を表すでもなく、何事かを思案する。そして不意に帽子を被り直した。

「おおよその事情は理解いたしました。その長の居場所にはちょっと心当たりがあります。もしお困りでしたら、道中の護衛を兼ねて案内いたしますが」

「それは本当ですか!?」

 このまま役目も果たせなかった時は、どのように兄に顔向けすればよいのか気鬱になっていた静音の表情が、にわかに晴れた。

「困っている女性に対して、僕もそこまで意地の悪い冗談は。ただその代わり……」

「その代わり……?」

 どのような要求をされるのか、静音は一抹の不安からわずかに顔を曇らせる。

「その代わり、目的達成の暁には、先程守って差し上げた分、それと案内と護衛の仕事と合わせて謝礼をちょっとだけ弾んでくれるよう、お兄さんにお願いしていただけますか? 僕は今のところこれだけで食べているもので」

 言いながら、九郎は刀の柄頭に手をかけた。

 藁にもすがる思いの静音は、喜色で顔を一杯にすると力強く頷く。

「はい! ではよろしくお願いします!」


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