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妖かしに贈る唄  作者: 樋桧右京
第三節 嵐遭えども
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第三節 嵐遭えども(6)

 帝国兵とネヴィス兵の死体兵との戦いは、いつ終わると無く続いていた。

 一時は押し返したかのように見えた戦況であったが、片や疲労する生身、片や命すらない死体兵である。戦いが長引けば長引くほど不利であった。この戦いに決着を付けるためには、死体兵を操る者の討伐が必要だと言う事は解る。しかし艦橋からかいま見える、およそ人の力から外れたドレッドノート前部甲板上の戦い。そこに普通の兵が介入できる余地を、鷹束中将は感じる事が出来なかった。戦況は混戦の極みを深め、撤退する事もままならない。もっとも、多くの自軍兵を見捨てれば可能なのかもしれないが、その選択を中将は捨てていた。この戦いに終止符を打つためには、九郎に頼るしか今は手段がなかった。

 その中でも中将は今できる事を探し続ける。

「静音、先程の話では君の歌で魔物の力を弱体させたと申していたな。あの亡者に対しても通用するのではないか?」

「しかし全体に届かせるほどの声量、私には……」

 そんな時、不意に子供の声がどこからともなく聞こえてくる。

「声を響かせたいなら、おいらに任せておけ!」

 そう言って鴉天狗の襟から山彦が、その小さな顔を出した。

「山彦さん!? どうしてそんな所に?」

「どうしてって言われても、元々港に来た時から連絡係としてこいつの懐に入ったまんまだったからなぁ。それより、ねぇちゃんの歌を響かせればいいんだろ? 山じゃないとちょっと力は落ちるけど、この辺に響かせるだけなら十分。おいらに任せてよ!」

 静音は山彦を優しく鴉天狗の胸元から持ち上げると、その手に乗せた。

「ありがとう、山彦さん。お願いします」

「へへ、ねぇちゃんの歌が聞けるなら、これくらいおやすいご用さ!」

 そして静音は山彦を手に乗せたまま、艦橋の端に立つと、戦いの繰り広げられている艦上へ向かって声を響かせ始めた。

「猛りし雲突く山、荒ぶる翔行く風……」

 海風に乗って澄んだ声が戦場に降り注ぐ。

                †

 静音の歌声はザーダックの所にも届いていた。

「ちっ! またあの歌か」

 九郎達との戦いを再開していたザーダックは、一度九郎達から距離を取ると、胸元の毛をむしり、それを丸めて耳栓にする。

「若干は聞こえちまうが、まあまあ問題ないか。全く耳が聞こえないのも問題だしな」

 ザーダックは手の力の入り具合などを確認すると、甲板を蹴って宙に舞った。 

                †

 後部甲板や三笠甲板での戦いは、港での戦いの時のような目立った動きの変化は死体兵達に見られなかった。静音の心に動揺が走る。

「刻の川のせせらぎと共に、いつしか平らとなり……」

 尚も歌い続けるが、やはり同じだった。

「……駄目です」

 また何か力になれるかもしれないと思っていた静音だったが、唯一の手段が通用しなかった事に落胆し、目を伏せた。

「そう都合良くは行かぬか……」

 淡い期待を抱いていた中将であったが、効かない事が判明すると新たな方策を考え、頭を巡らせる。その時であった。

「畏れながら……」

 そう前置きして鴉天狗が一歩前に出る。

「静音殿の歌は精神や心に働きかける物なのではないかと、私は愚考いたします」

「故に精神を持たぬ亡者には通用せぬか……」

 鴉天狗の言葉を中将が継いだ。静音は無力感に苛まれる。静音の目の端に九郎が苦戦している様が飛び込んできた。次々と繰り出されるザーダックの攻撃をかろうじて躱しているのが、素人の目にも見て取れる。ハロルド達も攻撃を仕掛けているが、その動きはやはり重い。九郎達も兵達も限界が来ていた。

「私は……また何も出来ないのですか……」

「ねぇちゃん……」

 己の無力さに打ちひしがれる静音。そんな静音を心配そうに山彦が見上げていた。

 だがその時ふと、静音はハロルドを慕っていた女性の短歌や太郎坊の言葉を思い出す。

「歌はその力を具現化しやすくするため……私次第……」

 静音は顔を伏せてしばらくの間考えを巡らせる。そしてゆっくりと正面を見据えた。

 一度だけ頷いた静音は、手の中の山彦に目を落とす。

「山彦さん、もう一度力を貸して下さい」

 さっきまでの消沈していた静音の瞳に、力が宿っている事を見た山彦は嬉しそうに、自分の二の腕を反対の手で叩いた。

「合点だい!」

 静音は呼吸を整え、気を静める。言葉は思いを託すための手段。歌は心を届けるための方法。借り物ではなく、気持ちを込めた自分の言葉で、心から生まれる旋律で届ける。

 この思いを。静音の口から凛とした声で歌が紡ぎ出される。


『何も見えない霧の中で 一人不安に震えていた

 歩いているはずのその道 正しいのかすら判らない

 足を踏み外したその時 手を差し伸べ助けてくれた

 優しく温かいその手が 私の不安拭ってくれる』


 静音の全身がにわかに淡く光り出すと、タンポポの綿毛の様に光の粒となって風に舞う。

 光の粒は、戦う兵士達の頭上に雪のように舞い、降り注いだ。

 程なく兵士達は自分達の変化に気が付きだす。

 身体の疲労が大きく軽減し、それに伴って再び恐怖心へと傾いていた心に火が灯った。

 そして気持ちに余裕の生まれた兵士達は、初めて静音が歌っている事に気がついた。

「おい、あれ静音さんじゃないのか?」

「中将の妹君が軍艦にいるはず無いだろう。……本当だ」

「いい歌だなぁ。あれは俺に向けての歌だな、きっとそうに違いない。手当してもらった時、俺に優しく微笑みかけてくれたんだ。きっと気があるんだぜ?」

「ばっか野郎。アレはオレに向けてだ」

「いやいや、僕にだ」

「ふざけんな、てめぇら陸に戻ったら白黒つけんぞ」

「望むところだ。それまでにくたばったら、てめぇの墓にこの間まずいとか抜かしたうちの地元の漬け物供えてやるからな」

「お前等こそ決着着けるまで死ぬんじゃねぇぞ!」

 兵士達に目に力が宿り、再び勢いを取り戻す。


『貴方の言葉を聞いてると 私つられて笑顔になる

 貴方の勇気を見ていると 私の心も強くなる』


 静音の歌はハロルド、壬夜、そして九郎にも届いていた。満身創痍で立ち上がる事も困難になりつつあった三人は、静音の歌で再び立ち上がる力を取り戻す。

 魔法陣上に立つ三人の前、第一主砲の上に、傷を負いながらもまだ余力を見せるザーダックが立っていた。

「さあ、来いよ。来ねぇなら、こっちか……ら……」

 言葉が切れ、挑発的な口調が一転し、急に苦しそうに悶え始めるザーダック。

「消化できな……やめ……ろ! てめぇ、オレの……だ! うおおおおおおおおおおお!?」

 誰かと話しているような素振りを見せた次の瞬間、絶叫と共に青白い光球に包まれる。

「な、なんなの!?」

「嫌な予感がするぜ」

 そして束の間の後、光球が弾けると、そこにザーダックの姿は無く、代わりにルヴェリウスがそこに佇んでいた。冷や汗が九郎の頬に流れる。

「予感が当たりましたね」

 ルヴェリウスは、己の両手の動きを確認するように指を動かす。

「本来の肉体には程遠いが、繋ぎとしては十分か。だが……」

 ルヴェリウスは、左肩に残ったままの『次郎丸』の半身を抜こうと手を掛ける。しかし、いくら引いても抜ける気配はなかった。

「まあ、良い。動く事に差し障りは無い。さて……」

 そう言うと、ルヴェリウスは九郎達三人を見据える。

「相変わらずの屑が目障りだな。二度と我の邪魔とならぬよう処分してくれよう」

 ルヴェリウスが放つ気配、圧迫感が港の戦いの時と比べ物にならない程、強く感じる。

 三人は構えるものの、立つのが精一杯といった体だ。それだけ無理に無理を重ねた戦いを続けていた。しかし静音の歌が、三人を優しく包み込み、更なる気力を与える。

「あれは……多分シズネからクローへ宛てた歌だな。この幸せ者め」

 ハロルドそう言って茶化すように笑うと、ルヴェリウスに向かって剣を構えた。

 一度は光を失ったハロルドの剣が、再び魔力の輝きを取り戻す。

「あたしもこれが終わったら歌を覚えてみようかな」

 身体のあちこちに傷を負い、血を流している壬夜だったが、力を振り絞って立ち上がると、周囲に氷の粒を無数に纏った。

「おそらくこれが最後になるでしょう。……少々僕に時間を下さい」

 折れた『次郎丸』を右手に携え、九郎も重い身体を奮い立たせた。

「分かった」

「任せておいて」

 ハロルドと壬夜は頷くと、最後の力を振り絞り、ルヴェリウスへと向かって走った。

 壬夜が生み出す氷の矢がルヴェリウスへと向かって無数に飛来する。ルヴェリウスは同数の炎の矢を以てそれを迎撃。僅かに生じたルヴェリウスの隙に、ハロルドが斬りかかる。

 ルヴェリウスは避けきる事が出来ず、一筋の傷を負う。しかしそれと同時にルヴェリウスはハロルドに手をかざすと、衝撃波を発生させた。ハロルドは身体を捻ってそれを躱そうとするも、躱しきれずに一部を受けてしまう。

「ぐはっ!」

「屑の力など、児戯にも及ばぬ。身の程知らずが」

『霧を抜けた先広がる景色 舞い散る桜の花二人で見上げた

 あなたともしあの日あの時 運命すれ違い出会わなかったら

 今の私はなかったでしょう』


 帝国兵、ネヴィス兵共に、勢いの衰えない死体兵と最後の死力を尽くして戦っていた。

 静音の歌に兵士達は、親、兄妹、親友、妻や家族、恋人、それぞれが心に抱く大切な存在を思い浮かべながら戦っていた。再び生きて会うために。それは言葉が分からずとも、ネヴィス兵も同様だった。帝国兵とネヴィス兵、互いが背中を任せ合い戦う。

                 †

 ハロルドと壬夜がルヴェリウスを足止めしている中、九郎は魔法陣に左手を着き確認する。その手を伝い、九郎の中に妖力が流れ込んで来るのが感じ取れた。

「やはり。……壬夜のように上手くいくといいですが」

 九郎は目を閉じると意識を手に集中し、妖力が自分の中に流れ込んでくる様を強く意識する。すると、行き場を無くしていた水流が堰を切ったように流れ出るが如く、妖力が流れ込んでくるのが九郎には分かった。しかしその妖力の奔流は荒々しく、体中を掻き乱されるかのような痺れとも痛みとも付かない激しい感覚が襲う。思わず顔をしかめる九郎。

「くっ! これほどのじゃじゃ馬、壬夜はよく制御していますね」


『私の手の中にある光は小さくて 闇の中傷ついている貴方照らせない

 導にせめて私の声をこの歌を 貴方の元に届けたい』


 九郎に届く静音の歌。彼女がそっと寄り添い、手を貸してくれている様に感じる。

 九郎は笑みを浮かべると、身体中の妖力の流れを、天狗の面へと流れ込む様を意識した。

 次の瞬間、天狗の面が細かく震えだしたかと思うと、みるみる欠けた部分が、以前そうであったろう姿に再生していく。

 そして天狗の面が完全に九郎の顔を覆ったとき、先程まで暴れていた妖力が、嘘のように収まり、穏やかながらも溢れる水量を誇る清流のように全身を駆けめぐる。

「これなら……!」

 九郎は折れた『次郎丸』と一緒に右手を天に掲げる。九郎の右手や『次郎丸』に極々小さな雷がまとわりつくように発生し始め、その数は徐々に増えて激しくなっていく。

 それと同時に九郎の頭上でにわかに黒雲が発生し、雷鳴が轟きだした。

 そして龍の咆哮を思わせる音が数度響いた次の瞬間、巨大な雷が九郎目がけて落ちる。

「クロー!」

「九郎!」

「離れて下さい!」

 ルヴェリウスが見たものは、完全となった天狗の面を着け、腕に無数の雷を纏わせ、従えている九郎の姿だった。

「二十年前を思い出す。再びその面が我の前に現れぬよう、微塵に粉砕してくれる」

 ルヴェリウスは手を空に掲げると、港での戦いで生み出していた光球を、より速く、一瞬にして生み出す。そして球から無数の光の矢が生み出され、次々と九郎に襲いかかる。

 空中を駆け、光の矢を避けた九郎は、折れた『次郎丸』の切っ先をルヴェリウスに向けた。次の瞬間、黄金の雷が龍の化身の如く咆哮を上げてルヴェリウスに向け、迸る。

「それは我に通用せぬ」

 ルヴェリウスは躱すためにその場から転移する。しかし、ルヴェリウスが予定した位置に転移出来ず、僅か数歩分横に移動しただけで姿を現した。

 次の瞬間、ルヴェリウスの口から異なる者の声が発せられる。

「これはオレの身体だ! てめぇの勝手にはさせねぇ!」

「なに!?」

 身体が束縛を受けたかのように固まる。

 雷の龍はルヴェリウスを追って途中でその方向を変えると、その牙を剥いた。

「くっ!?」

 ルヴェリウスの左肩で光を放つ『次郎丸』の半身。雷の龍はそれを目がけ、咆哮を上げながら直撃する。九郎の放った雷はルヴェリウスを捉え、その身体を内側から焼き尽くす。

「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 想像を絶する苦痛に、ルヴェリウスは空に絶叫を木霊させた。

 ルヴェリウスを焼き尽くすと、雷の光が消える。

 一帯には、にわかに静寂が訪れた。

「やったのか……?」

 訝しく思いながら呟くハロルド。立ち尽くしたまま、ルヴェリウスは全身黒こげとなり、身体から白煙を上げる。普通の人間ならば生きていられるはずもない。

「仕留めた……よね?」

 壬夜がそう呟いた時。ルヴェリウスは目を見開き、その姿が掻き消える。そして次の瞬間、九郎の背後に忽然とルヴェリウスは姿を現した。九郎の頭に向けて手をかざし、光の球を生み出す。それを九郎は予測していたかの様に振り返り、『次郎丸』に雷の刃を生み出す。天狗の面の再生した部分が少しずつ崩れていく。

 光球から生み出された光の槍が、面が崩れて顕わになった九郎の頬に、赤い筋をつけ、空へと消えていく。それと同時に九郎はルヴェリウスの脇をすり抜け、『次郎丸』を一閃させた。

 ルヴェリウスと九郎、共に幾刹那の間動かず、二人の間を静寂が支配する。

 そしてルヴェリウスは、ゆっくりと九郎へと振り返った。

「屑……が……」

 その言葉と共にルヴェリウスは仰向けに倒れた。


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