第三節 嵐遭えども(4)
ドレッドノート艦上では、三笠の乗組員が順次一時撤退を始めていた。
内部に侵入した兵の撤退を先に進めるため、ドレッドノート後部甲板上の船内に通じる入り口を、帝国兵達が確保し続ける。
鷹束中将は兵の命を優先しつつ、一度体勢を立て直す道を取った。
†
前部甲板上の魔族は、上半身を未だ戒め続ける鎖を引きちぎろうと、もがき続けていた。そしてそれは功を奏し始めており、鎖の所々でヒビが入り始める。
(耳まで封じなかったのが失敗よ。この恨み、晴らしてくれるぞ、人間共!)
そんな時。魔族の前にルヴェリウスとザーダックが突如として姿を現した。
(この気配……魔王か!?)
魔族は、依然目と口を封じられたままが故に、思念波で直接脳へと語りかけてくる。
「いかにも、我はルヴェリウス。その肉体の献上、大儀である」
(何だと!? 魔王といえどもその様な勝手、認めてなるものか! 貴様を倒し、その座を我が物にしてくれる!)
魔族は鎖を引きちぎると、その拳をルヴェリウスへと向かって振り下ろす。
ルヴェリウスは姿を霧のように霧散させてそれを避けると、次の瞬間、宙に浮いて魔族の横に現れ、片手は消えてしまったままのため、残っている手を魔族の頭に当てた。
だがその瞬間、ザーダックは行動を起こした。ルヴェリウスに向かってザーダックは跳躍すると、ルヴェリウスの胸の前で浮かぶ妖玉を奪い、即座に距離を取る。
それとほぼ同時に、ルヴェリウスは彦衛の時と同じように、魔族の頭を吹き飛ばした。しかしルヴェリウスの手も、これもまた同様に、今度は肘から先が消える。
「……貴様どういうつもりだ?」
ゆっくりと振り向き、ルヴェリウスが問うた。
「どうもこうもねぇ。オレはずっと狙っていたんだよ、この時をな。てめぇの復讐ごっこに付き合うのは、もう御免だ」
「屑はやはり屑か。ならば消し去ってくれる」
「やれるものならやってみな、こいつ無しのその身体で出来るならな」
「……何?」
ザーダックは妖玉を指でつまむと、中を覗き込んだ。
「時々お前が魔法を使うために歌っていた歌。あれは僅かな魔力で魔法を使うために必要だったんだろう? だからオレに教えた死体を操る魔法もオレなんかが使えたんだ。歌も無し、こいつも無しで何かしらの魔法をお前が使った時、必ずてめぇの身体は欠けていた。薄めてるんだろ? その身体。本来なら体を構成できるほどもない肉体を、何とかその魔力で薄めて身体を形作っている。そしてちゃんとした肉体でもないから、元はてめぇの力にも関わらず、こいつを上手く使う事が出来ねぇ。身体が魔力の大きさに耐えられねぇんだ。こいつありでも大技使おうとした時に、歌を必要としたのがその証拠だ。違うか?」
ザーダックは妖玉を手の中で玩びながら、口端を吊り上げて笑みを浮かべた。
「こいつ無しで使う魔法、最初に会った時に比べて、どんどんしょぼくなっているよなぁ? その身体も大分薄くなっているようだ。そのままでどこまでオレとやり合えるかな? 歌ったらどうだ。歌で普通の詠唱よりも魔力を集めて増幅させていたんだろう? もっとも、俺もおとなしく待ってやるほど優しかねぇけどな」
「……屑の分際で多少は知恵が回るようだな」
「オレは一族の中でも、インテリで勘もいい奴で通っていたんだ」
次の瞬間、ルヴェリウスの姿が消えると、ザーダックのすぐ背後に現れる。
しかしザーダックもそれを予測しており、振り返り様に爪を振るった。
†
九郎達はルヴェリウスの姿を探して、上空から三笠、そしてドレッドノートを見下ろしていた。ドレッドノートの後部甲板では兵士達が戦っている様子が窺えたが、前部甲板では動く者の気配が無い。いや、よく見れば一人だけ生きている者の気配があった。
「前の甲板に少し離れた所に降りましょう。静音さんは中将の所へ行って説明をお願いします。後ろからいきなり帝国兵に撃たれるのは御免ですからね」
「分かりました」
九郎達は船首近くへ、静音は三笠の艦橋へと向かった。
三笠艦橋に鴉天狗と共に近付く静音は、義兄の姿を見つけ、上空から声を掛ける。
「お兄様!」
「静音!?」
近くの士官がサーベルを抜こうとするのを、中将が手で制する。しかし代わりに中将からの怒声が静音を見舞った。
「馬鹿者! ここはお前が来る所ではない!」
鴉天狗と共に艦橋に静音は降り立った。
「お叱りはあとで如何様にも甘んじます。ですが今は私の話を聞いて下さい」
そう言うと、静音はドレッドノートの船首近くに降り立った九郎達を手で指し示した。
気迫迫る静音の様子と、九郎達が敵艦に乗り込んでいる事、そして先程の謎の化け物の成り行き。これらの事にただならぬ事情を中将は察した。
「申してみよ」
†
九郎達はドレッドノートの船首近くに降り立つと、目の前に広がる凄惨な光景に揃って顔をしかめる。足下から続く甲板上には帝国軍、ネヴィス軍両軍の兵の死体が、累々と折り重なっている。腕や首のない者、顔や身体が陥没し、不自然な方向に手足が曲がっている者など、死体の状態は様々だった。九郎は手で鼻と口を覆い、ハロルドは立ち尽くす。
「うえ~……ここまで滅茶苦茶なのは、ここ二百年位は無かったけんよ」
「血の臭いでむせそうですね」
「何という事だ……」
ハロルドも任務で艦を離れていなければ、このどこかで一緒に物言わぬ骸となっていたかもしれない。そう考えると、やりきれない気持ちで胸がいっぱいになる。
「……すまない」
その光景を前にハロルドは、胸に拳を当て死者に対して黙礼を捧げた。
そして第一主砲、第二主砲と階段状に並ぶ更にその奥で、何かが動いているのを見つけた九郎達三人は、周囲を警戒しつつそこに近付いていく。
三笠の探照灯がその場を照らしていたため、程なくその正体が判った。
「名前は確か、ザーダック……でしたか?」
「よお、遅かったじゃねぇか」
甲板上の魔法陣中央に座るザーダックは、待ち合わせていた友人に声を掛けるかのような気さくさで、九郎に向かって応えた。ザーダックはその場で何かを食べており、その周りには何本もの骨のような物も転がっていた。
九郎は軽く辺りの様子を確認すると、ザーダックに問いかける。
「つかぬ事を訊ねますが、ルヴェリウスはどこに行きました?」
「ん? ……ああ、あいつならここだ」
その質問にザーダックは食事の手を止めると、指で自分の腹を指した。
「げ……まさかその骨って……あれを喰ったん?」
壬夜は気持ち悪そうに大きく顔をしかめる。九郎は涼しい顔をしていたが、ハロルドも微妙に顔をしかめた。ザーダックは手を振ってそれを否定する。
「この骨はここにいた魔族のものだ。アレの身体はほとんど霧と変わらなかったから、喰ったと言うよりは吸って飲み込んだ、といった方が正しいな」
手にした肉に再びかぶりつくザーダック。
「そうですか。ではもう一つ。妖玉はどうしましたか? 我々は妖玉さえ返してもらえればあなたに特に用はないのでおとなしく帰ります。手に入れた自由を今は満喫して下さい」
ザーダックはそれに応えず、手にした魔族の肉を貪り食う。その間、九郎は特に答えを急かす事もなく、ただ静かに待つ。奇妙な沈黙にハロルドと壬夜は顔を見合わせるが、ただ黙って二人を見守った。そしてザーダックは手にしていた肉を食べ終わると、その骨を背後に投げ捨て、満足そうに大きく溜息を吐いた。
「自由か。自由ってぇのは何だろうな?」
「哲学ですか? 僕にはあまり縁がないですね」
「別に堅い話をしてるわけじゃねぇよ。お前にとっての自由とは何だ?」
「そうですね。誰かに強制される事なく、自分の意志で行動できる事、といったところでしょうか」
それを聞いたザーダックは、それを肯定するかのように膝を叩いた。
「ああ、そうだ。それは確かに自由だ。それで、お前は今、自由か?」
「頼まれてここにいる事は事実ですが、自分の意志でそれを受け入れ、今、立っています」
答えを聞いたザーダックは、ゆっくりと立ち上がる。
「それは何よりだ。元上官殿とそこのチビはどうなんだ?」
問われたハロルド達は、一瞬戸惑いつつも、その問いに頷く。
「俺も自分の意志でここに来た」
「あちしだってそうや」
その答えに満足したのか、ザーダックは二度大きく頷いた。すると首に着けられていた拘束具に指をかけ、力を込める。次の瞬間、拘束具は鈍い音共に砕け散った。
「オレを無理矢理力で従わせていたヤツももういない。拘束具ももう無い。オレは自由になった。自由になったからには、やりたい事をやらなきゃいけねぇよなぁ? そのやりたい事ってぇのは、ヤマダシンエモン、お前との再戦だ」
九郎とザーダック、二人の間に冷たい海風が吹き抜ける。
「今度は誰かに強制される事なく、オレが自分のために戦う。そしてお前もそうでなくちゃ面白くねぇ。強制された戦い程つまらねぇものはねぇからな」
「ですが、僕にはあなたと戦う理由はありません」
「いいや、ある」
そう言うとザーダックは胸元の房になっている獣毛を指でかき分ける。
その奥から出てきたのは、ザーダックの胸に半ば埋まって存在する妖玉だった。
「……なるほど。素直に渡す気はありませんか?」
「ねぇな」
「そう仰ると思いました」
交差する九郎とザーダックの視線。
次の瞬間、九郎は天狗の面を着けながらザーダックとの間合いを詰め、懐に飛び込むと同時に鞘から『次郎丸』を抜き放つ。月光に反射した、銀色の輝きが弧を描く。それを合図にハロルドと壬夜も動き出す。ハロルドは両刃剣を引き抜き、その力を解放する。
「Deregulation. Power intensity level 2(規制解除 パワー強度レベル2)」
ザーダックは九郎の一撃を、ギリギリの所で躱す。妖玉が光り出し、九郎が振り抜いた隙を狙って爪を繰り出す。妖玉で強化されたその攻撃は、過去二度戦った時とは比較にならない早さで、振るわれる。九郎に想像を遙かに超えた鋭い一撃が迫る。
「速い!?」
だがそんなザーダックの腕を一瞬にして氷が包む。
「やらせんけんね!」
「こんな物で!」
氷は一瞬で砕かれるが、九郎にとってはその一瞬が有り難かった。その僅かの時間に、九郎は体制を立て直し、距離を取る。それと入れ替わるようにしてハロルドが斬り込んだ。
体勢の崩れたザーダックに渾身の一撃を加える。だが、ザーダックに当たろうかという瞬間、再び胸元の妖玉が光り、その獣毛一本一本がハリネズミを思わせるように硬化した。ハロルドの剣は何本かの体毛を切断しただけで、ザーダックの皮膚には届かない。
「そんななまくら、効かねぇよ!」
ザーダックが爪をすくい上げるように振るう。咄嗟に後ろに跳躍してそれを躱すハロルドであったが、爪先が軍服を捉え、その胸の部分を裂いた。
「手強い……!」
現状では攻撃力が大きく不足していると判断したハロルドは、己の剣に新たな命令を与える。
「The maximum power intensity level!(パワー強度最大)」
その途端、先程までよりも大きく光が吹き出し、その様は、まるで白い炎を剣身に纏っているかのように見えた。
ザーダックがハロルドに気を取られた瞬間、九郎は虚空を蹴り、ザーダックの頭上に大きく回り込む。そしてそこから急降下して距離を詰めた。だがザーダックはその気配を察知すると、九郎に向かって大きく跳躍する。鋭く突き出してくるザーダックの爪を、九郎は再び空間を蹴って横に避けた。そしてもう一度蹴って軌道を変えると、その勢いをも利用して斬りかかる。避けられないと踏んだザーダックは、その刃を掌で受け止めた。
『次郎丸』はザーダックの手を半ばまで切り裂くも、完全な切断にまでは至らない。
「捕まえたぜ」
そのまま『次郎丸』の刃を強く握りこむザーダック。そして更に握る手に力を込める。
九郎はザーダックと共に落下しながら、剣をザーダックの手から引き抜こうとするも、びくともしない。九郎の手に『次郎丸』の軋む感触が柄を通して伝わってくる。
そしてそのまま甲板上に着地した瞬間に、何かが小さく弾けるような音が響いた。
着地を狙っていた壬夜とハロルドが攻撃を仕掛ける。壬夜がザーダックの足を氷で甲板に固定すると、動けなくなった所をハロルドが斬りかかる。
硬化した獣毛を楯代わりにして、ザーダックはその攻撃を腕で受け止める。獣毛が弾け飛び、ハロルドの剣がその腕の肉を切り裂いた。
しかし、ザーダックの動きに影響を与えるほどの傷には至らない。
「これでもまだ浅いか!?」
「やるじゃねぇか!」
『次郎丸』を離してザーダックは拳を握ると、ハロルドの腹部を目がけてそれを振るう。
その間を割って入るようにして壬夜の氷の楯がハロルドを守る。
だがそれでもザーダックの拳は防ぎきれず、楯は砕かれ、ハロルドの身体が宙を舞った。
「ぐはっ!」
「おっちゃん!」
ハロルドは背中を甲板に打ち付け、前と後ろ、両方の痛みで身をよじる。
その間に九郎はザーダックとの間合いを取り、第二主砲上で『次郎丸』の刀身を確認していた。
「参りましたね……」
ザーダックに掴まれていた刀身の中央部分には、小さなヒビが刻まれていた。
「あの速さに力、港で戦った時とはまるで別人ですね」
その時。不意に前部甲板にある、船内と甲板を繋ぐ階段から数名のネヴィス兵が小銃やサーベルを手に現れた。
「帝国兵か!」
九郎を見たネヴィス兵が小銃を向け、九郎に発砲した。
九郎は軍服を着ては居ないが、詰め襟制服とその容姿からネヴィス兵には敵兵にしか見えないだろう。船内から帝国兵が退却を始めた事で、船内の兵が様子のおかしい前部甲板に回り始めたのだった。慌てて主砲の陰に身を隠して、九郎は銃撃から逃れる。
「こっちもまた参りましたね。前門のネヴィス兵、後門の狼ですか」
だが、上機嫌だったザーダックの様子がそれを見て豹変する。
「オレはせっかくの自由を満喫しているんだ……」
顔を歪ませて怒りを顕わにすると大きく跳躍し、艦橋下から一気に第一、第二主砲を飛び越えてネヴィス兵の所に着地する。そして一瞬でその場の兵全員、その爪の餌食にした。
「邪魔するんじゃねぇよ」
しかし階段奥、船内からは更に複数の人の気配が近付いてくるのが、ザーダックには感じ取れた。
「ちっ、邪魔が多くていけねぇ。ならば……俺の気持ちをてめぇらも味わいやがれ!」
そう足下の死体に吐き捨てると、ザーダックは歌を歌い始める。
「Now I minions.Lamentation is suppressed, has withstood pain.Now is unleashed,Pile of chest stab grudge enemy!(さあ下僕達よ、抑えし慟哭、耐えし痛み、今こそ解き放ち、敵の胸に怨嗟の杭を突き立てろ)」
歌い終わった次の瞬間。
ドレッドノート前部甲板に横たわっていた無数の死体が、起き上がり、動き始めた。
「これは……あの時と同じ歌ですか」
九郎は最初にザーダックと戦った時の事を思い出し、主砲の影から飛び出すと、死体兵に対して剣を構える。
「ヤマダシンエモン。こいつらはお前達には襲いかからねぇから安心しな。こいつらは邪魔者用だからよ。気にせず来いよ」
「この光景は、なかなか気にするなという方が難しいですけどね」
首のない死体、腕や足のもげている死体、臓物を引きずっている死体、本体と泣き別れになった手足までもが、甲板で蠢いている。
「うへぇ!?」
魔法陣のあった艦橋下辺りから、壬夜のそんな驚きと嫌悪の混ざり合った声が聞こえてきた。そしてその死体達は、ドレッドノート船内や後部甲板、接舷している三笠へと大挙して移動していく。死体兵達と遭遇したのだろう。程なくして階下からは恐怖に襲われた者が挙げる、絶叫が漏れ聞こえて来る。
「ずいぶんと趣味の悪いお化け屋敷ですね」
「まあ、そう言うな。オレも気は進まねぇんだからよ」
ザーダックはそういうと口の端を吊り上げて、その鋭い犬歯を見せた。
次の瞬間、二人は床を蹴り、空中で切り結んだ。




