第二節 花集う(4)
九郎達は静音の、悪い人ではなさそう、というひと言で、とりあえずハロルドに付いていく事にした。鷹束中将の居場所について、更に詳しい情報が手に入るかもしれないという思惑もある。道すがら、ハロルドは一週間ほど前から自分が捕虜になっている事、二日前の夕方に帝国とネヴィスの間で艦隊戦が発生し、帝国が勝利した事、提督が戦死したというような報道は無い事を伝えた。
「良かった……兄は無事なんですね」
静音は胸を撫で下ろした。ハロルドはそんな静音の様子を、温かい眼差しで見ていたかと思うと、急に何かを思い出したのか、手を叩いた。
「あ、そうだ。これ、どういう意味か良かったら教えてくれないか」
ハロルドはそう言いながら、ズボンのポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
静音がそれを受け取ると、丁寧に開いて、九郎や壬夜にも見せる。
そこには墨と筆で大和語が書かれていた。
「これは……歌ですね」
「歌?」
ハロルドは静音の言葉をオウム返しに訊ねた。
「はい。短歌という、文字通り短い歌です。えっと……」
桜満ち 並び麗し 八重一重
風に果つ時 相舞い散らん
「桜が満開になって、八重の花も一重の花も同じくらい美しい、そして風に散らされるときもまた一緒に散っていく、という意味ですね」
「桜とは、あの綺麗な花を咲かせている木だろ? その歌をくれた女性が教えてくれたんだ。俺にも何となくその歌の美しさは分かるよ。ああ、この半纏もその女性がくれてね。とてもかわいらしい女性なんだ」
そう言ってハロルドは、道の途中で咲き誇る桜の木を指さした。
だが、それを聞いた静音は微かに頬を紅く染め、歌の書かれた紙にしばし目を落とす。
そしてその後、そっとハロルドに紙を返した。
「あの、女性から送られたとなると、多分それは……その方からの恋文ではないかと……」
「え? これが?」
静音は小さく頷いた。横で聞いている九郎はきょとんとし、壬夜はにやにやとしている。
「おそらく、ですが……」
そう一つ前置きをしてから、静音は言葉を続けた。
「外国人である貴方様も自分も同じ人間であり、一緒に並んで人生を共に出来る、そして死ぬ時も一緒にいさせて下さい。そういう思いがその歌からは読み取れます」
静音の説明を聞いていたハロルドは先程までとは変わって、神妙な面持ちでそれを黙って聞いていた。
「貴方様の愛称、ハルはこの国の今の季節、春と発音が同じです。そして桜は春の代表的な花です。なので桜に例えて、その思いを込めて歌ったのかと」
ハロルドは歩きながらしばらく考え込んでいたかと思うと、九郎に話を向ける。
「この国の女性は、全員こんなにもロマンチストなのかい?」
「さて、僕は女心というものにはどうも……」
九郎は、ばつが悪そうに帽子を深く被って目元を隠した。
そんな九郎を、何かを求めるような視線でしばらく見ていた静音であったが、再びハロルドへと視線を戻す。
「千年近く前から貴族の間では、男女でこういう歌に思いを託してやりとりをしていたそうです。恋の歌かどうかはともかく、今では普通の人でも、趣味で歌を詠まれる方が大勢いらっしゃいます」
「そうか……」
少し視線を落とすと、ハロルドはぽつぽつと呟き出す。
「この国では極普通の人でさえ、自分で歌を作って楽しむんだな。それに引き替え、俺の国では文字の読み書きが出来るのは、支配者階級だけで、国民の七割近くは読み書きなど、碌に出来ないんだ。余計な知恵を付けられると支配しづらくなるという理由からね」
大和帝国の国民は、幕藩時代の寺子屋の普及や義務教育の徹底により、語彙等の多寡にはもちろん個人差はあったものの、まるで読み書きが出来ないという者はあまり見られない。一般市民でも何ら差し支える事なく、新聞を読み、貸本などで本を楽しむ事が出来た。
「俺の国では東洋には蛮族しかいないと思っている。だけど、この国は本当に人も景色も綺麗だ。こうして中からこの国を見ていると、どっちが蛮族だか分からなくなってくるよ」
「……この国にも、異質な者に対する差別や偏見、迫害といった陰湿な行為は少なからず存在しますし、建物や町の西洋化も急速に進んでいます。あなたが今おそらく抱いているような理想郷では決してありません」
九郎が険しい口調でハロルドの言葉を否定すると、静音はもの悲しげな視線を地面に落とす。
「ですが」
言葉を句切ると、九郎は壬夜、そして静音を一瞬見遣る。
「まあ、優しく、寛容な人も中にはいると思います」
静音はその言葉に九郎へと目を向けると、嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「ふ~む……」
そんな二人を少々訝しんだ表情で見ていたハロルド。
「君達は恋人同士なのかい?」
そんな九郎と静音の様子にハロルドは、突然そんな事を口にした。
「ちちちチちっち、違いマす!」
笑顔を張り付かせる九郎、そして慌てて手を振って否定する静音。
「そうや、あちしの恋人やけん」
壬夜が突然九郎の手を取ると、そう言いながら寄り添った。
九郎は驚いて思わず立ち止まり、同時に吹き出した。
「え!? み、壬夜ちゃん!?」
壬夜の思わぬ告白に、非常に焦りを伴った声で静音は壬夜へと振り返る。
すると壬夜は、静音に対してまた悪戯っ子の笑みを湛えていた。
「冗談に決まっとるけん。姉ちゃん、何を慌てているん?」
「あ……」
静音は俯くと、頭から湯気を立ち上らせそうな勢いで、耳まで紅く染まった。
「オーケー、ミヨのお陰でよく分かったよ」
ハロルドは声を上げて楽しそうに笑った。
そんな話をしていると、程なく村の家々が見えてくる。
しかし九郎が視界の端に、異常を見て取っていた。
「どうしたのでしょうか。怪我人ですね」
海の方から来た九郎達から見て、右手から、足を引きずるように村に向かう人影があった。服装などから見て地元の農民のようだ。
「大変。行ってみましょう」
静音がそう声をかけると、誰からも異論が出る事なく、一斉に走り出す。
顔が確認できるほどに近付いたとき、ハロルドがその人物の名前を呼んだ。
「ゴンゾウ! どうしたんだ、その怪我は!?」
ゴンゾウと呼ばれた初老に差し掛かった男は、ハロルドを見て気が抜けたのか、崩れ落ちた。身体のあちこちから血を流し、脚にも動物の爪にでもやられたかのような大怪我を負っている。ハロルドはゴンゾウを抱き起こす。
「ハルさん、あんた兵隊さんなんやろ? 村の、村のみんなを……明子を助けてくだせえ」
「どうした、何があった!? アキコがどうしたんだ!」
ゴンゾウは涙を目に溜めて訴える。
「化け物が……見た事もない化け物が突然海から現れて、村が襲われただ……兵隊さんに報せなきゃとオラは何とか逃げてきただども、村には明子がぁ」
「……すまないが朝飯はまた今度だ。ゴンゾウの事を頼んでいいか?」
今までにない真剣な眼差しを、ハロルドは九郎に向けた。
だが九郎が口を開く前に、静音が口を開く。
「九郎様、勝手なお願いとは存じますが……」
九郎は静音が全てを言い終える前に、予想していたとばかりに遮った。
「……この方の事はお願いします。捕虜の方を呼んで手伝って貰って下さい。壬夜、呼んできて下さい」
「しゃあないなぁ」
壬夜が駆け出すと同時に、ハロルドはゴンゾウを静音へと預けた。
静音は九郎に頭を下げる。
「申し訳ありません……」
「いえ。昨夜の事故はこれでチャラという事で」
からかうように九郎がそう言うと、静音は声にならない抗議をする。しかしそんな静音を無視して、襲われている村の方へと目を向けると、九郎の顔から笑みが消えた。
「ハロルドさん、何があっても落ちないように、ちょっと僕に掴まってくれますか」
するとハロルドは眉を顰める。
「俺にそんな趣味はないぜ?」
「僕にもありませんから安心して下さい」
訝しみながらも、ハロルドは九郎の肩と腕を掴んだ。
「行きます」
九郎は帽子を手にし、天狗の面をその顔に着ける。
それと同時に九郎は地を、大気を蹴り、ハロルドごと軽々と大きく跳躍した。
「ノオオオオオオオ!?」
予備知識のない状態でいきなり宙を舞った事で、ハロルドは思わず叫び声を上げた。
が、それでも手だけは、しっかりと離さないでいる。
「これは東洋の魔法かい、クロー?」
「そんなところです。ところでアキコさんとはもしかして……」
九郎の問いに、神妙な声でハロルドは答える。
「ああ、あの歌をくれた女性だ。捕虜となって一週間、彼女は土地に不慣れな俺に色々世話をしてくれた。こんな僅かな時間でも、人は人を好きになるものだな……。彼女もこんな俺に思いを寄せてくれていた事は気がついていた」
そこまで語って、声の調子が落ちるハロルド。
「だが俺は敵兵である外国人。結ばれる事など出来ない」
「……それであの歌ですか」
「そういう事だ。だが、さっき歌の意味を知って本当の自分の気持ちに気がついた。俺はそんな彼女の思いにまだ返事をしていないんだ。頼む、無事でいてくれ……」
九郎はそれ以上何も言わず、跳び続ける。
「……見えました」
ゴンゾウが来た方向を道なりに跳ぶと、間もなく村が見えた。そして異様な姿をした何か達に村人達が襲われているのも見て取れた。
「あれは、マーマン!」
マーマンとは、半人半魚の西洋の魔物で、全身が鱗に覆われ、人型をした魚といった様相だ。普段は水中に生息している。少数の群れで行動し、人を襲う事も時々あった。
「降ります」
九郎は速度を落とさず、そのまま村へと突入した。着地と同時にハロルドは九郎から離れる。九郎は瞬時に『次郎丸』を抜き放つと、目の前にいた、鍬で対抗している村民を襲うマーマンに対し、刃を一閃させる。
マーマンは自分が斬られた事にも気がつかないまま、上半身と下半身が泣き別れとなって絶命した。九郎に気がついた他のマーマンが九郎へと襲いかかる。
だが難なく九郎はそれを躱すと、マーマンをその頭から一刀両断にする。
倒したマーマン達の死体を見たとき、九郎はある事に気がついた。
「また目と口が縫われている……」
†
九郎が戦っている時、ハロルドは明子の姿を求めていた。
「アキコ! アキコどこだ!」
そして程なく村の片隅で、着物を自らの血で染め上げた明子を発見する。ハロルドにとって、考えたくも無かった最悪の現実だった。
慌ててハロルドは駆け寄ると、まだ微かに息のある明子を抱きかかえる。
「アキコ、しっかりするんだ!」
明子は力無く震える瞼を開く。
「……ハルさん……最期に……会え、て……良かっ……た……」
「気をしっかりもつんだ! 傷は大した事無い!」
ハロルドは、それが気休めにもならない事は自分でも分かっていた。出血の量は夥しく、長くは保たない。それでも彼女を失いたくないという気持ちから、そう言わずにいられなかった。明子の手を取って握りしめる。
アキコの呼吸には力が無く、命の火が消えるのももう間近だ。
「ごめん、なさい……もう一度一緒に……あの、桜の下を……歩き……たかっ……た」
その言葉を最期に、彼女の手はハロルドの手からすり抜けて落ちた。
「アキコ!? アキコ! ……俺は君にまだ返事をしていない」
嗚咽するハロルド。少しずつ冷たくなっていくその亡骸を強く抱きしめる。
「俺が、もっと早く歌の意味に気がついていれば……」
二度と伝える事の出来なくなってしまった思いを胸に、ハロルドは涙で頬を濡らした。
しかし、そんなハロルドの悲しみなど他所に、背後ににじり寄る気配と音がする。
ハロルドは明子を横たわらせると、ゆっくりと立ち上がって振り返る。
怒りの炎をその目に宿らせたハロルドの目の前には、数体のマーマンが血に染めたその爪を振りかざし、さらなる獲物を求めるようにハロルドへと向け、佇んでいる。
ハロルドは視線を横にやると、地面に落ちている一振りのサーベルを見つけ、拾い上げた。すぐ側で血を流し、倒れている帝国軍兵士の物だったのだろう。たまたまこの近くにいた兵だったのか、村を守るために孤軍奮闘し、力尽きたのだ。
「借りるぞ」
そしてハロルドはサーベルを振り上げ、マーマンの群れへと斬り込んでいった。
先頭の突出したマーマンへと斬りかかる。マーマンは横へと身を躱し、ハロルドの横腹目がけて爪を繰り出す。だが、ハロルドはその動きを読んでいたかのように、振り下ろしきる前に剣の軌道を変え、横に薙ぐ。刃はマーマンを捉え、その首は宙を舞った。返す刀で、隣にいたマーマンをも袈裟斬りにする。あっという間に二体のマーマンが、血液を噴き出させながら崩れ落ちた。残るマーマン達が後退る。
「我が祖国ながら、このような外道……。アキコ……君の仇は取る」
‡
静音達が捕虜達の手を借り、一軒の家へ運び込んでゴンゾウの手当てを一通り終えた頃。
面は既に外している九郎とハロルドが、沈痛な面持ちで帰ってきた。
「お帰りなさいませ九郎様、よくぞご無事で……」
静音は、袖を留めていた襷をほどきながら九郎に駆け寄り、その帰還を嬉しそうな穏やかな笑みで出迎える。
「ただいま戻りました」
九郎は、久しく自分の帰りを待っている者などいなかったため、静音の言葉に少し驚いた後、複雑な思いの隠った笑みで応えた。
ハロルドはそんな二人の横をすり抜けて行くと、部屋の布団で横になっているゴンゾウの傍らへと歩み寄り、膝を着いた。
向かいでは、壬夜がゴンゾウの様子を見ている。
「ゴンゾウ……すまない。アキコは……」
それを聞いた静音はハロルドへと振り返った後、すがるような目つきで九郎を見上げた。
「村人の内、七人程は間に合いましたが、後は……」
九郎はそう告げると帽子で目元を隠しながら、顔を伏せた。
「そう……ですか……」
ゴンゾウは両手で顔を覆うと、嗚咽の声を漏らした。しばらくそんなゴンゾウを見ていたハロルドは、着ていた半纏を脱ぐと、畳んでゴンゾウの枕元に置いた。
「ゴンゾウ、これを預かっていてくれ。俺はやるべき事が出来た」
そう言って立ち上がったハロルドは、九郎と静音の元へと歩み寄ると突拍子もない申し出をする。
「無理を承知で頼む。アドミラル・タカツカに会わせて欲しい」
「え?」
困惑する静音。同じ帝国民でさえ、提督に会う事など普通は不可能である。それが例え親近者と知り合いだったとしてもだ。一捕虜となれば尚更の事である。
「俺はこの戦争を早く終わらせたい。そのためにアドミラル・タカツカに話さなくてはならない事がある。だがここにいては、俺の話はアドミラルに伝える事は出来ないだろう」
捕虜の証言の内容によっては上層部に上げられる事はあるが、それも仲介する士官の判断で選別されるため、確実ではない。
ハロルドの真摯な視線に対し、静音も真剣に向き合う。
「……捕虜が指定された場所から外に出れば、拘禁三十日の罰を受けます。それに、それは貴方様の国にとって不利益になる事ではないのですか?」
ハロルドの真意を確かめるように、ゆっくりと、かつ毅然とした態度で問いかけた。
「俺は、元々ネヴィスの戦争に対しての在り方について疑問を抱いていた。自分たちの富のために、弱者を奴隷のように扱い、そして今度は魔物まで戦争の道具にする。こんなやり方で豊かになった国に真の繁栄はあるのか。ずっと悩んでいた」
静音は、ハロルドの一言一言を聞き逃すまいとするかのように、じっと見つめている。
「アキコやゴンゾウ、その他の村の人達と過ごしたこの一週間は、捕虜という身でありながら、故郷では感じた事のない穏やかな時間だった。俺はそんな時間をくれたこの国を、ネヴィスに踏み躙られたくない。アキコと一緒に見上げたあの桜の木を、守りたいんだ」
九郎は目を伏せたまま、玄関の柱にもたれかかり、その言葉を黙って聞いていた。
ハロルドが自分の思いを語ると、長い静寂が訪れた。
ハロルドと静音は、視線を合わせたまま動かない。
続く重い沈黙。
果てしなく長く感じられたその時間に、静音が終止符を打った。
静音は静かに九郎の方へと振り返る。
「……九郎様」
九郎は静音が全てを言う前にゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
「ありがとうございます」
静音は九郎に頭を下げると、ハロルドへと向き直った。
「では行きましょう」
†
九郎達と捕虜の村を発ったハロルドは、途中でとある海岸に寄らせてもらった。
謎の少女との戦いで負傷して海に落ちたハロルドは、その海岸に流れ着き、武器と幻術の腕輪を岩の隙間に隠していた。その後警察に発見され、捕虜になったのだ。
隠しておいた剣と腕輪を身につけ、ハロルドは鷹束中将に会うため、九郎達と歩き始めた。




