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妖かしに贈る唄  作者: 樋桧右京
第二節 花集う
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第二節 花集う(2)

寝静まっている宿の中。

 微かに廊下を軋ませながら歩を進める数人の人影。

 人影は九郎達の泊まる部屋の襖を、ゆっくり音を立てないように開けると、敷いてある三組の布団を取り囲むように展開する。そして手にしたサーベルを一斉に振りかぶると、膨らんだ布団へと同時に突き立てた。しかし、期待した手応えが返ってこない。サーベルを引き抜き、布団をめくってみるが、どの布団も枕が中にあるだけで無人だ。

 一人が布団を触る。

「まだ温かい。近くにいるはずだ、探せ!」

                 †

 九郎達が泊まっていた部屋の窓の外の真下。頬に大きな紅葉を作った九郎は、路地で静音を横抱きにし、部屋の様子を窺っていた。横では壬夜が眠そうな顔で静音と壬夜、二人分の着物と、九郎も入れた三人分の履き物を抱えている。下駄箱の無い宿も多く、履き物は布などで包んで部屋に持ち込むのが一般的だった。

「間一髪でしたね。さ、この場を急いで脱しましょう」

 そう言うと九郎は気配を殺しつつ、静音を抱いたまま走り出した。壬夜もそれに続く。

「なナ、何も知らず、ハ、叩いたり、して、すミま、せん。あああ、アの、ワ、私、じ、自分で、走れ、ますから」

 この非常事態の中でも、静音は九郎に抱かれている事に対する恥ずかしさの余り、上手く喋る事が出来ない。

「ブーツを履いている時間はありません。裸足で走らせるわけにはいきませんから」

 そう言う九郎も靴を履く時間が今は惜しく、裸足のままだ。

「す、すみません……」

 その言葉を聞いたとき、静音の中の恥ずかしさは、心地よい安心感に変わった。

 九郎の顔を見上げた後、静音は逞しく感じる九郎の胸に頭を預けた。

                 †

 西洋から輸入された調度品が並ぶ執務室。ランプ明かりで照らされた室内には、窓の外を見下ろす嶋中将と、椅子でふんぞり返っている人狼、ザーダックの姿があった。

「まったく。そちらの尻拭いは勘弁してもらいたいものだな。暗部まで動かしておるのだ。私とて、好き好んであのような子供達の命を奪うなどしたくはない」

 ザーダックはワインを瓶のまま口に付けて呷ると、鼻で笑う。

「ハッ、よく言うぜ。保身のために国を売った奴がよ。大体、事の発端はそっちが人間とこの国の妖怪とやらの連合の動きを、完全に止められなかった所為だろうが。わざわざ出向かせやがって」

 ザーダックは嶋中将から、人外兵の実力を見たいという名目で、鷹束中将が進めていた人間と妖怪の連合体制を邪魔するために、その使いの暗殺を依頼された。

 ネヴィス王国士官以外の命令を聞く義理などザーダックには無く、一度は断ったが、与えられていた自室に突如現れたルヴェリウスに、好都合だからと暗殺するようにと魔力をちらつかされて脅され、仕方なく向かったのだった。

「口の利き方には気をつけてもらおう。功を焦ったそちらの一部がいたずらに攻撃を仕掛け、鷹束中将指揮する艦隊に二度も敗北を喫したそうではないか。世界最強の称号はどうした! 開戦時は世界中がネヴィス勝利を予想していたではないか! 主力と合流してから当たればよいものを。自慢の弩級戦艦が近くのカムラン港に入港しているのだろう!」

 嶋中将の声に、焦燥の色が見てとれる。この戦争で嶋中将はネヴィス王国が勝利すると踏み、内通協力する事で戦後、大和帝国がもしも植民地化されても自分だけは甘い汁を吸えるよう企んでいた。万が一にも大和帝国が勝利する事があれば、いずれ内通の事実が明るみに出るだろう。内通行為は重罪であり、そうなれば死刑は免れない。

「そんなのはオレの知ったこっちゃねぇな。オレはただネヴィス軍の人外兵の存在証明と、今後の作戦、中将殿の待遇の確約についての書面を届けに来ただけだ」

 人外兵の存在を証明するには、軍の指揮下で動いている人外兵自体を、実際に見せるのが一番だ。兵と言うからには、統率された動きが出来ていなければ意味がない。そのためにザーダックが送り込まれたのだ。

「うむ。妖怪兵の存在の情報は帝国軍でも掴んでいたが、こちらを惑わすための流言という見方も将官の間では根強かった。だが真実だったならやはり帝国に勝利は無かろう」

 嶋中将のその口振りは、分析による客観的事実を述べていると言うよりは、安心材料を探して自分に言い聞かせているようにザーダックには見えた。

「くだらねぇ……。オレはそろそろ行かせてもらうぜ。例の件は……」

 ザーダックは飲み干したワインの瓶を荒々しくテーブルの上に置くと、酔った素振りなど全く無く立ち上がった。

「明日だな、分かっている。必ず三笠と鷹束を沈めろ。鷹束さえ亡き者にすれば!」

 嶋中将は窓の方を向いたまま、首だけを巡らせてザーダックを一瞥した。

 ザーダックは幻術の腕輪を使って、帝国陸軍の上級士官の姿を取ると、それ以上は何も語る事無く部屋から出て行った。

「下郎が。それにしても鷹束め、おとなしく海の藻屑となれば良いものを……」

 苦々しい口調で嶋中将は呟いた。

                  †

 九郎達は深夜の町の中を、物陰で息を潜めてやり過ごしたりしながら、追っ手を撒こうと走り続けていた。そしてまた追っ手の気配が近付くのを感じ、三人は路地裏にある防火用水桶の影に身を潜める。通り過ぎていく気配。

「しつこいですね」

 流石に静音を抱いたままで走り続けたため、薄寒い春とはいえ九郎は汗が噴き出し、声にも若干の疲労の色が隠せない。

「倒してしまうわけにはいけんの?」

「相手が危険な妖怪ならそれでもいいのですが、相手は人間ですから殺してしまうわけにはいきません」

「せやかて襲われたんやから、せーとーぼうえい奴と違うん?」

「僕の勘が正しければ、刺客は陸軍の兵です。陸軍が相手となると、後からいくらでも僕らを殺す必要性をでっち上げられるでしょう。今殺して逃げる事は確かに可能です。ですが、相手に大義名分を与える事になり、めでたく明日から僕らは殺人の凶悪犯として、指名手配犯の仲間入りです」

「何故ですか!?」

 思わぬ九郎の言葉に、驚いて大きな声を上げた静音は慌てて口を押さえ、小声で再び訊ね直す。

「何故陸軍が私達を?」

 今の声で追っ手に気がつかれなかったか周囲の様子を窺いながら、九郎は答える。

「昼間の嶋中将の対応に僕は違和感を感じました。こちらの知っている事など既に知っているかのように、表面上だけ話を合わせているように見えましたのでね。それに、敵兵が国内に潜入したという事実を、やたらと否定したがっているように思えました。おそらく嶋中将は、あの人狼と関わりがある。こうして僕らが襲われている事からも、敵国と内通していると見るのが妥当ではないでしょうか」

「そんな……」

 それを聞いた静音は、しばらく呆然としていた。目を閉じて幾ばくかの間、考え事をする静音。すると瞳の奥に強い光を秘めてその目を開いた。

「九郎様、下ろしてくださいませ。壬夜ちゃん、私のブーツをちょうだい」

「大丈夫ですか?」

 九郎は怪訝な顔で静音を見つめつつも、言われるままに静かに下ろす。

「九郎様と一緒に、私も走らせて下さい」

 月明かりの下、静音は九郎の瞳を正面から真摯に見つめ返し、言葉を継ぐ。

「申し訳ありませんが、七分だけ時間を下さい」

 ブーツを受け取った静音は、慣れた手つきでブーツを履くと編み紐を締め、蝶々結びで括った。そして、静音は続いて浴衣の帯にも手をかける。

 九郎は慌てて視線をそらし、『次郎丸』に手をかけて周囲の警戒に神経を張り巡らせる。

 後ろから衣擦れの音が聞こえてくるが、気にしないようにする。その間に九郎も革靴を履き、壬夜もついでに着替えているようだ。

 そして静音の言った七分が経過した頃。

「お待たせしました」

 女学生姿の静音の姿がそこにはあった。髪は少々乱れているが、そこまで気にしている余裕は今は無い。壬夜も着物に着替えていた。

「では行きましょう」

 追っ手の気配がない事を確認すると、路地裏から飛び出す。人気のない表通りに三人の影。特に逃げる宛があるわけではないが、とにかくまず、この町を脱出する事が先決だ。

 だがしばらく走っていると、不意に九郎達の進路を塞ぐ人影が横道から現れた。

 手には抜き身のサーベルを提げている。刺客だ。

「いたぞ!」

 発見の報のため、人影は声を上げる。そしてそのまま斬りかかってきた。

「仕方ありません」

 九郎は『次郎丸』を抜くと、刃を返して峰で敵のサーベルを受けた。

 均衡する鍔迫り合い。

 だがそれも一瞬で、九郎が押し返すと共に、すくい上げる様な一撃で敵のサーベルを弾き飛ばす。宙を舞うサーベルに敵が一瞬気を取られた瞬間、その首元に峰の一撃を加えた。

 その一撃で敵は気を失い、膝から崩れ落ちた。

「九郎様!」

「峰打ちだから大丈夫です」

 静音の声からその心配を汲み取った九郎は、安心させるために振り返って間髪入れずに応えた。

 胸をなで下ろす静音。

「後ろからも来たで!」

 通りの奥に目を向ければ、壬夜の言うとおり、更に二人の人影が九郎の視界に映った。

「二人は先に」

「ですが……」

「問答している暇はありません」

 少し迷った後に静音は頷くと、壬夜の手を取り、追っ手とは反対方向へと走り出した。

 すぐに二人の追っ手は距離を縮めてくる。内一人が、サーベルを上段から九郎目がけて振り下ろす。九郎は横に飛んでそれを避けると、敵の胴を薙ぐように刀を一閃させた。

 だが、敵は振り下ろしたサーベルを、素早く戻し、九郎の一撃を弾き返す。

 その時。離れた所から壬夜の悲鳴が聞こえた。

「うあぁ!」

「壬夜ちゃん!」

 九郎は切り結んでいた敵から距離を取り、一瞬そちらへ視線を向ける。そこには地面に転倒している壬夜が居た。静音が駆け寄り、慌てて起こそうとしている。

 九郎が視線を敵に戻した時、サーベルを提げた敵の背後、もう一人の敵が口に細い筒のようなものを当てているのが見えた。

「吹き矢!」

 ただの吹き矢では致命傷にほど遠い。暗殺目的に使うならば、ほぼ間違いなく矢には毒が塗られていると思っていいだろう。

 九郎は左手で帽子の鍔に手をかけると、帽子を脱ぎ、顔の前にやる。

 そしてその手が下ろされたとき、帽子は九郎の手にはなく、その代わりその顔には長い鼻が特徴的な面が着けられていた。その半分が欠けた天狗の面である。

「その様なこけ脅し!」

 一瞬怯んだサーベルの敵は、そう言う気を取り直し、振り上げて再び斬りかかってくる。

 だが、敵はサーベルを振り下ろす暇も無く、目にも止まらぬ九郎の峰の一撃が胴を薙いだ。

「ば……かな……見え……な……」

 サーベル持ちの敵は苦悶の表情と共に倒れ込む。

 九郎は吹き矢に視線を移すと、まさに静音達に矢を放とうとしていた。

「姉ちゃん!」

 静音に助け起こされた壬夜が、吹き矢が自分たちに向けられている事に気がつき、男に指を指して声を上げる。静音は壬夜に抱きつくと、吹き矢の男に背を向けて庇った。

 九郎は咄嗟にその射線上に手を伸ばして遮る。それは吹き矢が放たれるのとまさに同時だった。次の瞬間、矢が刺さった九郎の左の手の平に痛みが走る。痛み自体は小さなものだが、みるみる傷口が熱くなっていくのを感じる。

 だが九郎は人の常識を越えた速度で瞬間的に間合いを詰めると、刀の柄頭で男のみぞおちに一撃を入れた。

「っは!」

 男は白目を剥くと、その場に崩れ落ちた。九郎は刀を納め、急ぎ手に刺さった矢を抜き、投げ捨てる。だが急速にその痛みは増していき、脈動の度に激痛が走った。

「くっ!」

 あまりの痛みに九郎は思わず膝を着いてしまう。

「九郎様!?」

 様子がおかしい事に気がついた静音が駆け寄ってきた。壬夜も後に続く。

「どうかされましたか?」

 心配そうに九郎の顔を覗き込む静音。

 九郎は天狗の面をしたまま、上着のポケットから手ぬぐいを取り出す。

「す、すいませんが、この手ぬぐいで、僕の、左手首の上辺り、を、きつく縛っていただけますか」

 九郎の息が徐々に荒くなってくる。

 月明かりの下でも、九郎の手が異様に腫れているのが静音には見て取れた。

「九郎様、もしや毒を!?」

 静音は九郎から手ぬぐいを受け取り、手首の辺りをきつく縛る。

「失礼いたします」

 そして静音はそう言うと、九郎の手の傷に口を当て、毒を吸い出し始めた。

 口に溜めた血を道端へ吐き出し、また吸い出す。それを何回か繰り返した。

「なんて無茶な事を……もしも、口に含んだだけでも、危険な毒だったら、どうするんですか」

「考えもしませんでした。ただ九郎様を助けなければと……」

 努めて静音は明るく言う。九郎に心配をかけまいという心遣いからだ。

 その間、壬夜は辺りで何かを探していると、吹き矢の矢を見つけ、それを拾い上げた。

 更に何度か毒を吸い出した後、静音はハンカチを懐から取り出し、九郎の手の傷に巻く。

「今はこれで。でも早くお医者様に診せなくては」

「その様な暇は、ありません」

 少し足下をふらつかせながら九郎は立ち上がった。

 壬夜は狐の耳を頭に生やしてぐりぐりと動かす。何か聞こえるのだろう。

「また敵が来るで」

 九郎は壬夜を持ち上げ左肩で俵抱きにし、次に静音の腰に手を回して強く抱き寄せた。

「あ、あの……」

 驚いた静音は、目をしばたたかせる。

「落ちないよう、僕に掴まっていて下さい」

 静音は九郎の言葉の意味を理解しかねたが、言う通り、首に手を回して抱きついた。

「行きますよ」

 そう言うと、九郎は二人を抱きかかえたまま、まるでそこに階段があるかのように、何も無い空間を駆け上っていく。

 その時、路地から新たな刺客が二人現れた。

 しかし九郎は民家の屋根よりも高いところまで上がったかと思うと、今度は空気を蹴って跳躍した。空気に着地してはまた蹴る。それを繰り返し、家々の屋根を越えてあっという間に刺客達は静音達の視界から消えていった。


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