表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖かしに贈る唄  作者: 樋桧右京
第二節 花集う
10/22

第二節 花集う(1)

第二節 花集う


 京の町にある、とある一件の宿。九郎達三人は、嶋中将が用意してくれた宿で身体を休めていた。宿の二階、広さ八畳程の部屋が九郎達に充てられ、客室の窓から、通りを行き交う人々を九郎は眺めている。幕藩時代には帝が座していた京の町は、洗練された瓦屋根の伝統木造建築が建ち並び、東方や港町と違い西洋化とはおよそ無縁な町並みだった。しかし行き交う人々には洋服の紳士も多く、今が幕藩時代では無い事を示している。

 静音と壬夜は宿の風呂に入りに行っていた。風呂は数人が入るのがやっとの広さで、基本的に部屋ごとに入浴時間が割り当てられる。今日はどこも宿が混んでいるという事で、一室しか取れず、静音達と九郎、分けて入浴する時間は無いため、九郎が遠慮した。

 ちなみに未成年者が保護者も無く、しかも血縁でも無い男女が宿に泊まる事は出来ない事になっていたため、宿には近くの親戚を訪ねに来た兄妹という事になっている。

 九郎が骨を休めていると、女中が部屋の襖を開ける。

「もうしばらくしたら、お夕飯の用意が出来ますので」

「お手数おかけいたします」

 少々到着が遅くなってしまったため、本来の夕飯の時刻は過ぎてしまっていたが、女将が厚意で用意してくれたのだった。女中はそれだけ言うと下がる。

 そして再び九郎は通りへと目を向け、一息吐いた。

 だがその時。

 慌ただしい足音が廊下から聞こえてきたかと思うと、乱れた浴衣姿の壬夜が勢いよく襖を開けて飛び込んでくる。

「兄ちゃん、大変や! 姉ちゃんが風呂で倒れた!」

「本当ですか!?」

 九郎は険しい表情で急ぎ部屋を飛び出し、一階にある浴場へと向かう。

 そして浴場の木戸を、勢いよく開け放った。

「大丈夫ですか!」

 湯気で靄がかった視界の洗い場で、一糸まとわぬ姿の静音が、きょとんとした顔を九郎へ向ける。

「え?」

「え?」

 しばし止まる時間。

 一滴、水の滴る音。

 そして動き出す刻。

「き……」

 状況をようやく理解した静音は、狼狽して九郎から身体を背ける。

「きゃあああああああああああああ!?」

「え!? これは!? し、失礼しました!」

 飛んできた手桶を避けながら、九郎は慌てて木戸を閉める。

 その横では壬夜が背中を向け、諸手を挙げてぴょんぴょんと跳ねていた。

「やった、大成功や~~~!」

 達成感で喜びはしゃぐ壬夜。しかしその背後に立ち、妖しく目を光らせて不気味に笑う九郎の姿に気がついていなかった。

「あない力一杯殴らんでもええやんか」

 料理の載せられたお膳を運びながら、頭にたんこぶを作った壬夜が、不満を口にした。

「拳骨で済んだだけ、ありがたいと思って欲しいですね」

 厨房から受け取ったお膳を、九郎は片手に一膳ずつ運ぶ。女中の手を煩わせる事に気が引けたのと、なにより静音と同じ部屋にいる気まずさから、九郎は壬夜を連れて取りに来たのだ。結果的に覗いてしまった件については、壬夜の悪戯の所為であって、あくまで九郎は心配して来ただけだと静音が理解してくれたため、一応の許しを得る事が出来た。

「まったく」

「ホントは嬉しかったくせに~」

「たんこぶ、増やしましょうか?」

「じょ、冗談やないかー」

 階段を上り、二階に辿り着こうとした時。不意に部屋の方から歌声が聞こえてくる。

「刻の川のせせらぎと共に、いつしか平らとなり……」

 静音が祠にあった歌を歌っているようだ。

 すると九郎の後ろで食器同士が軽くぶつかる音がする。

「あ、なんや……力が……抜ける……あちしのごはん……」

 振り返ってみると、壬夜の足下が、熱に浮かされた病人のようにおぼついていない。このままでは階段から落ちてしまいそうだった。九郎は手にしていたお膳の一つを二階の廊下に置くと、壬夜の持っていたお膳を代わりに持つ。九郎がお膳を持った事で、落とすまいと張っていた気が緩んだのか、壬夜は階段を転げ落ちた。

「壬夜!」

「にゃああああああああああ! ふぼっ!?」

 頭を打った壬夜が奇妙な声を上げた。

 派手に音を立てて落ちたため、浴衣姿の静音が部屋から様子を見に出て来ると、階段の下で目を回している壬夜を静音は目にし、心配そうに声を掛けた。

「壬夜ちゃん、大丈夫!?」

「なああああ、だ、大丈夫やけん」

 かくして、壬夜のたんこぶが一つ増えた。

「本当にごめんなさいね。まさかあの歌に、妖怪の力を抑える効果があるなんて思わなかったから……」

 食事が終わり、九郎がお膳を厨房に返しに行って戻って来た頃、静音はもう一度壬夜に謝った。

「あちし、身体は頑丈やけんね。それより何であちしだけで兄ちゃんは平気なんや。不公平やないかー」

 丁度部屋に戻ってきた九郎に、壬夜が八つ当たりをする。

「さっきの歌の話しですか。そう言われても……。思い当たる事と言えば、僕は半妖とはいえ、普段はほとんど人間に近いからじゃないですかね」

「そうなんですか?」

 静音がちょっと意外そうな顔で訊ねた。

「多分ですけどね。身一つで妖術を使える訳じゃありません。刃物で切られれば怪我もしますし回復も人並みにかかります。時には風邪だってひきます。少々普通の人よりは身体能力が高い自覚はありますが。それは妖力どうこうという訳ではなさそうですし」

「なんや、最後は自慢か」

「客観的事実を言ったまでです」

 不満収まらぬ壬夜に、九郎は淡々と笑顔で答える。

「なるほど、九郎様も普通の殿方とほとんど変わらないのですね」

 ただ感心したように呟く静音。しかしその時ある事が気に掛かった。

「……変わらない?」

 自分の言葉に疑問を投げかけた次の瞬間、静音のその表情が凍り付く。

 静音の頭の中に、先程の浴場での一件が突如として思い出され、湯を沸かしたヤカンのように、顔がみるみる熱くなっていくのが分かる。そう、九郎も年頃の男性なのだ。壬夜がいるとはいえ、若い男性と宿を共にしているという事実を、静音は突如として認識した。

 昨日から今まで、人狼に襲われて地中を進んだり、妖怪の里でたくさんの妖怪に囲まれたり、謎の女の子に襲われて再び命を落としかけたりと、短い時間の内に色々とありすぎた所為と、九郎が半妖だという事から、認識と常識が完全に麻痺していたのだ。

 普通に考えれば、宿には偽っているとはいえ、血縁でも婚姻関係でもない若い男女が、同じ屋根の下で一夜を共に過ごすなど、とんでもない事である。もちろん、そのような事は親にも兄にも言えない。ふしだらな娘の烙印を押されるだろう。

 嶋中将も何故その辺り気にしてくれなかったのだろうか、九郎も女性と同室という事に何ら疑問を抱かなかったのだろうかと、今更ながら静音の中で様々な思いがぐるぐると巡っていた。だが、もう夜も更けてしまっていて、どうしようもない。

 あられもない姿を見られ、しかも男性と一夜を共になどしてしまっては、もう嫁に行けないかもしれない。そうしたら九郎に責任を取ってもらうしかないか。いやいや、そう言う問題ではない。そんな考えが取り留めなく駆け巡る。

 静音が答えの出ない事を延々考えていると、不意にその肩を叩かれた。

「あの?」

「ヒャい!?」

 九郎に声をかけられた静音は、思わず声を裏返らせた。

「なななナな、なん、なんデしょうか?」

「女中さんが布団を敷きに来てくれましたよ?」

「あ、はい、お布団……お布団!?」

 完全に固まった静音を壬夜が手を引いて、女中の邪魔にならないように退かせた。

 てきぱきと目の前で敷かれる三組の布団。

 仕事を終えた女中は、部屋の入り口で三つ指を着いて挨拶すると退室していった。

「あ、あの……」

 手を伸ばして女中に思わず救いを求めようとした静音だったが、まさか女中に事実を言うわけもいかず、布団を前に思い止まり、呆然と立ちつくした。

「それでは夜も遅くなってきましたし、そろそろ休みましょうか」

「そやな、寝よ寝よ」

 そう言う二人に、静音は声を引きつらせながら抵抗を試みる。

「ま、まだ早いんじゃないですか?」

 先延ばしにしたところで詮無い事ではあるが、明かりを消す事に抵抗があったのだ。

 だが静音の思いとは裏腹に、あっさり否定される。

「明日は妖怪の里に行って妖玉を返しに行くんですよね? もう寝ないと保ちませんよ?」

「そ、そうですけど……」

 九郎の言葉に静音は二の句が継げなかった。しかしその後、九郎が予想外の行動に出る。

「それじゃ、二人は寝て下さい」

 そう言うと九郎は『次郎丸』を手にして立ち上がり、部屋の入り口へと歩み寄ると襖に手をかけた。

「九郎様、どちらへ?」

「僕は廊下で番をしてます。昨日の人狼や、昼間のがまた襲いに来ないとも限りませんし」

「いけません!」

 九郎がしようとしている事は、静音にとって有り難い申し出のはずだ。だが、口を突いて出たのは真逆の事だった。その事に何よりも驚いたのが静音本人である。

 戸惑う九郎。

「ですが……」

「あ、いや、その……九郎様もお疲れですし、春とはいえまだとても冷えますから。それにそんな所を宿の方に見られたら、兄妹という関係を疑われるかもしれません」

 九郎は幾ばくかの間考えると、踵を返し、室内へと戻った。

「……そうですね。特に今日襲ってきた相手は、丁寧に玄関からやってくるとも限りませんし。ただ、念のために僕はこのままの服装でいますので」

 九郎は風呂を辞退していたため、学生服のままだ。

「はい、ありがとうございます。壬夜ちゃんは真ん中のお布団においで?」

 真ん中の布団をぽんぽんと叩きながら壬夜を呼ぶ。

「え~? あちしは端がいいな~」

 静音とは反対の端の布団を陣取りながら、壬夜はにやにやと、悪戯っ子の笑みを浮かべながら駄々をこねる。

「み、壬夜ちゃん、お願いだから。ね?」

 静音が困っていると、九郎は壬夜の襟首を掴んで持ち上げ、そっと真ん中の布団へと強制移動させた。そしてそのまま、壬夜が陣取っていた布団に潜り込む。

「いつまでも騒いでいますと、他の部屋の方に迷惑ですから寝ましょう」

 九郎は刀と帽子を抱くようにして、静音達とは反対側を向いて横になった。

「しゃーない。寝るけんね」

「じゃあ明かり消しますね」

 室内を照らしていた灯油ランプの火力調節ハンドルに指をかけ、静音は一瞬ためらった後、回して火を消した。

「お、おやすみなさい」

 そう言うと静音は頭から被るように、布団へと潜り込む。

「おやすみや~」

「おやすみなさい」

 真っ暗闇の中、すぐに二人からも返事が返ってきた後、静寂が部屋に満たされた。

 目を瞑り、睡魔が訪れるのを静音は待つ。

 ふと、静音は先程九郎を呼び止めた事について気になり、自問自答してみる。

 いくら並んで寝る事に気が引けていたとはいえ、九郎一人を寒い廊下に居させる事に気が咎めたというのもある。二度命を狙われ、暗い部屋の中で襖一枚の隔たりとはいえ、九郎の姿が見えなくなる事に不安を感じたのも事実だ。

 兄に使命を与えられ、不安いっぱいの中で訪れたこの地。この二日間で、今までの人生で経験の無い程、怖い思いをした。困りもした。緊張もした。だがそれと同時に、九郎や壬夜と出会い、短いながらも共に旅をした時間が楽しくも感じていた自分に気がついた。

 全ての用が終われば、九郎や壬夜とは別れ、自分はまた女学校に通う日々に戻るだろう。そしてまた女学校の友人達と、平凡で他愛のない話に花を咲かせる事になるのだ。

 今この時間が過ぎ去っていく事に、なんとなく寂しさを感じる。

 九郎が部屋を出ると言った時、静音は残り少ないであろうこの時間を九郎と共有できない事に一抹の寂しさを感じたのと、姿が見えない事で、この時間が早く過ぎ去ってしまう気がしたのだった。

 時折、窓の障子戸が風で揺れると、昨日や昼間襲われた事を思い出し、その都度、一瞬肩を竦める。その時、不意に九郎の息を潜めた声が聞こえてきた。

「眠れませんか?」

 静音も壬夜の眠りの邪魔をしないように、小さな声で答える。

「すいません。お邪魔してしまいましたか?」

「いえ。ただ何か気になる事でもあるのかと思いまして」

 九郎の予想はおおよそ正しかった。

 どちらにしろまだ眠れそうにない静音は、どうせならばと思い立つ。

「……少し、よろしいですか?」

「どうぞ」

 いつもの少し皮肉っぽいが優しい口調ですぐに返事が返ってきた事に、静音は何となく安堵する。だが、話すとなると、間に壬夜を挟んだ事に少し後悔の念が湧かなくもない。

「九郎様は全て終わったら、その後はどうされるんですか?」

「……そうですね、特に行く当てがあるわけでは無いので、頂く予定の報酬を路銀に、仕事を探してまた放浪の旅ですかね」

「そうですか……」

 束の間の静寂が訪れる。

 そして静音が再び口を開く。

「初めてお会いした時、驚かれたでしょう? 地面の中から人が現れるなんて」

 暗闇の中で、九郎が微かに笑っている気配を静音は感じる。

「ええ。山姥でも現れたのかと思いました」

「まあ、ひどい」

 拗ねてみるが、どこか楽しそうな静音の声。

「私、昨日今日と色々大変でしたけど、ちょっと楽しくもありました。九郎様はどうでしたか?」

「……壬夜は度々困らせてくれましたが、まあ、お陰様で……いや、その、はい、楽しかったですよ?」

 後半がどこか白々しい。

「……九郎様、今何を考えておられました?」

 冷ややかになる静音の声。

「…………いえ、何も?」

「もう、忘れて下さいませ!」

 静音は思わず声を大きくし、上半身を起こして九郎の方へと振り返った。

「大きな声を出すと、壬夜が起きてしまいますよ?」

「もう、そうやって」

 頬を膨らませながら、再び横になる。

「……壬夜ちゃんにもですけど、九郎様には感謝しております。ありがとうございます」

「その台詞はまだ早いですよ」

「ですがなんか、お伝えしたくて……」

 僅かな間の後、九郎の穏やかな声が聞こえてくる。

「……そろそろ寝ましょう」

「はい」

 話した事で気持ちが落ち着いたのか、静音は急速に睡魔が襲ってくるのを感じ、そのまま身を委ねて目を閉じた。

                 †

 どれほどの時間が経っただろうか。数時間の気もすれば、数十分の気もする。

 そんな時、不意に静音は突然何かで口を塞がれ、驚きで目を覚ました。部屋の中はまだ相変わらず暗かったが、闇に慣れた瞳は、口を塞ぐものの正体を捉えていた。

 九郎だ。九郎がその手で静音の口を塞いでいた。

「九郎様、何を!?」

 そう言葉を発しようとするも、呻き声にしかならない。そして九郎はもう片方の手で、静音を覆う掛け布団をはね除けた。浴衣の裾が乱れており、静音の脚が露わになる。

 驚きと恐怖、そして羞恥心が入り交じり、静音の目に涙が溢れてくる。

 そして布団を除けた九郎の手が、今度は静音の脚の下へと滑り込んだ。

「――――――――!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ