序節 渡る声
序節 渡る声
「俺の乗る艦はこれ、か?」
プラチナブロンドの髪を潮風に揺らしながら、若き士官、ハロルド・カーティス少尉は、岸壁に接舷している一隻の灰色の甲鉄戦艦を見上げて呟いた。
ハロルドは白い海軍士官の制服を身に纏い、腰には軍服と同じく白を基調とした意匠の凝らされた両刃剣を佩いている。
ハロルドの視線の先、甲鉄の戦艦の船体には『ドレッドノート』という艦名が書かれていた。
『ドレッドノート』は、自他共に世界最強と謳われる、ネヴィス王国海軍自慢の最新鋭戦艦だ。
百六十メートルに及ぶその巨体には、二本の砲身を備えた主砲を五基、副砲である単装砲二十七基を備えており、これらの武装は従来の戦艦の倍近い数となる。また装甲の厚みも二十八センチと従来艦の五十パーセント増しとなっていた。
二本の煙突からは、蒸気タービンエンジンから排出される黒い煙が、絶えず吐き出されている。
「俺は対魔族兵であって人間相手は専門外なんだけどなぁ。まさか人間相手に戦う艦に配属とはね。……言ってても仕方ないな」
ハロルドは、出港準備で甲板上を慌ただしく動き回る同僚達を見上げると、気が重そうに溜息を一つ吐いた。その均整の取れた顔に思わず皺が思わず刻まれる。
荷物袋を担ぎ上げると、行き交う兵の邪魔にならないようにタラップを昇り、船の舷側から乗艦した。
「まずは着任報告を済ませないと……。艦長はどこかな?」
艦長の姿を求めて、甲板上を歩き出すハロルド。
だがその時。
不意にハロルドの耳へと、思わず寒気を誘うような声が届く。
(שחור השער……)
どこの国のものとも判別付かない、耳慣れない言葉。それは、聞いているだけで息が詰まりそうなる不快な物だった。
あまりの不快感に、たまらず声のする方へと目を向ける。
振り返った視線の先。
前部甲板上にその声の主は鎮座していた。
それを見た瞬間、ハロルドは荷物を取り落とし、驚愕の声を上げる。
「そんな馬鹿な……あれは、魔族!」
甲板上の、本来は主砲があるはずであろう場所の一つ。そこに不自然な程に肌が黒く、先端の尖った耳を持つ魔族が、膝を抱えるような姿勢で、碇用の太い鎖で全身を拘束されていた。普通の鎖で魔族を拘束すること等不可能なため、おそらく対魔族用に魔法処理された物だろう。
魔族とは異界と現世を行き来し、人に災いを為す存在達で、その姿や大きさには個体によって差異がある。
ある時は心の弱い者を甘言を弄して誘惑し、破滅の道へと誘い、またある時は、その鋭い牙や爪、もしくは人間の扱うそれを遙かに凌ぐ、強力な魔法を以て直接命を奪う。
国内に時折出現するこれら魔族を倒すために、ハロルドのようなエクソシストは存在している。だが倒しはすれども、捕獲した事は一度も無かった。捕獲する意味が無いからである。法は人間のための物であり、人外には適用されない。人の法を人外の者が守る謂われは無く、拘束力を持たない。故に人外の者が人に危害を加えるならば、排除するのみだ。
だが目の前の魔族は捕獲されている。一瞬作り物かもしれないと疑い前に回り込んでみるが、規則正しく微妙に上下している肩の動きと、目と口が縫い閉じられたその生々しい様子に、それが本物であることを確信する。
「あの噂は本当だったのか……」
魔物を兵として利用する計画を軍部が検討している事を、話には聞いていた。その場合にまず捕獲する役目となるのが、他ならぬハロルドの様なエクソシストだからだ。しかし捕らえるのは倒す事に比べ、何倍も難しい。この魔族の捕獲までに味方にどれほどの被害が出たのか、ハロルドは想像するだけで気鬱になる。
「このような魔物を使ってまで戦争とは……ネヴィスの誇りはどこにいったんだ……」
しかしあくまで軍人であるハロルドは、上層部の決定にはいかなる事にも従わねばならない。
内にわだかまりを抱きつつも、ハロルドは艦長を再び探しに戻る。
その時、再び届くあの声。
(טיפות של זמן(悠久なる刻の滴の前に)……)
その異様に不快な声に振り返ってみてみるが、他の兵は気がついていない様だ。ハロルドが、エクソシストとしての訓練を受けているが故に聞こえるのか、ふと思案するが、答えは出ない。
ただ一つ、ハロルドはその声に気になる事があった。
「これは……歌……なのか?」
視線の先では、クレーンで吊り上げられた砲台の装甲が、魔族を覆い隠す所だった。