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『DOLL HOUSE』

 ソイカーボーイの『DOLLHOUSE』で私たちは酒を飲んでいた。何か文句あるのかと天井を眺めながら。

 二階ではセーラー服姿の娘達が強化ガラス越しに腰をくねらせて踊っている。たまに横切るカクテルライトがスカートの中をそっと照らす。

 客はファラン(欧米白人)が半分ぐらい、後は日本人を筆頭に中華系の男達が混じっている。

 ボリュームを開ききったダンス音楽が四隅に仕掛けられたスピーカーから響く。


 一階バーの中央ホールではダンサーがポールにつかまり気だるそうに音楽にあわせて体を揺らしている。

 男達は水着姿の女達より天井に見えるスカートの中にご執心のようだ。流れ星を待つかのようにみんな上を向いている。ときおり踊っている娘達は、アホだなこいつ等という視線を向けて股を少し開いたりする。


 前の席に座っている二人連れの日本人が何度も、

「ノーパンだよ」と確認しては嬉しそうにビールを口に運んだ。

「こんな事してて良いんですか?」と蛍川が現実に戻す呪文を呟いた。


 音楽でかき消されたはずのその言葉は前の席の男達にも聞こえたのかこちらを振り向いた。私は作り笑いを向ける。

「焦るなって。手はうってあるんだ。そんな事よりあの29番どうだ。蛍川の好みだろ。ちょっとロリっぽいか……」


「彼女は子持ちの二十五歳。この前言いませんでしたっけ。旦那は闇金融のブラックシャークに殺されたって。それに尻に刺青があるんです蜘蛛の……」

「そうかそうか、さすがCIA……」

「?」

「いや何でもない」とそっぽを向いた。CPA(会計士)の資格を持っているんだ


 バンコクに舞い戻って来なくても良いものを。ニューヨークなんて、やたらとポジティブな街じゃ疲れちまうだろうけど。ここよりは良いかも知れない。どちらが天国かと聞かれたら返答に迷うが。地獄はやっぱこっちの方が近いと思う。


「明日で一週間でしょう」

「良いじゃないか深く考えなくても。こうやってビールが飲める。

女の子は裸で踊ってくれる。他に何が必要なんだ?」

「そうじゃないでしょ!」


 蛍川はニューヨークに戻った方が良いんじゃないかと時々思ったりする。責任感が少しでも残っているうちにこの街とおさらばしないと二度と出て行けなくなる。そんなタイ化した日本人や欧米人が腐るほどいた。この店より心躍る場所があるかは疑問だが。

 そう言えば学生のパンツを手鏡で覗こうとして捕まった大学教授がいたっけ。私は奴をこの店で見かけたことがある。余計な肩書きを捨ててあのままビールでも飲んでれば恥ずかしい思いをしなくて済んだのに。不幸な奴だ。


「三村って覚えてますか?」

「はあ?」と耳を傾けた。

「昔、僕と一緒にボランティア団体を立ち上げるってカオイダンの難民キャンプに」

「いつの話をしてるんだ」

「耕さん取材しに来たじゃないですか。ライカのM5を大事そうに抱えて」

「そんな四半世紀も前の話」

「夢だったなぁ、あの頃は……何とか難民キャンプを自活できる共有体にしょうって……」


「なに独り言をいってるんだ、ほら姉ちゃんが合図しているぞ」と入口付近にいた赤いミニのワンピースを着た女を指差した。

 手招きされるままに蛍川は席を立った。


 全くあいつは感傷的でいかん。酒がしみったれてしまう。

 ほら、これだ! 短パンのポケットが急に振動した。誰がこんな便利な物を発明しろと頼んだんだ。この小さな鉄の塊は人間様より偉いらしい。どこそこ関係なく人を呼び付けやがる。


 無視しても良いのだが、そろそろ金になる話を探さないといけない。妖怪女から受け取った手付金は酒場の支払いで目の前を素通りしてしまった。

「はいはい」とモバイルフォンを手にとり外に出た。いくら私が恥知らずでもゴーゴーバーの中で受信はしない。大体、煩くて聞こえない。


「早くその店を出ろ!」と火急な声が残った。返事をするまでもなく電話は切れた。警察の手入れかと辺りを見回したが別段変わった様子は無い。

 リダイヤルしようと受話器をプッシュしてみたが番号は残っていなかった。私を酒の店から引きずり出そうとは良い根性だ!

 

 モバイルフォンのボタンを押し、ララに電話をした。仕事の電話

なら事務所に伝言が残っているかもしれない。これでも私は仕事熱心だ。お金を貰うまでだが……。

 

 電話が繋がるのを待っていると、手前に象が歩いて来やがった。田舎者の象使いが餌用のサトウキビを二十バーツで買えと盛んに勧める。これでも外国人には見られているようだ。諸君、私は金持ちではないのだよ……。

 続いて客引きをしているお色気娘達が腕を取って他の店に引っ張り込もうとする

「おいおい、まだあっちの清算が済んでない」と日本語で喋ったが通じるわけも無い。

 

 喧騒の中を宝くじ売りが板箱に何枚も貼り付けて歩いていく。ちょっと買うか。二枚一セットで八十バーツぐらいだ。最高当選額は四百万バーツになる。


「おい、どこに行くんだ。買ってやろうと言ってるだろう」と酔っ払うとタイ語が頭から吹き飛んで日本語でまくし立ててしまう。その男は何を血迷ったのか店の中に入って行ってしまった。おいおい良いのか……。

 

 女達が余りにしつこく腕を引っ張るので向かいの店に足を踏み入れた。

 耳に何か言われた言葉が引っかかった。それを思い出そうとした時、突然爆音が響いた。爆竹にしては大きすぎた。すぐに通りの電灯が消える。


「キャーアァ!」という悲鳴が響いた。

 私が外に出ると『DOLLHOUSE』は爆裂していた。路上には化粧合板が散乱しガラスの破片が飛び散る。板切れの下には焼け爛れた腕が転がっていた。鉄筋が剥き出しになった建物からは硝煙が立ち上り今にも崩れそうだ。中から血だらけの女が幾人も叫び声を上げて出て来た。


 カンボジア内戦を取材していた頃を思い出した。だがここは戦場ではない。過去の醜態を嗜め、不運だった人生を慰める場末の酒場だ。


 千切れた電線が火花を上げて落下してきた。周りの店から女達の悲鳴があがる。屋台の男が火を消そうとバケツを持って走っていく。恐る恐る近づく野次馬達。闇の中で店は業火を上げ燃え始めていた。


 数分たってやっと中に蛍川がいた事を思い出した。

 足がすくんだ。戦場ではないと自分に言い聞かして足を進めた。四散した真っ黒な死体、うめいている女。どこにいる蛍川……。


 その時、二回目の爆発が起った。閃光で視界が真っ白になる。

灼熱の爆風が全身を覆った。続いてガスの臭いがする、それが気を失う前の最後の反応だった。


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