1.陥落
勇者は剣にべったりと着いていた緑色の粘液をふるい落とす。
辺りを見回し、自分が大広間にいるのに気がつく。
(戦っている間にここまで移動してたか……)
暗くて分かり難いがよくよく目を凝らすと柱全てに美しいリーフの技巧が施され、その柱の材料も市街地ではお目にかかれない珍しいものらしく白い柱自体が発光している。
(……立派だな)
勇者は芸術には疎い方だがそれでも人並みの感性は持ち合わせているつもりである。
暗い大広間をぼんやりと照らす柱が職人の技術の結晶であるのは分かる。
しかし十数本ある柱の内、無事なものは二本のみで殆どの柱は砕け散り切り捨てられ焼け焦げている。
こんなにしたのは勇者なのだが。
白い柱だけではない。綺麗に磨かれていたであろう床もひび割れ陥没し、壁や天井には亀裂が走っている。
豪華なシャンデリアも落ちて粉々になり、床にガラスに似た欠片をばらまいている。
(……まるで廃墟だな。瓦礫とかで怪我しないようにしないと)
ぼんやりとそんな事を考えていた勇者は、石同士の擦れる音を聞き、そちらに目を向ける。
勇者の視線の先には怪物がいる。正確には緑色の血で塗れた怪物がいる。
五メートルはあるであろうその巨体を柱に預け、虫の息という状態である。
勇者は荒い息を繰り返す怪物をつまらなさそうに見つめ、興味なさそうに言う。
「……まだ生きてたんだな」
怪物に近付くと腰の剣を抜き、切っ先を躊躇い無く先程まで戦っていた『それ』に向ける。
「一応、殺しとくか」
スッと剣を構える。構えたまま怪物に言葉を投げかける。
「言っときたいこととかあるか?」
どうせ無視されるだろうと思って放った言葉はしかし裏切られる。
『……ヒトの勇者よ。なぜそのようなことを聞く?』
獣のようなうなり声で返事がきた。
返事があったことに面食らいながら勇者は疑問を口にする。
「そのようなこと?」
『……魔族であるワタシの最後の言葉を……何故、聞こうとする?』
流暢だが聞き取りにくいという矛盾した声に眉を顰める。
『ワタシの言葉はお前には何の価値もないであろう?』
あ、そういうことか。と勇者は頷くと、
「人間だろうが魔族だろうが死ねば同じだ。だから残したい言葉があるかもと思った」
(ま、例えあろうがなかろうが俺にはどっちでもいいけど)
声をかけたのは単に勇者の気まぐれであり、他意はない。
『そうか。……ならば我が主を頼む』
「…………は?」
今からその主を殺そうとしている勇者に言うのは筋違いというか頭がお気楽すぎる。
勇者の表情を読み取ったのだろう獣の怪物は咳き込みながら
『……ヒトの勇者。行けば、分かる』
「殺さない約束は出来ないぞ」
『いい。……話をしてくれれば、……それでいい』
「…………」
意味は分からないが、勇者がやることに変わりはない。
(魔王を見つけて、殺す)
この想いは強い決意からくるものでは決してない。
例え想いの起源がそういった立派なものであったとしても、今の勇者にはその搾りカスも残っていない。
数多の敵を屠り、同じ数の仲間を失う内に、そういったものは削り取られ零してきた。
目的も忘れ決意を失ってもなお、ただ魔王を殺すという執念だけがたまたま残っていただけである。
勇者の心は確実に壊れかけていた。それこそ魔王を殺したらそのまま死んでしまうくらいには限界だった。
勇者は振り上げた剣に力を込める。
「……じゃあな怪物」
『……さらばだ。ヒトのカタチをした化け物よ』
勇者は魔王城に残った最後の配下に刃を振り下ろす。