02
結局、決定されてしまった衣装問題から逃げ回ることが、このことに対するエルラルドの対抗手段となった。
「仕方ないと思って諦めろ。大臣達の総意だ。今のおまえには、あの爺共を論破できない。……どうせ後少しのことだろうから我慢して付き合ってやれ。今の時期だけだぞ、女装して違和感がないのは。まあ、おまえがもう少し大人になってからもドレスを着たいって言うなら、成長具合によっては目の毒だから止めて欲しいが?」
シルファーに意味ありげな視線を向けられて、エルラルドが顔を顰める。
「するかッ、そんなこと!」
……遊ばれている。
頭では理解していたが、感情を抑えきれず反射的に怒鳴る。その素直な反応に、シルファーがクツクツと楽しげに笑った。
「なんにしても、今はしっかり勉強するんだな。これからおまえがこの国を背負っていくんだ。急がなくていいから、実のある人間になれよ。――この俺のようにな」
シルファーの珍しく真面目な言葉を真摯に受け止めていたエルラルドだったが、間を置いて足された最後の言葉に鼻白む。
冗談か、本気か。
シルファーのこういう部分が、エルラルドには理解できない。
瞳は真剣に見えるけれど顔は笑っているし、口調もおどけたもので冗談なのか自信過剰な本気発言なのか判断に迷うのだ。
エルラルドから向けられる呆れた視線を無視して、シルファーは彼の頭をポンポンと軽く叩く。そして、ウォロが出ていった出入り口とは反対方向にある出入り口に向かって歩いていった。
「おまえ、俺を探しに来たんじゃなかったのか?」
エルラルドは頭を振り、その背に問い掛ける。
「……いちおうそういうことになる、か? とは言っても、おまえが衣装合わせから逃げようが俺には関係ないし、そんなことどうでも良い」
ヒラヒラとシルファーが手を振って答えたそこへ――。
「どうでも良くないわい!!」
それを否定する声がした。
その声、その口調――、その姿。
一度は去ったはずのウォロが出入り口に立っていて、それを見つけた二人は思い切り顔を引きつらせる。
「やはりこちらに居られましたか、エルラルド様。衣装合わせの時間はとうに始まっておりますよ。早く部屋へとお戻りください。シルファー、そなたも見つけたならすぐに知らせよ。毎回一番初めに見つけておきながら、毎回素知らぬ振りをするとは。だいたい、おまえは――」
このまま長々と続くかに思われた説教が唐突に止む。ウォロはただでさえ険しかった顔を更に険しくさせていた。
「どこにおいでです、エルラルド様。シルファー、おまえもだ。魔法を使って逃げようなど、この私が許すと思っているのか?」
硬直した二人の側へと、ウォロはつかつかと歩み寄る。逃げの態勢に入っていた二人は、地の底を這うような低い声にその場で硬直した。
さすが、師だけのことはある。
ウォロはシルファーの魔術の師でもあった。よって、必然的にエルラルドは彼の孫弟子ということになる。この王城内で一番強い魔法使いは彼なのだ。
だが、それとこれとは別なのか。エルラルドには逃げられてばかりで、毎回彼を捕まえるのに苦労していた。
「シルファー、おまえも来るんだ。戴冠式で着るドレスの試着をエルラルド様にして頂くには、おまえも居た方が良い」
「そんな……」
反論しようとしたシルファーを、ウォロは一睨みで黙らせる。当然、立場は彼の方が上で、この場から逃げ出すことに失敗した以上、その言葉にシルファーは従わなければならない。
ウォロはエルラルドの腕を掴み、逃げられることがないように部屋まで連れて行こうとした。
その力は意外に強く、しっかりと掴まれているため彼の手をエルラルドが振り解こうとしてもびくともしない。それでも抵抗するようにエルラルドはその場で足を踏ん張り、じりじりと引き摺られるように進みながら叫んだ。
「ウォロ。俺はあんなピラピラしたドレスなんて着たくないんだよ。なんでドレスなんだ。俺は男だ。今、着ているような男物で十分だろ?」
その言葉で掴まれた腕が解かれることはなかったが、ウォロの足は止まった。彼はエルラルドの方へと向き直り、まっすぐに彼の瞳を見つめて真剣な表情で諭す。
「そうはいきません。男性が王位に就いたという前例がない以上、事はなるべく慎重に、慣習に則って行うべきなのです」
「そんなこと言って――どうせ、おまえがゴリ押ししたんだろ?」
もっともな言い分に聞こえるが、それには多分にウォロの主観が入っているはずだ。エルラルドの目付け役である彼の発言権は大きい。
冷やかで疑わしげな眼差しをエルラルドから向けられ、ウォロは誤魔化すようにわざとらしく咳払いをする。
傍からそんな二人の様子を、シルファーは浮かびそうになる笑みを必死に堪えながら見物していた。自分に火の粉が降りかかることがないように、口を挟むことはしない。
「ドレスが似合うのですから、良いではありませんか。それとも――エルラルド様は先代女王でいらっしゃられた母君と良く似た、その顔立ちがお嫌いですか?」
開き直り、矛先を変えて問うウォロに、エルラルドは言葉を詰まらせる。
この話題が出たのは、何も今回が初めてではない。彼は経験から知っていた。返答次第では、母がどんなに偉大だったかにまで話が飛ぶということを。
それこそもう、何度も何度も聞かされてきた話だ。それをまた長々と聞くことになるなんて――説教と同じくらい最悪だった。
ここは慎重に……。
エルラルドがどう答えればいいか悩んでいると、バタバタと騒々しい足音が聞こえ、徒党を組んだ城内の者達が現れる。
「エルラルド様、ウォロ様、シルファー様。御三方ともこちらにおいででしたか。大変です! 重大事です!! スノーリルト最大の危機です!!!」
先頭の青年が一息で捲し立てる。息は乱れ、顔面蒼白。青年は必死な様子で訴えたが、対する三人はといえば落ち着いた、またかとでも言いたそうな顔をしていた。
「何事だ?」
静かな声でウォロが青年に問い掛ける。
重大事という言葉に、なぜ彼らはこれほど落ち着いていられるのか。それは、その言葉が城内で日常茶飯事に使われていたからだった。
些細なことで大騒ぎする。
平和な、平和すぎる時代が続いたために起きた弊害なのだろう。のんきな国民性も災いしたのかもしれない。
日常茶飯事過ぎて慣れてしまった、その騒ぎに踊らされても疲れるだけだと、彼らは経験から知っていた。
ただ、今回は徒党を組んだ者の数がいつもより多い。しかも、普段は大騒ぎに混ざらないような人物まで交じっていたのだけれど――それでも三人が三人とも事を重大だとは捉えなかった。
ある意味、慣れとは恐ろしいものである。
「それが――。その……恐れ多くて、わたしの口からは言えません」
青年の顔色は蒼白を通り越して、土気色に近い。彼は確か、宝玉の間の警備を任されていた者の一人だった。思い返してみれば、普段はこんな騒ぎに参加するような人物ではない。
だが、そうだとしてもその返答は如何なものか。余程の事態なのかもしれないが、言ってくれなければ対処のしようもない。
「…………それでは、おまえ達は何をしにここへ来た?」
顔を引きつらせたウォロが低い声で問い掛ける。そちらに気を取られ、エルラルドを掴んでいたその手は外れたが、エルラルドは予想外な返答に絶句して、唖然とした表情でその場に突っ立っていた。
シルファーもまた、その返答には驚いた表情になったが、ウォロの声を聞いてその顔を引きつらせていた。
ウォロの機嫌がいっきに悪くなったことを感じ取り、反射的に彼の身体は逃げの態勢を取ろうとする。けれど、彼はなんとか理性でそれを押し止めた。
ここで下手に逃げ出せば、後でどのような報復があるか想像できる。そのくらいには長くウォロの弟子をしている。
結局、その場から動くこともできず、無言でシルファーは事の成り行きを見守るしかなかった。
「ですから、そのことを伝えに――」
途切れた言葉の後に続く、沈黙が痛い。
肌に突き刺さるような冷気の発生源の肩が震え、
「馬ッ鹿も~~ん! それなら内容を言わんか、内容を!! 聞かねば分からんだろうがッ」
仁王立ちし、カッと目を見開き鬼のような形相になったウォロの大音声が、その場に響き渡ったのだった。




