01
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
ここはどこかの世界にある、どこかの大陸の、その中にある小さな国の、小ぢんまりとした王城である。
スノーリルトと呼ばれるその国は、代々「雪の女王」が治めていた。
第二十四代雪の女王は、若くしてその生涯を終える。
彼女には子が一人だけいた。まだ成人もしていない子が、一人だけ。
王位はその子に受け継がれる。第二十五代雪の女王として扱うが、正式には子が成人してから戴冠することになった。
そうして数年が経った、そんなある日のこと。
「雪の女王様、どこにおいでです。エルラルド様――」
先代からの重臣であり、次代の目付け役でもある初老の男が城内を探し回っていた。けれど、いくら呼んでも返事はなく、目的の人物は見つからない。
「まったく、どこに行ってしまわれたのか。目を離すと、すぐにどこかへ消えてしまう。今日はこれから衣装合わせだというのに」
ぶつぶつとぼやき、初老の男は重々しくため息をつく。
手の空いている家臣総出で探させている。門番にも話はつけてあるので、城外に出たとは思えない。けれど、見つけたという連絡はいまだになかった。
初老の男は再びため息をつき、別の場所へと移動した。その姿がまったく見えなくなるのを待って、ほっと木の陰から安堵の息を吐き出す者が一人。
「あぁ~、やっと行った。まったく冗談じゃねぇよ」
やれやれと頭を振り、がっくりと肩を落とす。そして、その場に足を投げ出し座り込んだ。
「やっぱここにいたか。毎回毎回芸がないな、おまえも」
安心しきっていた所へ唐突に背後から声を掛けられ、木の陰の主は反射的に肩をビクリと跳ね上がらせる。
「……急に出てくるなよ、へっぽこ魔法使い」
その声はよく聞きなれた声だ。振り向けば、そこには馴染みの顔がある。
へっぽこ魔法使いと呼ばれた青年は、不愉快そうに一瞬ピクリと片眉を動かした後、にっこりとその顔に満面の笑みを浮かべた。
「それは失礼いたしました、雪の女王様。でも、そんな口をこの私にきいてもよろしいのですか? 雪の女王様。あなた様の師でもあるこの私に。――そういえば、ウォロ様があなた様を探しておいででしたね。お連れいたしましょう」
一変して口調は丁寧に。けれど、木の陰の主が言われるのを嫌がる単語を、わざと強調しながら繰り返し使う。何より最後の言葉は無視できないものだった。
それは木の陰の主にとって脅しと同義だ。今はなんとしても捕まるわけにはいかない。
「悪かった。おまえは一流の魔法使いだよ」
慌てて謝罪する。連れ戻されては、せっかく逃げ出してきた意味が無い。
それに実際の所、青年はこの王城内でも二番目に強い魔法使いで、へっぽこではなかった。
「本当に悪かった。だから、見逃してくれ。俺は衣装合わせなんて絶対に嫌だ。あんなピラピラしたドレスなんか着て、人前に立てるか。冗談じゃない。俺は男だぞ。それをあいつらよってたかって次から次へと、俺を着せ替え人形にしやがって……ドレスが似合うと言われて喜ぶ男がどこにいるって!」
胡座をかき、心底嫌そうに顔を顰めているのは、どこをどう見ても少年だった。けれど、この少年こそが第二十四代雪の女王のたった一人の忘れ形見。
そう。第二十五代雪の女王の性別は男。まっとうな神経を持った、ちょっと口が悪い少年だった。
少年の訴えに、青年が苦笑する。
青年の名はシルファー。雪の女王である少年、エルラルド=アル=スノーリルトの魔術の師であり、世話役でもあった。
シルファーにはエルラルドの心情がよく分かる。けれど、立場上それをどうにかすることはできなかった。
雪の女王。
代々女性が王位につき、スノーリルトを治めていたことから根付いた呼称だとも言われているが、真実は分かっていない。ただ書物や口伝によると王家には代々女性しか産まれず、王位を継いだ者は皆、雪のように白い肌を持つ淡い髪色の者ばかりだったらしい。
要するに、必然的に女性が王位を継ぐしかなかったということだ。
しかしながら、事実はどのようなことだろうと現在、王家の血が受け継がれているのはエルラルドだけだった。
エルラルドが産まれた当時も大騒ぎになったが、彼の母である第二十四代雪の女王が身罷った時はそれ以上の大騒ぎとなった。彼女の死は早過ぎたし、何よりも後継者は男であるエルラルドだけ。しかも、彼はまだ幼かった。
スノーリルトは小さな国だ。その動揺は国中へ伝染した。
だが、その騒ぎもあることがきっかけですぐに収まる。代々の女王に受け継がれてきた宝玉が、エルラルドを次代の雪の女王と認めたのだ。
宝玉はこの国を維持するための要で、代々の女王を見守り導き、次代を育てる役割を果たす存在だった。宝玉が認めたのなら、それに異存を唱える者などいない。
宝玉があるからこそスノーリルトは存在し、宝玉に認められた者だけが玉座を継承する。
それが古くから守られなければならない、この国のしきたりだった。しきたりが破られた時には必ず国内を天候不順が見舞い、それによって多くの民が死した。史実がそれらを物語っている。
とはいっても、ここ数代は継承争いもなく平和な、平和すぎる時代が続いていた。
それはさておき。なぜ衣装合わせでエルラルドはドレスを試着させられることになったか、という話に言及すると、だ。
まずどうして衣装合わせをしているのかといえば、戴冠式の正装を決めるためだった。宝玉に認められ第二十五代雪の女王となったエルラルドだが、それは公式のものではない。対外的にはまだ次代と扱われ、王位は空位のままだった。
第二十四代雪の女王は善政を施し、彼女を支える大臣達は優秀で私利私欲には走らない、国思いの者ばかり。彼らは母親を亡くしたばかりの幼いエルラルドのことを考え、正式に戴冠するのは彼が成人である十六歳になってからと話し合いで決めた。それまでに雪の女王の位に恥じないよう、彼を立派に育てようと――。
現在、エルラルドは十五歳。あと数カ月もすれば十六歳になる。
ではなぜ戴冠式はドレスで、ということになったかといえば、前例がなかったから。それだけのことだった。
男性が王位についたことは一度も無い。前例がないから、どうすれば良いのか分からない。ここにきて大臣達は困った。女王にもある程度決まった形式の正装というものがあるのだ。当然、それはドレスだった。
悩んだ末に、大臣達は結論を出す。
あまり形式を変えるものではない。着られるうちはドレスを着ていただこう、と。
この決断が下されたその要因の一つに、エルラルドの容姿がある。彼は母親に似て、整ったきれいな顔立ちをしていた。
雪のように白いきめこまやかな肌に、グレーに碧のかかった瞳、さらさらと真っ直ぐな、色素が全体的に淡い王家には珍しい黒髪。
そして――少年体形。
そのことを指摘でもしようものなら当人は憤慨するだろうが、横にも縦にも成長していない彼は女装させることにまったく違和感がない。そんな容姿の持ち主だったのである。
多勢に無勢。本人の意思は黙殺されたのだった。