私の婚約者に付きまとっていた男爵令嬢が急に姿を消しました
「ノエル様、おはようございます!」
登校中、後ろから一人の女生徒が走って来た。私の隣に肩を寄せてくる。ふわりとしたピンクブロンドの髪に、優しそうなたれ目のベティ・ギャロウェイ男爵令嬢。その笑顔を見て彼女を嫌いになる者は居ないだろう。……初対面ならば。
周りに居た私の友人たちは眉をひそめている。当然だ。今、私と彼女たちが話している所へ突然ベティが割り込んできたのだから。
「ベティ様、後にして下さらない? 今は私たちがノエル様と話しているの」
友人の一人、カーラが注意する。また別の友達が言う。
「ノエル様はガーネット公爵家の御令嬢で、あなたは男爵令嬢。もう少し適切な距離を……」
「ええ、分かっておりますわ」
ベティは何度も頷く。
「学園の外で会ったならば礼を尽くして接します。けれどこの学園は生徒の身分に関係なく平等であることを尊ぶ場所。だから良いではありませんか!」
言いながら、彼女はその可愛らしい小顔を私の肩にこてんと乗せてきた。
ベティの一点の邪気もない笑顔が私はちょっと怖かった。その言葉は上の身分の者が言うなら分かるが、身分が下の者が言えば無礼を開き直る言葉にしか聞こえない。
私は一度ため息を付いた。
***
ベティとはそもそもクラスも違う。
彼女との接点が出来たのは三か月ほど前、選択制の刺繍の授業で、ペアになったのがきっかけだった。手先のおぼつかない様子の彼女を見かねて、私は手取り足取りといった形で教えてあげた。
お礼を言う彼女の嬉しそうな顔を見て「フレンドリーな子だな」と思ったけれど、縁はそれきりだと考えていた。
まさかそれを機に、まとわりつかれるようになるとは考えてもみなかった。ベティは寮から学園に登校する時も待ち伏せていて、先ほどのように割って入って来る。
他の生徒には「私、ノエル様の親友なの」と喧伝しているようだ。信じる生徒が少なかったのは救いである。
彼女は休憩時間にもよく私の所に来るようになった。
もし私が一人ぼっちだったなら彼女の存在は嬉しかったかもしれない。けれど既に私の周りには沢山の良い友達が居た。彼女たちからすれば身分も異なり、礼を失した馴れ馴れしさの男爵令嬢は完全な異物。
みんなベティを注意するけれど
「ひどいわ。私、ノエル様と仲良くなりたいだけなのに。だってこの学園では平等が是ですから」
と涙声で返される。
何だかこちらが悪者のような気がしてきて、それ以上は誰も強く言えなかった。
ベティの言う通り、この学園では生徒間の平等を重んじている。けれど殆どの生徒は無意識に身分差を意識し、無作法な真似はしない。
それに平等というのは差別やいじめを牽制するための、あくまで建前だ。
その証拠に、この学園にも上位貴族だけが受けられる恩恵が存在する。例えば予約制のティールームを使えたり、学食には上位貴族しか頼めないメニューもある。
ちなみにベティはこれらの恩恵にもあずかろうとしていた。
「私はノエル様の親友なのです!」と言ってティールームを使おうと粘っていたし、学食には私たちに付いて来て、上位貴族のみが頼めるメニューをさらっと注文している。初めにそれを見た時には流石に笑ってしまった。
また手癖の悪さも垣間見えた。
「刺繍の参考にしたいから」といって、私のハンカチを持って帰ったと思ったら、全く返してくれなくなったこともある。
何度「返して」と言っても「次の日持ってきます!」と繰り返すだけ。
ここまでなら私もギリ我慢しようと思ったのだけれど、何より許せないことがあった。
休み時間になると私の所に来ていたベティが、3日ほど居ない時があった。やっと諦めたのかと安堵していたところに思いがけない知らせが届く。
その日、カーラが慌てて教室に入って来た。どうしたの? と聞いても息を切らしていて中々話し出さない。
「何があったの?」
もう一度ゆっくり聞く。
大きく息を吸い込んで、カーラは答えた。
「ノエル様、ベティ様がアーヴァイン王子と歩いていましたよ」
私は呆然とした。
ベティは私の婚約者であるアーヴァイン第三王子にも接近を試みていたのだ。
アーヴァイン様は金髪碧眼の美しい顔立ちで、身分が無くても「王子様」ともてはやされそうな見た目をしている。
頭が良くて紳士的な、私の大好きな婚約者だった。
女生徒たちからは人気があるけれど、勿論彼が婚約していることは周知の事実。アプローチをかけようとする者はいなかった。……ベティ以外は。
アーヴァイン様は理性的だ。それとなく「僕には婚約者がいるし、王子相手に馴れ馴れしく触れたり話しかけたりしてはいけないよ」と注意していた。
そこまで言われれば普通の貴族令嬢なら引き下がるところだ。
しかしベティは一味も二味も違う。
何とアーヴァイン様にアプロ―チを繰り返したのだ。ベタベタするどころか「ノエル様より私の方が可愛いでしょう」と言っているらしい。
最早鋼のメンタルを持っているのか、それとも「平等」という免罪符を持って突進を繰り返すイノシシなのか、どっちかなのだろう。
私はアーヴァイン様に「あなたも少し強く言って下さらない?」と求めた。けれど彼は
「まあまあ、彼女もまだ未熟で、常識を分かっていないだけだから」と優し気に笑うだけだ。
彼がベティの誘惑を退け続けていることは知っていたけれど、その中途半端な態度に私はかなりモヤモヤしていた。
***
我慢できなくなった私はついにベティを呼び出した。
「これ以上私と、私の婚約者に近づかないで下さい。これはあなたのためでもあるのです」
今までになく真面目に、かなり強く注意した。
ベティは黙って聞いていたのだけれど、やがて涙を流し始めてしまう。
「ひ、酷いですわ。私はただ、この『平等』な学園で、皆さんと仲良くなりたかっただけなのに……! それをノエル様は公爵令嬢である立場を利用して、立場の弱い私に命令をするのですか?」
と言う。
私は怒っていたのに、呆れて口を開けてしまった。ああ、この子には何を言っても無駄だ。その瞬間分かってしまったのだ。
私は考えた。
父に言って、男爵家に抗議してもらうことは容易い。それこそ公爵家の権力を使ってベティを退学させるなんて、わけもない。
けれど、と思う。
これは学園内で起きていること。それならば、この鬱陶しいベティとのいざこざも学び。避けて通らず、自分の力で解決しなければならない気がした。
***
そして次の日。私は清々しい気持ちで登校していた。対策も沢山考えてきていて「よし、これなら大丈夫」と心から思えた。
登校中はベティと会わなかった。昨日夜更かしして案を出していて、登校時間がぎりぎりになってしまったのだ。
教室に入ると生徒たちの声が姦しい。いや、姦しいというより騒然としている。どうしたのだろう、校庭にワイバーンでも乱入してきたのだろうか。などと考えていると、カーラが私の席に寄って来た。
「ノエル様、あの件、お聞きになりました?」
「あの件?」
私は首を傾げる。
「えっ、本当にご存知無いのですか」
カーラは目をぱちくりさせている。心底意外そうだ。
「ええ、知らないわ。何があったの?」
聞きながら私は教科書を整理していた。どうせ大したことではない。カーラは何でも大袈裟に言う癖がある。
「ベティ様のことですわ」
私は再び視線をカーラに移した。
「彼女がどうしたの? そういえば今日は未だ姿を見ていないけれど」
私は教室を見回す。いつもなら授業前にも押しかけてきているところだ。
「さらわれました」
私はカバンから机に移していた教科書を、床に落としてしまった。
「今なんて?」
「ですから、彼女が昨日、学園から帰ろうと校門を出た瞬間、複数の男に馬車へ押し込まれる様子を目撃した生徒がいるのです」
***
我がガーネット公爵家はこのアルバン王国でかなりの権力を持っている。そしてそれを面白く思わない勢力は当然存在する。一人娘の私に害をなそうとする者が居てもおかしくない。
とはいえ学園のセキュリティは厳重。私の周りにも、友達に見せかけた護衛が複数人付いている。それに私は寮と学舎の往復をしているだけで、殆ど外には出ない。
お陰でこれまで危険に晒されたことなど全く無かった。
けれどベティは侍従も連れずに徒歩で自宅から通っている。その上彼女は「私はノエル様と親友なのです。彼女の事で知らないことなどありませんわ!」と豪語していた。そんなことを声高に叫び続けていれば、彼女から公爵家の情報を引き出せないかと思う敵勢力がいてもおかしくなかったのだ。
私は彼女に「これ以上私と、私の婚約者に近づかないで下さい」と言ったのは何も身分差を考えてだけではない。「私に近づきすぎると危険ですよ」という意味も籠っていた。
……とはいえ、まさか拉致されるなどとは、流石に私も考えていなかった。完全に想定外だった。
彼女は今頃、どんな仕打ちを受けているのだろう。
***
三日後、ベティは自宅前で縛られたままポイ捨てされていた。とんでもなく憔悴している様子だったという。
サクッと解放された理由は、生徒たちによって色々と考察されていた。
一番有力なのは、どんなに脅しても絞っても、何一つ私のことなど吐かなかったからだという説だ。だって本当に知らないのだから。
誘拐犯も「これ以上こいつを抱えてても仕方ない」と悟ったのだろう。
彼女は解放されてから何日か経って、一応学園には復帰した。けれどこれまでの天真爛漫さが嘘のように大人しくなっていた。私とすれ違っても一気に距離を取ってしまう。
それはそれで失礼なのではと思ったけれど、快適だから良しとする。
***
私は婚約者のアーヴァイン様と、ティールームで二人だけのお茶会を楽しんでいた。久しぶりに味わう安らぎだった。
「それにしても、ベティ嬢が傷物にされていないようで良かったわ」
これは本心だった。私は彼女に距離を取って欲しかっただけで、苦しむことを望んでいたわけではない。
私はカップに口を付けた。
「それはそうさ。僕が『絶対に手を出すな』ときつく言っておいたからね」
私は動きを止めてしまう。それはまるで、自分が誘拐事件の首謀者であると自白しているような言葉だった。
表情を伺うと、何事もなかったかのように柔和な笑顔で、私を見返してくる。
「まさか、あなた……」
「人間、誰しも転ぶのなら早い方が良い。傷の治りも早いし、やり直しも利くさ」
静かな言葉だった。笑顔だけれど、その瞳の奥に、言い知れぬ黒さを感じる。
「それに……」
アーヴァイン様はティーカップを持ち上げ、手首のスナップを使って中の紅茶をぐるぐる揺らしている。不意に彼の笑顔がサッと消えた。
「それにベティ嬢は君に害をなした。『おいた』をしたらどんな人間でも罰を受けなきゃいけない。だってこの学園ではみんな平等なんだから」
アーヴァイン様はカップを置き、「ねっ?」といつものように、柔和に笑いかけてくる。
この人が味方で良かった。いや、敵でなくて良かった。心からそう思いつつ、冷めてしまった紅茶を飲み干すのだった。
おわり




