妹を最優先する婚約者ですが、私にはむしろ好都合です
私ことリディアの婚約者様であるセオドア様は――。
いずれ受け継ぐ爵位は伯爵家。古くから続く名門で、領地も広く、財産も十分にある。しかもセオドア様本人は端麗な容姿の持ち主で、性格も穏やか。仕事もできると評判だ。
ここまで聞けば、非の打ち所がない婚約者だと思うだろう。
――ただし、このセオドア様。
実は、これまでに二度も婚約破棄を経験している。
家柄も、財産も、容姿も、性格も申し分ないのに。婚約者となった令嬢たちは、ことごとく彼との婚約を解消してきた。
理由は、ただひとつ。
“セオドア様が――婚約者よりも、妹を優先するから”
一番目の令嬢は、はじめてのお茶会で、それを思い知らされたらしい。
婚約が決まってから設けられた、二人きりのお茶会。これから夫婦になる相手と、はじめて会話を楽しむ。そんな時間を、令嬢はきっと緊張しながらも楽しみにしていたことだろう。
ところが、お茶会の途中。何の断りもなく、セオドア様の妹であるラヴリー様が部屋へ入ってきた。そして、兄の姿を見つけるなり、
『お兄さま、遊んで~!』
と甘え始めた。婚約者がいることなど、まるで気にしていない。普通なら、そこで兄として妹をたしなめるところだろう。ところが、セオドア様は違った。
『可愛いだろう? 自慢の妹なんだ』
そう言って、嬉しそうに笑ったという。
そして、婚約者の令嬢に向かって、『良かったら、一緒に遊んでくれ』と言ったらしい。
……一番目の令嬢は、キレた。当然である。
婚約者との初めての二人きりのお茶会に、妹が勝手に乱入してきた。それだけでも十分に気分を害するというのに、婚約者であるセオドア様は妹を叱るどころか、嬉々として紹介した挙げ句、自分の婚約者に妹の遊び相手を頼んだのだ。
令嬢は怒りを隠そうともせず、声を荒らげた。
『何をしにここへ来たと思ってますの? 少なくとも、その妹のお守りをするためではありませんわ! 私は貴方と交流するために来たのよ! 出て行って!』
その言葉を聞いたラヴリー様は、みるみるうちに表情を険しくした。
その表情を見て、令嬢は益々怒りをつのらせた。
『まあ、なんてマナーがなっていないの……! きゃあ……!』
ラヴリー様は『あなたなんて大嫌い!』と暴れて、テーブルの上のお茶をひっくり返し、令嬢のドレスを台無しにした。せっかくの二人きりのお茶会は、見るも無惨な有様だった。
そして、セオドア様は。
『いや、ラヴリーは悪くない。君が大声を出すから、怖がったんだ』
そう言って、妹を庇ったという。
その婚約はほどなくして破談となった。
二番目の令嬢も、似たようなものだった。
こちらは婚約者との約束をしていた日に、当日に具合が悪くなったラヴリー様の看病を優先した。体調の悪い彼女は、セオドア様がついてやらないと不安がるからだ。婚約者との約束は、後からいくらでも埋め合わせができる。妹の看病を優先するのは当然だろうと、それがセオドア様の言い分だった。
そして、それが何度か続いた。ラヴリー様は頻繁に体調を崩した。
もちろん、二番目の令嬢にしてみれば、たまったものではない。前もってからの婚約者との大切な約束を破られたのだ。
『看病なんて、召使いや他の家族に任せればいいでしょう』と令嬢は言った。
しかしセオドア様は、その言葉に良い顔をしなかった。
『妹にとって、一番安心できる存在は僕なんだ。看病するのは僕じゃないと』
令嬢は激怒して婚約破棄をした。
そして、3度目の婚約相手として私が選ばれた。
今日ははじめての顔合わせの日だった。
屋敷に到着すれば、応接室へ通される。ほどなくして姿を現したセオドア様は、噂に違わぬ端麗な男性だった。当然のように、妹のラヴリー様も一緒だった。
「僕の妹だ。可愛いだろう?」
そう言って、セオドア様は隣に座るラヴリー様を嬉しそうに紹介する。
なるほど。噂に違わず、セオドア様は筋金入りの妹馬鹿らしい。
「まあ。ふふ、本当に可愛らしい妹さんですこと」
できるだけ感じよく言ったつもりだった。
ところが――当のラヴリー様は、私のことをじっと睨みつけていた。可愛らしい顔に浮かんでいるのは、明らかな敵意だった。
「ごめんよ、リディア……。普段はものすごくいい子なのだけど……」
ちらりとラヴリー様を見る。すると今度は、ぷいっとそっぽを向いた。どうやら、本当に私のことが気に入らないらしい。
それでも私は笑みを崩さなかった。
「おほほ、緊張していらっしゃるのかもしれませんね」
「最近はこんな感じなんだ。もう落ち着きのない子供ではない、12歳になるというのに……」
「……だから、でしょうね」
私はぽつりと呟く。
「お兄さまに近づかないで! どっか行って!!」ときゃんきゃんと吠えたてるラヴリー様に私は肩をすくめた。
「大好きなお兄様がとられるかもしれないと不安なのね」
私は苦笑しながら席を立った。
「分かりましたわ、今日はお暇します」
「すまない。妹がこんな態度を取ってしまって……。埋め合わせは、また今度――」
「いえいえ。どうぞお気になさらないでくださいませ」
私はにっこりと微笑んだ。
「私にも可愛い可愛い妹がおりますから。妹が可愛いと思うお気持ちは、よく分かりますもの」
そう、私もセオドア様と同じだった。
だから、かえって都合がいいとこの婚約を受けたのだ。
「……ありがとう」
セオドア様は、ほっとしたように微笑んだ。ラヴリー様の視線を背中に受けながら、私はその場を立ち去った。
***
――嫌い。ラヴリー、あの女が嫌い。はじめて見たときから、そう思った。
お兄さまの目の前に座って、にこにこと笑っている女。
ふりふりのドレス、ピカピカの宝石。
この前、ラヴリーに怒鳴り散らしてきたあの女にそっくり。あの時は扇子をぴしゃりと打ち鳴らして、そのままぶたれるかと思った。お兄様と話すときに、まるで自分が特別な人間であるかのように嬉しそうに微笑むところも、あの女と一緒。
――嫌だ。お兄さまは、ラヴリーのお兄さまなのに!
お兄さまは、ラヴリーのお兄さまなの。
ラヴリーが小さい頃から、ずっとそうだった。
怖い夢を見た夜は、お兄さまの部屋へ行けばいい。転んで泣いたときは、お兄さまが抱き上げてくれる。
母様に叱られて悲しくなったときも、お兄さまだけは私の味方をしてくれた。
私が欲しいと言えば、一緒に探してくれた。
私が寂しいと言えば、忙しくても時間を作ってくれた。
だから、ラヴリーは知ってる。
お兄さまにとって、一番大切なのはラヴリー。
ラヴリーもお兄さまが一番大好き。
ずっと、そうだった。
……それなのに。
最近のお兄さまはお勉強の時間が増えて、側にいられる時間が減った。それだけじゃなくて、私とではなく女の人一緒にいることも多くなって……嫌だ。嫌。
だから、今回も目の前の女の人に言ってやった。
『帰って!』
大きな声で喚いて、追い出してやった。帰っていく後ろ姿に、ラヴリーは得意げにむふーっと鼻を鳴らす。
――これでいい。あの女は帰って、お兄さまはラヴリーだけのものになった。
「ラヴリー?」
「……なに?」
「どうかした?」
「なんでもない」
ラヴリーはソファに飛び乗り、お兄さまの膝に寝転がった。お兄さまはいつものように、私の頭を撫でてくれる。
「大丈夫だよ。僕はずっとラヴリーのお兄さまだからね」
「……本当?」
「ずっと、大好きだよ。お前が一番だよ」
その言葉を聞いて、私はようやく笑った。
――そう、大丈夫。いつだって、お兄さまはラヴリーの味方だもんね。
だから、お兄さまと一緒にいたくて我儘を言っても許されるの。時には仮病を使う事もあった。少しだけ元気のないふりをすれば、お兄さまはすぐにラヴリーのところへ来てくれた。
でも、最近は……少し変なの。なんだか、いつも眠たい。前みたいに身体が自由に動かない。起き上がるだけで疲れるし、少し歩いただけでも息が苦しくなる。
怖い。なにか良くないことが起きる気がするの。それがなにだか分からなくて、ただ怖い。
ラヴリーはお兄さまの膝にすり寄った。
「……お兄さま」
「ん?」
「ずっと、そばにいてね……」
「大丈夫、大丈夫。ずっと側にいるからね……」
頭を撫でる手が、また髪を優しく梳いていく。ラヴリーは目を閉じた。
……大好き、お兄さま。ずっと、側にいて。……ね。
***
先日の茶会から、一週間が経った。
約束通り、セオドア様が埋め合わせのために我が家を訪ねてきた。
その手には、見事な薔薇の花束が抱えられている。
「この前は、本当にすまなかった」
そう言って、セオドア様は少し照れたように笑った。
「君との大切な時間だったのに、妹が邪魔をしてしまって……。今日はその埋め合わせができればと思っている」
差し出された花束を私は受け取った。赤、白、淡い桃色。
色とりどりの薔薇が美しく束ねられている。
「まあ……ありがとうございます」
私は微笑みながら礼を述べたけど、ちらりと枝へ目を落とす。
薔薇といえば、鋭い棘がつきものだけれど……大丈夫かしら?
「ああ、大丈夫だよ」
私の視線に気づいたのか、セオドア様がすぐに答えた。
「棘は全部抜いてあるからね。香りも強くない品種だし……」
「流石、セオドア様。お気遣い、ありがとうございます」
万が一、あの子が怪我をしてしまったら大変だものね。メイドに指示を出して、私の部屋に飾ってもらう。
「それよりも……今日はラヴリー様の側にいなくて宜しいのですか?」
「あ、ああ……。今朝は寝ているところを抜け出してきたから」
「あら、それは大変。今頃、セオドア様がいないと不安になっているかもしれませんわ」
「……そうかもしれない」
「でしたら、私のことはお気になさらず、早く帰って差し上げてくださいませ」
私は微笑んだ。
「ラヴリー様も、きっとセオドア様がお戻りになるのを待っているでしょうから」
私にも、似たような存在がいる。
私が生まれると同時に、我が家に貰われてきた子。妹のように可愛がり、家族同然に育ってきた大切な存在。だからこそ、セオドア様の気持ちは分かる。
「……12歳と言えば、もう高齢ですものね。ラヴリー様も色々と不安になることも多いのでしょう」
「ああ……」
セオドア様が、深く頷いた。
その表情には、心配でたまらないという色が浮かんでいる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて今日は帰らせてもらうよ。本当にすまないね」
「ええ、そうしてくださいませ。その代わり私も妹を優先していいというお約束ですもの。どうぞお気になさらず」
「君は理解してくれて嬉しいよ。今度は君の妹にも挨拶させてくれ。ええと、名前は……」
「すみません、うちの子は人見知りが激しくて……。妹の名前はプリンセス・ルミナス・ティアラです」
「プリンセス……?」
「ティアラです」
「それじゃあ、ティアラちゃんによろしく」と言って、セオドア様は早々に帰っていった。私はその背中を見送り、小さく息を吐いた。
すると――どこからともなく、白い影がひょこりと現れる。
「あら、私の可愛いお姫様。どこに行ってたの? セオドア様はお帰りになられたわよ」
足元までやってきたティアラを抱き上げると、彼女は当然のように私の膝へ収まった。私はその艶やかな毛並みをゆっくりと撫でる。
「はぁ……。本当はラヴリー様に私のことを気に入ってもらえたら、三人で一緒に過ごせるのだけど……。一番目の婚約者との一件がトラウマになって、若い令嬢が苦手になってしまったみたいだし……」
ラヴリー様は、私を見るなり警戒していた。あれでは、無理に仲良くなろうとしても怖がらせてしまうだけだろう。
ただ、屋敷のメイドたちには懐いているらしい。
「だったら、今度は私もメイドの服を借りて会ってみようかしら」
それなら、少しは警戒されずに済むかもしれない。今度、セオドア様に提案してみよう。
膝の上で丸くなったティアラの喉が、ごろごろと鳴る。
「ラヴリー様……、元気になると良いわね」
とはいえ、老化には勝てるものではない。いずれ来る別れに備えなければいけないのだろう。
こんなにも可愛くて、愛しくて。
できることなら、いつまでも傍にいてほしいと思うのに。
そう思いながら、私は膝の上のティアラを抱きしめた。
「にゃあん」とティアラは可愛らしく返事をする。
――そう。ラヴリー様は人間ではない。セオドア様が溺愛している飼い犬だった。
セオドア様が子供の頃、伯爵家はラヴリー様を迎え入れた。それからというものセオドア様とラヴリー様は兄と妹のように一緒に育ったらしい。
そして、婚約者を探す年頃になったセオドア様は、犬が好きな女性という条件で婚約者を探していた。もちろん、婚約を申し込む前にも「ラヴリーは大切な存在で、優先させてもらう」とは伝えていたそうだ。
ただ……。その優先具合は、令嬢たちの想像の範囲を超えていたようだった。
私としては、年老いて不安になっている愛犬の側に居るのは当然だと思うのだけど。
視力や聴力の低下によって周囲の状況が分かりにくくなり、しかも体が自由に動かない。その理由も彼女には分からないのだから。飼い主……大好きなお兄様と一緒にいたかるのは当然だ。
だが、犬を飼っていない、もしくは愛玩動物としか見ていない人たちにとっては、家族同然に扱う私達の気持ちは理解できないのかもしれない。
そして私はというと、犬派ではない。
猫派である。プリンセス・ルミナス・ティアラは可愛い可愛い猫なので。
だから、はじめ私には声が掛からなかった。
ところが、以前のお茶会で何気なく、こんなことを口にした。
『難しいとは分かっていますが、飼っている猫を大切にしてくれる婚約者……。いえ、大切にしていても、文句を言ってこない殿方だと嬉しいのですが……』
まさかその何気ない一言から、セオドア様から婚約の打診が届くとは思っていなかった。
しかし、私にとっても都合が良かった。
セオドア様がラヴリー様を優先しても構わない代わりに、私もティアラを優先して構わない。そんな約束を交わしたうえで、私は喜んでこの婚約を受けたのだ。
私は、この婚約に満足している。
結婚するときには、ティアラを連れて行ってもいいと、すでに確約してもらっている。
セオドア様も、私がティアラをどれだけ可愛がろうと、文句を言うつもりはないらしい。
それに――私は、セオドア様のそういうところを、とても好ましく思っている。
犬をただの愛玩動物としてではなく、家族の一員として心から大切にする。
十二年もの間、ずっと一緒に過ごしてきたラヴリー様を、今も変わらぬ愛情で気にかけている。
それほどまでに誰かを大切にできる人なのだ。
少々、度が過ぎていると社交界では噂になってしまっているけれど。妹のように大切にしている家族だからといって、本当に妹と呼んではばからないのだから、その噂も無理はない。
……まあ、私も人のことは言えない。
「マイスウィートエンジェル、ティアラ。あなたもずっと元気でいてちょうだいね」
「うにゃ」
腕の中で、ティアラが小さく鳴いた。
その柔らかな毛並みを撫でながら、私はふっと微笑む。
いつか、別れの日は来る。
犬も猫も、人間よりずっと短い時間しか生きられない。
だからこそ、一緒にいられる今日を大切にしたい。
きっと、セオドア様も同じ思いなのだろう。
犬を溺愛する婚約者と、猫を溺愛する私。周囲から見れば、変わり者同士の婚約なのかもしれない。
けれど、愛するものを大切にしたいという気持ちを持つ私たちは、きっと上手くやっていける筈だ。
それぞれの大切な家族を愛しながら。
そして――いつか家族が増えたなら、そのときは二人で一緒に愛せばいい。
「……ふふ」
そんな未来を想像して、私はもう一度、ティアラを抱きしめる。
私の腕の中で、ティアラが満足そうに喉を鳴らした。
「妹を優先する婚約者」という定番ものではありますが、少しだけ王道から外したお話を書きたくて、挑戦してみました。妹の正体には、吃驚していただけましたでしょうか?
もし「面白い!」「吃驚した!」と思っていただけましたら、ブックマーク&広告の下↓にある【☆☆☆☆☆】から評価していただけると励みになります……!
(9/13追記)またまた定番ものに挑戦しました!もし宜しければ、短編小説『「あいつは男みたいなものだから」と婚約者は言うけれど、自称サバサバ令嬢とのスキンシップが多すぎて浮気を疑っています 』も読んで頂ければ幸いです。





