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9.死の境界線

 その声で、シオリは何を血迷ったか、己の右手にある剣を首に当てた。剣はカタカタ、と震えており、思ったよりも横に進まない

 体を動かそうにも、まるで固定されているかのように、他の動きはできない。まるで世界が「お前はこの場で死ぬために生まれてきた」と言わんばかりに。運命を認めざるを得ない状況だった

「これは……随分と恐ろしい能力だね」

 剣はゆっくりだが、着実と、シオリの首に迫っていた。ヴィザールとの戦闘、奴らの虐殺で熱くなった体がどんどん冷えていく感覚がする

「当然です。今、俺が使える限りでの最強技ですから」

「……そう。補正ってずるいね」

 これはまずい、頸動脈が傷つけば普通にお陀仏だ。ピリカがいればどうにかなったんだろう。謎にカッコつけた自分をぶん殴りたい。

 シオリも、ヒビキも、どっちも黙った。妙な静寂がまたしも夜を包んだ。

「……」

 シオリは、出来る限りの抵抗の意思を剣に、ヒビキに、世界に向けるしか無かった

 シオリはふと、ヒビキの顔を見た。どんな顔をしているんだろう、純粋に気になったのだ。笑顔だろうか、無表情だろうか。

 シオリは顔を上げた。そこでシオリが目にした顔は、なんとも不可解なものだった

「……?」

 苦しい顔をしていた。まるで、何かに耐えているかのような。何も喋らないのは、ただただ喋ることがないだけだと思っていた。ただ、恐らく、辛くて喋ることよりもなにかに耐える事を優先しているだけなのだろう

「──っ!」

 その時、シオリは悟った。ヒビキが苦悶の表情を浮かべている理由を。刃が全然進まない理由を

 あぁ、向こうも〝足掻いているんだ〟何かは分からないけど。

 ならばやる事はたった一つ。シオリも、できる所まで足掻き続ける事だ。

 首と刃の僅かな隙間に無理やり手を突っ込む。すぐに手が切れる感覚がする。ただ、関係ない。手なんて切れたところで、シオリにとっては些細な問題だから

 段々と、段々と、段々と、剣の進行速度が遅くなる。

 耐えろ、耐えろ、耐えろ。まだ耐えるんだ。ヒビキに限界が来るまで

「いい……か、げんに……」

 ヒビキが声を上げた。継ぎ接ぎに繋がれたその言葉は、ヒビキの心身状況を示していた。

 ヒビキが1歩、2歩、とこちら側に近づいてくる。

 そういえば、ヴァデンで斬られてなかったっけ。もしかしたら有言実行する気なのかも?

 なんて事を考えるほどに、シオリの心には余裕が生まれていた。

 もう、ほぼ刃は動かなくなっていた。ただ、依然として体は動かせず、金縛りにあっているかのような気分を味あわされていた


 そして、時は満ちた──


「──!? ゴハッ……!!」

 ヒビキが大量の鮮血を吐き出した。ヒビキは頼りなく崩れ落ち、膝を着く。

「ガハッ……ゴホッ……ゲホッッ……!!」

 食べ物が気管に入った時くらいに咳をするヒビキ。そして気が付けば、シオリの体は自由になっていた。刃は完全に止まり、立ち上がることもシオリが命令を送れば可能だった

 シオリは立ち上がり、ヒビキを見下ろす。

 さっきまでの聖なる気迫は失せ、ただの哀れで劣弱な剣士だけが戦場に取り残された。

「きっと、代償が大きいそれを使わないと、私に勝てないって判断したんだね」

 シオリはヒビキの前でしゃがみ、髪を掴む。そして強引に引っ張り、ヒビキと目を合わせる

 顔面の穴という穴から血が出ているその顔は、実に哀れで、愛おしくて、勇敢な顔だった。

「ヒビキは運が悪かったね」

 ヒビキが流している赤い涙を手で拭き取り、ペロッと舐める

「いいよ」

 髪を掴んでる手を離す。

「生かしてあげる」

 シオリは、己の左手から垂れる血など気にもせず、ゼロ達の後を追おうと歩き出す。そして、顔だけをヒビキの方に向かせ、

「もっと強くなってから、私を殺しにおいで」

 そう言った。


 ◇◇◇


 あの後、ヒビキがどうなったかなんてシオリにとってはどうでもいいことだった。ただ、今頃ヒビキが〝倒せなかった〟という感情に打ちのめされていることくらいは安易に想像できた

 やはり、自分より上の相手に勝利した時が1番気持ちが良い。ゼロ然り、ヒビキ然り。

 事実、シオリはあの出来事の後、しばらくの間笑顔だった。女の子が誕生日プレゼントでぬいぐるみを貰った時のような、純粋無垢な笑顔だ。

「可愛かったなぁ……」

 未だに、シオリは悦に浸っていた。ヒビキの顔は、血でぐしゃぐしゃになってて、あんまりよく分からなかった。それでも、血で塗れた顔からでも分かるほどの〝絶望〟の表情。下顎は何故か破損しており、歯を食いしばることも出来ず、猛烈な「痛み」を真正面から受け止めることしか出来ていなかった。

 あの顔はどれだけ見ても飽きはしないだろう。シオリが善なる(間違った)道に進まない限りは。

 実力を上げてリベンジに来ても真正面からボコボコにして、またあの顔を拝みたい。その時は今よりも上の快感が待っているんだろうと考えると、胸が高鳴る。

 未だに左手から垂れる血と共に、シオリはゼロ達の元へ向かうのだった


 一方その頃──

 ゼロは無貌の禁域付近でシオリを待っていた。

 ゼロは、心臓をがっしりと握り締められている圧迫感に気圧されていた。身体が暑さを訴えてるのか、寒さを訴えてるのか分からない。今でも、シオリが放ったあの言葉が脳裏から離れない。

「……シオリ」

 彼女が死ぬとは思えない。腕を犠牲にしてまで勝ちにこだわるような奴だ。生半可な奴では勝てるとは思えない

 ただ──

 無貌の禁域から常に漂う〝神気〟

 炎、水、風、土、雷、これらの五大元素に該当しない神の領域。特異体質か、過酷な修行の末に得られる賜物。

 ここまでしないと手に入れられないのを持っている者が弱いはずもなく、流石のシオリでも心配だった。

 言ってしまえば、シオリは「身体能力に全てを任せた無能力者」

 身体能力と精神力に甘え、能力すら使わず敵を倒しに行く脳筋。搦手もまともに使えないような人間。

 神気持ちとフィジカル勝負で戦うなんて自殺宣言のようなものだ。

「……我は信じてるぞ」

 彼奴ならしなない。そう信じたい自分と、相手が神気持ちだと知っている理性がゼロの心の中でぶつかり合う。

 遠回しに戦力外通告を受けたあの時、確かに言おうとしていたことが、頭からスっと抜けたのをしっかりと感じた。頭が真っ白になって、また失うかもしれない、という寂寥(せきりょう)感に襲われて。

 本当は言い返したかったのに、あの人と通ずる何かがあったせいで、言葉が詰まって。

『案内役が居なくなると、彼奴も困るだろう?』

 ピリカに放った言葉は、自分を言い聞かせるだけの都合のいい言葉に過ぎない。

 無貌の禁域に戻れば、なんて言われるか分からない。けれど、近くに居たい

 その2つの思いが葛藤している結果、無貌の禁域の外側で待機することになったのだ

 強く拳を握り締める。爪が手のひらに食い込み鋭い痛みが手を襲う。

 もしかしたら、もう決着は着いているのかもしれない。ただ、神気の量が凄まじいだけで、まだ漂っているだけで、シオリが勝ったかもしれない

 ただ……シオリが必ずしも勝ったとは言えない。相手が勝つ可能性だって十分に有り得る

 やっぱり、様子を見に行った方が────

「何してんの」

「──え?」

 突如として背後から聞こえたシオリの声。振り向けば、そこにいるのは返り血を浴びたシオリだった

「先行ってって、言ったじゃん」

 別に怒っている訳ではないその一言。単純な疑問とゼロは汲み取った

「……案内役が居ないと、困るだろう?」

「……そう……確かにそうだね」

 その言葉の裏側の意味を理解してくれたのか、シオリはこれ以上踏み込まないでくれた。

「早く行こうよ。ピリカ達に先を越されたくないし」

「あぁ、そうだな」

 気持ち速めに2人は歩き、ピリカ達の後を追うのだった。


 ◇◇◇


「あの、本当に待たなくていいんですか?」

「うんうん、ダイジョーブダイジョーブ。ホタルンに負けたこと、あんまりないし」

「信用なりませんねぇ……」

 ピリカとヴィザールは、苔むした石段を登っていた。ゼロも、シオリも待たずに──

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