第8話 初めの一歩
あの出来事を境に、頻繁に悪夢を見るようになった。執拗に繰り返される悪夢に度々魘されては、体が強張り荒い呼気と共に目が覚める。
私が魘されている時、よく三郎が顔をベロベロと舐める。
尻尾をブルンブルン振り回し、私の周りを何周も歩き回る。魘されている私を助けようとしてくれたのか、それともただ遊んで欲しいだけなのか。
毎朝起きると、両隣で寝ている祖父母はいない。
父と母も早起きだったけれど、祖父母はもっと早起きだ。
いつもは食卓まで行くのに体が重たく感じていたが、悪夢を見た日は眠りが浅いのか、いつもより体が軽く感じる。
「あら、陽菜ちゃんおはよう。まだ寝てても良いのよ」と祖母は優しく気遣う。母とは真逆だ。母にはいつも早く起きなさいと催促されていたのに、祖母はもっと寝ても良いよと甘やかしてくれる。
寝れるなら眠りたいけれど、また悪夢を見るのではないかと思うと寝たくても眠れない。
三人で朝食を食べる。
祖母が作るご飯は、どれも母の料理と似た味がする。恐らく母は祖母から料理を教わったのだろう。
数日前と比べると、少しずつ食欲が戻ってきている気がする。
だが祖母が作る料理の量は余りにも多く、元気な頃の私でも食べきるのに精一杯の量だ。
「遠慮なく一杯食べてね」
陽菜は必死に箸を進め、どうにか全てを平らげた。
食後にはいつも温かいお茶を入れてくれる。
ホッと体が温まり、食べ過ぎて苦しかったお腹を落ち着かせてくれる。
祖父は湯飲みを起き、静かになったタイミングで言い放つ。
「お葬式が終わって陽菜ちゃんにはそろそろ、あの魔物について説明しておくべきじゃろ」
祖父が魔物の正体を語る。陽菜は祖父の話に注意深く耳を傾ける。
「陽菜ちゃんのパパとママを殺したのは星霊という魔物だ。我々生きる人間に災いをもたらす邪悪な存在」
陽菜はその言葉を聞いたことがある。けれど架空の生き物で、実在するとは思ってもいなかった。
「奴らは人の皮をかぶった獣だ。私利私欲のためならば、他者の命を踏みにじることも厭わない。慈悲や羞恥といった人の倫理はとうの昔に捨て去り、呼吸をするように嘘や裏切りを重ねる。話し合いで収まるような相手ではない」
陽菜は祖父の話とあの魔物を頭の中で照らし合わせる。
「奴らは不死身の体を持つ。幾星霜の時を経ても肌は艶やかさを失わず、老いることも死ぬこともない。だが奴らには唯一弱点がある。それは、永劫の時を刻み続ける心臓だ。心臓を貫かぬ限り奴らは死なん」
あの魔物との戦いの最中、胸を狙っていたのはそういうことかと陽菜は思い返す。
「わしが戦った星霊は、組織の末端に過ぎぬ。真の強敵は、奴らの影に潜んでおる」
陽菜はそれを聞いて困惑する。あれよりもさらに強敵が待ち構えていると思うと、昨日せっかくやる気を出したのにもう心が折れそうだ。
朝食を食べ終わるとたいてい祖母は洗濯をしたり、昼食の準備をする。一方祖父は庭の手入れをしたり、三郎と散歩に出かける。
私は何をしよう。せっかく覚悟を決めたのにどうすれば良いか分からない。
昨日まで縁側でボーッと上の空で気づかなかったが、祖父母の家はそこら辺の家よりも広い。
すると、どこからかシャッシャッバタンと音が聞こえてくる。
陽菜はその音を頼りに、音の鳴る方へ足を進める。
すると奥の部屋へとたどり着く。他の部屋は畳なのに、その部屋だけ板張りで、広々とした道場のような作りになっている。
部屋では、祖父が薙刀の練習をしている。
陽菜は邪魔しないように遠くからその姿を見つめる。
祖父の動きはまるで舞を舞っているかのように、年齢差を感じさせないほどのしなやかな動きで、一振り一振り重みがあり力強さが伝わってくる。
祖父は私が見ているのに気づき、声をかける。
「どうじゃ、やってみるか?」と祖父は陽菜に提案する。
陽菜は思う。祖父に薙刀を教えてもらって、祖父のように強くなりたいと。
このまま何もせずに、ただ無駄に毎日を過ごしているわけにはいかない。時計の針は決して止まらず動き続ける。
陽菜は祖父の元に近づき、祖父の薙刀を持ってみる。
すると祖父の薙刀は自分の手には大きく、大きな石を持っているかのように重い。
薙刀を振りかざしてみると、その反動で体のバランスを崩してしまう。
「あははは、すまん。わし専用に作ってもらった薙刀じゃから、陽菜ちゃんには重すぎるの」
あの夜触れただけでは分からなかったが、この重みは単なる重量だけではなく、この薙刀に宿る経験値の多さや吸い込んできた血の重みを感じる。
武器は扱う者を選ぶ……。
「じいちゃん、うちに稽古をつけてほしい」
祖父は孫の言葉を聞いて、嬉しい気持ちと孫の熱い期待にどう応えれば良いのか悩む。
生きる気力をなくしていた孫が、自分の意思で立ち上がろうとしている。
祖父は自分が薙刀を始めた若かりし頃を思い出した。
「薙刀を学びたいなら道場に通ってみてはどうだ?
わしが教えてやっても良いんじゃが、あいにく年が年じゃからの」
祖父に連れられ、道場に向かうこととなった。
「この世の中には様々な武術が存在する。
柔術、剣術、槍術、弓術など多岐に渡る。その中でも、今から向かう道場は薙刀術の総本山。今まで数多くの優れた人材を育て、輩出してきた名門道場。
冥送術師になるにはまず避けては通れない登竜門じゃよ」
そういえば、星霊も言っていた冥送術師とは一体どういう存在なのだろうと祖父に疑問を投げかける。
「冥送術師とは、この国を星霊から守る特殊精鋭部隊。関門を突破し、選ばれし者達だけが所属することが出来る組織じゃよ」
道場に到着した。祖父母の家から徒歩20分ぐらいの距離に位置する。歩いて通える距離だ。
祖父は道場の門戸を叩く。するとその音に気づいたのか、誰かが門を開ける。中から「どちら様でしょうか?」と一人の男性が出迎える。
その男性は祖父を見るやいなや、「もしやあなた様は、右京様ではありませぬか!噂では隠居なさったと聞きました」祖父の知り合いなのかな。
「仕事していた時と比べると、のんびりと平穏な日々を過ごしております。笑」
「隣のお嬢さんは?」陽菜を不思議な顔で見てくる。
「わしの孫です。薙刀を学びたいと言うので、一度見学させて頂きたく伺ったんじゃが」
「右京様のお孫さんでしたか!どうぞどうぞ、調度今修行中ですので見ていって下さい!」その男性は簡単に中に入れてくれた。
稽古場まで案内してくれる。
途中の廊下の壁にはずらりと名札が飾られている。おそらくこの道場の歴代の門下生達の名前だろう。
「いやーしかし、お孫さんも右京様と同じく冥送術師を目指されると思うと嬉しい限りでしょう」
名札の中に一際大きく、3名の写真と名前が飾られている。その中の一人に祖父の名前と若かりし頃の祖父の写真がある。
「あなたのお祖父様はこの道場の卒業生であり、冥送術師の中でも最高位に位置する元12神将の一人で、偉大なお方なのですよ」
確かにあの魔物を一撃で倒した力量を目の当たりにして納得が行く。
稽古場では、数十人の門下生達が稽古に勤しんでいる。自分と同い年ぐらいの人もいれば、見るからに年下や年上も混ざっている。
「懐かしいの。わしもここで学び、同じ仲間と切磋琢磨しながら高め合ったもんじゃ」
今私は祖父が通ってきた道を歩もうとしている。
祖父のように自分も強くなりたい。
陽菜はここから、初めの一歩を踏み出そうと決意するのだった。
全てはここから始まる。




