第11話 残氷を解く
今日は道場が休みの日。
祖母は朝、庭で洗濯物を干していた。
その時祖母は玄関の戸をノックする音が聞こえる。
「ごめんくださーい」
誰かが訪ねて来たようなので、祖母は確認しに門戸へ向かう。
戸を開けると、近所に住んでいる知人だった。
「あら吉川さん、おはようございます!」
「これ、今年もたくさん採れたからお裾分け」
渡してきた籠の中には、新鮮な旬のお野菜がたくさん入っている。
「あらま、いいんですか?こんなぎょうさん頂いて」
「いいのいいの。どうせこんなにあっても食べきれないし、捨ててしまうのも勿体無いからねぇ」
断るのは申し訳ないので、いつも有り難く頂くことにする。
陽菜は祖母が門戸で立ち話をしているのを見つける。
「そういえばあそこの奥さんが……」
祖母達は立ち話を始めると、帰る帰ると口で言いながらいつまでも話し込んでなかなか終わらない。
ああなったら、2時間ぐらいかかるな……。
一方祖父は腰が良くなったのか、庭の草木の手入れや水やりをしている。
「じいちゃん、そろそろうちに修行つけてよ!」
「おーそうじゃった。腰も治ってきたしのぉ。よし孫よ。出かけるぞ」
出かける?陽菜はてっきり奥の部屋で練習するもんだと思っていた。
祖父について行くと、両親の墓があるお寺に辿り着く。
「じいちゃん、ここお寺だけど……?」
「まぁ着いて来たまえ」
大人しく着いて行くと、お寺の奥には山道がつながっていた。
終わりの見えないほどの無数の石段が連なっている。
「ここは奥の院に繋がる登山道じゃよ」
「良いか孫よ。武道において最も大切なことがある。
それはすなわち心技体じゃ。
まずは心。精神力、忍耐力、集中力といった心の強さや諦めない気持ちを持つことじゃ。どんなに技術や体力があっても、心が強くなければプレッシャーに押し負けてしまう。
次に技。正しい技術を身につけることが成功の鍵となる。どんなに心が強く体力があっても、スキルがなければ無力に等しい。
最後に体。体力と健康といった体作りじゃ。
どんなに心が強く技術があっても、体力がなければ力を発揮することは出来ん。
この3つは正三角形のような関係での。どれか一つが突出していても、どれかが欠けていても上手くいかん。この3つのバランスが全て整った時に、最大限のの力が発揮出来るのじゃ」
「登山は体力をつけるのに最適じゃからの。ほれ」
祖父は陽菜に10円玉を渡す。
「頂上の奥の院で参拝して、ここに戻ってくるまでのタイムを測る。普通の登山客は大体往復2時間かかる。最終目標は1時間で行って帰ってくること。わしが若かた頃は最高45分で戻ってきたがの」
超えられるものなら、超えてみろと言っているような気がした。
「それならうちは40分で戻ってきてやるよ」
「おう、それでは今から測るぞ。この針が13時になったらスタートじゃ。」
祖父の持つ時計の針を見つめる。
13時になった瞬間、陽菜は一気に飛び出した。
不安定な道をひたすら登る。
始めは調子良かったが途中から足は重く、息が切れ始める。さっきまでの威勢はどこへやら。
標高が上がれば上がるほど酸素が薄くなり、心臓への負担がかかる。
頂上の奥の院にたどり着いた。
だいぶ時間をかけすぎたので、直ぐさま貰った10円玉を投げ入れ参拝する。
ゆっくりしている暇はないので、すぐに引き返そうと後ろを振り返ると、そこには町が一望できる清々しく美しい景色が広がっていた。
さっきまで足元ばかり見て気づかなかったけれど、疲れが一瞬で吹き飛ぶような感覚がする。
だが見とれている場合ではない。全速力で山を下りる。
やっと祖父の待つゴールに戻ってきた「じいちゃん今何時!!!???」
「今14時25分じゃ」
これだけ急いだのに、まだ目標の1時間まで25分も短縮しないといけない……
「まぁ気にするでない。最初はそんなもんじゃよ」
体中から汗が溢れ出てきて、汗がダラダラと体中から滴り落ちる。特に太ももの筋肉がブルブルと震える。
「ただ闇雲にやれば良いと言う物でもないぞ。
力を入れる箇所を間違えると、足腰を痛めるからの。継続は力なりじゃ」
「よし、ワシと一緒に銭湯に行かぬか?山登りで汗かいた後は銭湯に限る。しかも今日の晩ご飯は唐揚げだそうだ。登山後の温泉と飯は格別じゃぞ。笑」
陽菜は家のお風呂しか入ったことがない。どういう場所か分からないが、家で着替えやタオルを準備して祖父と出かける。
15分ほど歩くと、何やら煙突から黒い煙が出ていて、入口に「ゆ」と書かれた暖簾が掛けられている。
暖簾をくぐると左右に番号札がついた下駄箱があり、靴をしまう。左右で女湯と男湯で分かれている。
お互いそれぞれの扉から入ると、男湯と女湯を挟む形で番台がある。
「いらっしゃ〜い。あら、右京さんのご主人じゃないの」番台に座る女将が祖父に気づく。
「今日は孫を連れてきたんじゃよ」とその老女は陽菜の方を振り向く。
「あらー、可愛いお孫さんねぇ!ゆっくりしていってね」と優しく声をかけてくれる。
陽菜は顔に見覚えがある。そういえば、祖母と家の前で立ち話をしていた人だ。
「子供はいくらじゃったかのぉ?」と祖父が料金を支払おうとする。
「ええよ、ええよ、サービスしとく。いつも奥さんには仲良くしてもらってるからね」
駄菓子屋のおばさんもそうだったが、祖母は案外顔が広く、ただの立ち話も無駄ではないのだと陽菜は思うのだった。
「上がったら下駄箱前におるからの」
脱衣場には子供から大人まで大勢の女性が着替えている。
今まで家のお風呂にしか入ったことない陽菜からすれば、他人の前で裸を見せるのは初めての経験で、少し恥ずかしさを感じる。
だが同じ女性同士、母や祖母と一緒に入っていると思えば見られても別にどうってことない。
開き直ったのか大胆に脱ぎ始め、見ろと言わんばかりに素っ裸になるのだった。
タオルを持ち、いざ大浴場の扉を開けると、そこには大きな浴槽がいくつもあり、様々な色をしている。
それぞれ匂いや効能が違って、色々試しながら楽しむことが出来る。
体の疲れや悩み事がスーと消えていくような感覚がしてすごく落ち着く。
帰りしなに祖父と一緒に飲んだ瓶のミックスジュースは格別だった。
待ちに待った晩ご飯。
「たくさん揚げたから、いっぱい食べてね」
母の唐揚げは皮が薄めだったが、祖母の唐揚げは皮はパリパリで中はジューシーに仕上がっている。
陽菜はどちらの唐揚げも好きだが、祖母の唐揚げの方が好みかもと思うのであった。
美味しくて箸が止まらない。
「運動後の体はエネルギーを使い果たし、筋肉がダメージを受けとる。それを食事は、回復と成長に変えてくれる。ご飯をたくさん食べるのも修行のうちじゃからのぉ。」
一気に食べたせいか、気管に入ったせいかむせる。
「あら大丈夫!?風邪ひいたの???大変だわ!!!
「むせただけだって!」
祖母は咳き込むだけで過剰に心配するので、それから祖母の前で咳き込むのを必死に我慢するようになった。
次の日、足がガクガクで立ったり歩いたりするだけで節々が痛む。
「筋肉痛がぁぁぁ」
0対2で、あっさりとぼこられた。
「あはははは、それをバカの一つ覚えって言うんだよ。笑」
言い返す余裕もない。「いたたたた」
「あー疲れた」陽菜は掃除が終わり、一休みしようと腰を掛ける。
毎回黎羅は、いつも私の分のお茶を入れて持ってきてくれてとても気が利く。
「大きなお世話かもしれないんですけど、お茶入れてきたので、お口に合うか分かりませんが、良かったら飲んでください」
「いつもありがとう」
フーフーと少し冷ましながら、少しずつ口に運ぶ。
「うま!黎羅の作るお茶って、いつも美味しいよな」
「え…!!!そんなことないですよ!た、ただのお茶です。それに私に出来ることはこれぐらいなので…」
ちょうど良い温かさで、疲れた体に染み渡る。
「今日は何のお茶?」「今日は玄米茶です」
毎回緑茶やほうじ茶、ジャスミン茶など様々な種類のお茶を入れてくれるので、飽きずに楽しめる。
陽菜はずっと気になってたことがある。
黎羅はいつも私に対して敬語で話す。入門したのは私の方が後なのに、なぜずっと敬語なのだろうか。
いつもびくびくしていて、よく些細なことで謝る。
私に威圧感を感じて恐れられているのか。
「前から思ってたんだけどさ、なんで敬語なん?うちのこと、もしかして怖い……?」
「いえ、そんなことは!ただ自分に自信がないんです……」
黎羅は心の傷を打ち明けてくれた。
練習相手にならないじゃないか。
最後はあいつか、こりゃ負けたな。
と陰口を言われていた。
「私おっちょこちょいで、皆みたいに何一つ上手く出来ないし、皆の足を引っ張ってばかりで邪魔で足手纏いだから。自分がないっていうか、つい人の顔色をうかがっちゃうんです」
「言いたい奴には言わせておけば良いやん!謝る必要ないし、うちに敬語で話す必要もないよ。あんまり謝られると、なんかうちが悪いことしたみたいやん。それに敬語だとなんか壁を感じて嫌なんだよ。だってうちら友達だろ?」
黎羅はダメな人間だと思っていた自分が嫌いだったけれど、陽菜の言葉に救われた気がした。自分に寄り添ってくれて、涙が溢れてくる。
「なんで泣くんだよ!?」
「ごめん」「あ、また謝った!」
師範と村田は、2人の姿を気付かれないように遠くから見ていた。なぜかもらい泣きしている。
「さすが師範!こうなるのを見越して、ぐっと我慢してたんですね!」
「え!?そ、そうだとも……!」
師範はたまたまなんだけどなと内心思うのだった。




