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冬に咲く花

作者: 建上煉真

 夜が明けた。青白いモヤのような澄んだ空気が頬をなでる。普段は寒い寒いと震えるはずの冷たい空気は、今日はなんだか気持ち良かった。


 目の前にある大きな山から、恥ずかしそうにちょこんとだけ出ている太陽が、かすかだが温かく、柔らかい光を放出していた。今日はめちゃくちゃ晴れるんだろう。空を見上げると、雲ひとつない淡い青色の空が見えた。つい口元がほころんだ。


 僕は気分が良くなり、自転車のスピードを上げる。それに沿って流れる風も、冷たさを増して強くなる。それでも僕はぐんぐんとスピードを上げた。


 ひゅんひゅんと体が風を切る。耳が痛い。手の感覚はもうなかった。片手で自転車のハンドルを操作しながら、もう片方の手を口元に寄せて息を吐く。ただの二酸化炭素の排出行為なのに、それはとても暖かかった。


 アスファルトの道に端が見えてきた。坂だ。僕は坂まで思いっきりペダルをこぎ、そのまま坂を下る。体に降り注ぐ冷たい風はもう気にならなくなっていた。



--------------------




 今思えば彼女は今の僕と同じようなただの高校生で、そして僕は生意気なほど普通過ぎた、ただの中学生だった。


 年の差は5年。それは僕にとっては残酷なまでの数字だった。子供であった僕は5年は果てしなく長い年月だと思ったのだ。


 だが、僕は特にそれまでは年の差などを考えたことはなかった。いつもそばにいてくれる存在だった彼女が当たり前だと思っていた。


 だから、彼女が突然引っ越すと聞いたときも、何だか純粋な驚き以外のものがあった気がした。


 「美術学校に行くんだ。東京にある有名な大学での4年間。それに教習として2年間」


 唐突な話題だった。


 ついさっきまで、馬鹿な話していたことがまったく助走になってない会話。


 彼女は東京の大学へ行ってしまうらしかった。僕らが住んでいる所はドがつくほどの田舎で、ちょっと街の方まで出なければ買い物すらできないほどだった。だから彼女が東京に憧れるのも当たり前なのかもしれなかった。だが、中学生になりたての僕にとって、新幹線で2、3時間もかかるような場所は異界に近かった。


 たしかに彼女は絵がうまくて、小さいころから画家を目指してて、売れるようになるには有名な美術大学を出ることがもはや必然で、だけど簡単にそう決められる彼女が嫌いで、なにより夢に向かっている彼女を純粋に応援できない自分が大嫌いだった。


 もちろん、僕が考えていたように、彼女はそう簡単に東京にいくことを決めたわけではないだろう。学費に生活費、それに僕が考えもつかないようなほど馬鹿でかい家賃。いわゆる『芸術家』になるには、他にも多くの支出がある。だが、やっぱり幼かった僕にはそんなことは思いつかず、ただがむしゃらに泣いた。もちろん、彼女の前ではなく、一人で。


 彼女の前で泣きすがれば、もしかしたら何か変わったかもしれなかった。だけど、そんな考えを思いつく僕自身が嫌になって、もはや変な意地でそれだけは絶対にしなかった。


 彼女に東京に行きたいと言われてから一ヵ月後。高校の卒業とともに彼女は東京に旅立って行った。


 僕は見送りのため、最寄の無人駅まで彼女について行った。


 「ありがとね」


 遠くにポツリと電車が見えると、彼女は座っていたベンチから腰を上げた。何か言いたいことがあったような気もしたけど、何にも思いつかなかった。


 「じゃ、またいつか会えるといいね、なーんて。てへへ」


 その瞬間、言いたいことが僕の頭の中で破裂したみたいだった。


 電車が目の前で止まってSF映画に出てくる宇宙船みたいな音を立てて扉が開いた。


 「待てないよ!」


 気がついたら口が自然に動いていた。


 「え?」


 乗りかけた電車の入り口で彼女が振り返った。


 「『またいつか』なんて待てないって言ってんだ! 絶対会ってやるから! 覚悟しとけよ!」


 そのとき出せた、ありったけの声。かすれていたかもしれないけれど涙とか、そういったものは出なかった。


 電車の扉が閉じて、扉のガラスの向こうで彼女が席まで走っていくのが見える。


 落下防止のために最低限までしか開かない窓を、精一杯開けて彼女が何か言うのがわかった。


 電車が独特の発車音を吐き出して走り去った後も、僕の耳には彼女の声が響いてるみたいだった。


 その日はとても寒かった。ただ気温だけが低いと言うわけではなかっただろう。



--------------------



 坂を降りっきってから右に曲がる。日も強くなってきたようで、太陽が僕の前にまっすぐ伸びたアスファルトのラインの先から顔を出す。小さかったときは、あんなに大きなものが今までどこにいたんだろう? と首をかしげていた気がする。今となってはただ無性に眩しかった。


 3年前、彼女と別れた無人駅が見えてきた。一人の人影が見える。


 その人影は僕に気づいたようで、大きく両手で馬鹿みたいに手を振って、大声で何かを言っていた。



 『君の花を咲かせに来たよ』



 僕は思わず笑ってしまった。彼女は3年前と変わっていなかった。


 顔を上げる。


 太陽が朝を運んで来ていたのが分かった。


 僕は3年前と変わっただろうか? そう思いながら。



 ~The flower which blooms in winter~

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の心情、場の風景の書き方がとても上手かったです。 [気になる点] 悪いってわけではないんですけど少し気になったところ。 彼女は幼なじみとかだったんでしょうか。 五歳差の彼女と主人公が…
2010/06/05 01:00 退会済み
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