名もなき魔女が選んだ未来
渡辺家の門が、無言の兵士たちによって破られたのは、翌朝のことだった。
評議会によって提出された“記録”は、渡辺蓮とフェリシアの私的癒着、爵位剥奪の画策、さらには不正融資の証拠にまで及び──完全な“追放”が決定された。
蓮は最後まで叫んでいた。「違う!あれは捏造だ、罠だ!」
だが、誰も耳を貸さなかった。
あの映像──澪の“魔法”が映し出した記録は、何よりも雄弁だった。時間を操り、過去を暴くことができる。それは“証拠”を持たぬ者にとって、最も恐るべき能力だった。
そして皮肉にも、蓮自身がかつて“無力で何もできない”と笑い飛ばした女によって、すべてを失ったのだった。
──
その日、澪は玲と共に郊外の小屋にいた。舞踏会での力の使用と、長期にわたる魔法行使の疲労が重なり、彼女は眠り続けていた。
「澪……」
玲が名前を呼ぶと、ゆっくりと澪の瞼が開いた。
「……あれ……ここ……は……」
「わかるか?」
彼女はしばらく沈黙し、それから小さく首を横に振った。
「……ごめん。……あなたの名前、今、すぐに……思い出せないの」
玲は静かに彼女の手を取った。
「大丈夫。何度でも名乗る。俺は小鳥遊玲。君を、守り続ける者だよ」
澪の目に、涙がにじむ。
「私……もう、全部忘れてしまうかもしれない。名前も、過去も、あなたのことも……」
「忘れてもいい。君が君でいようとする限り、何度でも、俺が君を好きになるから」
彼の言葉に、澪の唇が小さく震える。
「……馬鹿ね、あなた」
「よく言われる」
二人は笑った。痛みの中に、確かな希望があった。
──
それから数日後。
澪は髪を短く切り、名前を伏せて町の外れの小さな村で暮らすようになった。
魔法を使うことはもう、ほとんどない。
時間魔法を封じた彼女は、もはや“特別な魔女”ではない。ただの、一人の静かな女性として生きている。
玲は隣にいた。彼は狩人として働き、時々街の子どもたちに読み聞かせをしていた。澪が描いた絵本に、彼が声を添える──それが二人の日常だった。
記憶は、少しずつ失われていった。
けれどそのたびに、玲が名を呼び、手を取ってくれた。
「澪。君が君でいる限り、過去がなくても、明日を生きていい」
澪はその言葉に、何度も救われた。
──そしてある日、春の終わり。
彼女は一冊の古びた手帳を見つける。自分の筆跡。誰かの名前。
「……しぐれ、みお」
彼女はつぶやいた。胸の奥で、何かが温かく灯る。
それが何なのか、もう思い出せない。
でも、それでもいい。
彼女は穏やかに微笑んだ。
「はじめまして。私は、澪。……またあなたに、恋をしていいですか?」
玲は、何も言わず、彼女を抱きしめた。
世界が静かに満ちていく。
そして、名もなき魔女は──ようやく、自分の時間を取り戻した。
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