消された令嬢の、静かな報復
追放され、奪われたすべてを取り戻すために。
時を操る力を手に入れた澪は、ついに中央へと舞い戻る──
けれどその力には、代償があった。
過去と現在の狭間で揺れる心と、進む覚悟。
彼女の“復讐”が、静かに始まる。
中央貴族街では、渡辺蓮の姿が頻繁に見られるようになっていた。次期評議会議員候補に名を連ね、最近では“最年少魔導顧問”の座にも近いという噂だ。澪が追放されたあの日から、すでに一年が過ぎていた。
渡辺家の宴には、今日も名士が集まる。だが、会場の片隅で、ある女中が小さく震えながら言った。
「……なんだろう、あの女性。妙に目を引くのよね。まるで時が……止まるような……」
広間の奥、静かに一人の黒衣の女性が現れる。青い瞳に、深い黒のドレス。その目は笑っていない。
──澪である。
(ここが、私を追い出した場所)
ひと呼吸置いて、彼女は足を進める。会場がざわつく。知らない顔。けれど、どこか“見覚え”があるような──そんな既視感が人々を包む。
「……貴族登録にない人物を通したのは誰だ!」
蓮が声を張る。その瞬間──澪が、口を開く。
「久しぶりね、渡辺蓮」
「…………え?」
声が、止まる。場の空気が一瞬で凍った。
──その声は、あの日、追放された令嬢のものだった。けれど、そこに立っていたのは“別人”だった。
背筋は真っ直ぐで、眼差しは鋭く、気品と威厳に満ちていた。蓮が知っている澪は、こんなに強い目をした女ではなかった。
「私の名は、“時雨澪”。あの日、この場所であなたが“抹消”した名よ」
「……お前……生きて……っ」
「生きてるわ。生きて、力を手に入れた。そして今日、舞台に還ってきたの」
蓮が一歩、後ずさる。澪の指先に、金の魔法陣が浮かぶ。会場が騒然とする中、彼女の周囲だけが静かに、時を止めたかのように静まる。
「あなたにだけ……教えてあげる。この“魔法”がどういうものか。……私があなたから“奪われた時間”、その“すべての記録”が、ここにある」
彼女は魔法陣を展開し、“過去”の映像を空中に浮かび上がらせる。蓮とフェリシアが密会していた記録、澪の爵位剥奪を画策していた記録──それらすべてが、貴族社会の前で暴かれていく。
「証拠を握られていなければ、私を消せるとでも思った?」
「っ……ふ、ふざけるな、これは罠だ、でたらめだ!!」
「時間は嘘をつかない。……これは、あなた自身が切り捨てた“真実”よ」
貴族たちの視線が、蓮から遠ざかっていく。フェリシアが泣き崩れる。蓮の肩が震え、澪を見るその目には、怯えしかなかった。
──そのとき、澪の背後から誰かが歩み寄る。小鳥遊玲だった。
「澪、もういい。君はもう、十分だ」
澪は、ふっと微笑んだ。
「ええ……けど、もう一つだけ。“あの日の私”に、別れを告げなければならないから」
──
夜、貴族街の外れ。澪はかつての自分がよく訪れた小道に立っていた。
「怖かった。悔しかった。惨めだった。……だけど、全部、過去のことよ」
彼女は一度、目を閉じ、そして目を開いた。
「私は、もう二度と戻らない。時間を巻き戻すことはできても、“心”は前にしか進まないから」
月明かりの中、玲がそっと彼女の手を取る。
「なら、一緒に進もう」
澪はその手を握り返した。
「……ありがとう、玲。あなたがいてくれて、よかった」
彼の手の温もりが、自分がまだ“自分”でいられることを確かめてくれるようだった。
けれど──その瞬間、澪の表情がかすかに曇る。
「……ごめんね、玲。名前を……さっき、一瞬だけ、思い出せなかったの」
玲の目が揺れる。
「魔法の影響か……?」
澪は小さく笑う。
「きっと、ね。でも……それでも私は、この選択を後悔してない」
玲は何も言わず、澪の肩を抱いた。その腕の中で、澪はそっと瞼を閉じる。記憶が消えても、心がここにある限り、彼女は前に進めると信じていた。
彼の手の温もりが、自分がまだ“自分”でいられることを確かめてくれるようだった。
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