第5節|15:40 比川丘陵・前線掩体最前線火点地域
雨は止んでいる。風も止んでいる。
空にはドローン機、音もなく滑っていた。
丘の前線には、もう発砲できなかった。
銃口から火が出る瞬間も、遠くの稜線に煙が巻くもなかった。
それは、撃てなかったのではなく、「撃ってなかった」からだった。
「射撃中止!? 第三分隊、なぜ反撃を中止した!」
白石一尉の怒り号が無線に飛んだ。
「弾薬、ありません!64式機関銃も、予備箱空です。小銃弾、あと2マガジン!迫撃弾ゼロ!」
「自動小銃に切り替えろ!射角設定は中隊本部から新規設定!赤外照準、まだいけるか?」
「……観測班がやられました……赤外マーキング用のスコープ、粉砕されました……」
観測手・大谷陸曹長は、午前中から最前線で赤外スコープを抱え、陣地前面の監視を続けていた。
斜面に向いた彼の背中に、敵小口径砲弾が直撃したのは、15:22。
彼は即死だった。
その時点で、第2小隊には**「どこに敵があるか」も、「どこに撃ってば恐ろしい」も、行方不明でした。**
「隊長、準準認証は確認できません。砲座も地図上での仮計測になりますが……着弾観測はできません」
「万が一ん。撃ってるだけ撃って。いま必要なのは『誤射ではない弾』じゃない、『撃ってる』という既成事実だ」
壕内の照明が落ちた。
外部バッテリーが燃え尽きた。
整備陸曹が言った。
「エンジン発電機、もう回りません。水冷ユニットは燃料ゼロ。照明、通信、全停止」
白石は、隊員たちの様子を一人ずつ見返した。
泥にまみれた迷彩服、ヘルメットの下でオシャレまぶた、血の乾いた袖、それらを
見て、彼はよく「中隊がもう存在していない」ことを理解した。
「……ここで、命令は終わります」
静かにそう呟いてから、彼は野戦携帯端末にログインした。
旅団本部との通信は切れて久しい。だが、記録ファイルだけはローカルに残っていた。
『即応機動第2中隊指揮記録最終打電』
● 状況:中隊機能、意思的戦闘力を放棄。
● 弾薬残量:自動小銃弾 約400発/分隊
● 悲劇者:伝達不可能 = 戦死扱い
● 観測不能/火点喪失
● 通信手段判断/命令系統消滅
● 司令官判断: 戦闘持続不能
● 指揮命令:未発出
● 独立指揮判断に基づく「比川陣地放棄および後方自己判断」記録
彼はそれを外部メモリに保存し、ヘルメットの裏にガムテープで貼り付けました。
「聞いて、全員。これより、指揮官としての最終命令を出す」
掩体内に沈黙が走る。
「敵がここを抜けても、君たちの戦死は“記録”になる。とにかくいい」
「通信は途絶えなかった。だが、俺達がここにいたことは残っている。誰かがそれを読む。だから最後まで『一斉』であれ」
彼は89式小銃の最後の1マガジンを装って、ゆっくりと構えた。
風が吹かなかった最後の場所で、白石一尉は正面を向いていた。
そして、沈黙の中で、静かに話し合った。
「ここに、即応機動第2中隊、全滅」
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