はじまりの約束
「そこで君には、NB-47『イオリ』の育成と観察を任せたいのだ」
「……え?」
「そして、イオリの成長を促進するために我々と同様の日常を送らせてくれ。君には世話役兼見張りとして、こちらで用意した家でイオリと共に住んでもらう」
「は?」
藤次は間抜けな声を出す。
「これは上層部ですでに決定された事項だ。おって正式な書類も渡す」
藤次は、この突然の発言に呆然としていた。
(フラクタルの、育成と観察?それに共同生活まで??しかもこれは決定事項???)
「心配するな。君は冷静沈着で優秀だ。そのフラクタルも、君の実力を鑑みて渡したものだしな。それに、敵対的フラクタルの相手をするよりよっぽど楽なはずだ。頼んだぞ、藤次」
海門局長は、そう言いながら意味ありげな微笑を浮かべるのだった。
「はあ」
その数分後、藤次は自販機ブースのベンチに腰かけため息をついていた。
(この仕事にスカウトされて1年、ようやく順調に行き始めていたのに……)
「なんでこうなるんだよ……」
藤次は缶コーヒーをあおる。その時だった。
「お、いたいた。何してんだよ、こんなところで」
そう言って30代ほどの年齢の男が、藤次の隣に座ってきた。
「霧島さんこそ……」
「フラクタルのメンテだ。それよりもなんだ?局長にでも呼び出しされたのか?」
霧島はおどけた調子で尋ねる。それに、藤次は深刻な様子で答えた。
「実は、今日回収された人型フラクタルの育成を任されたんです……」
「……マジか?」
「断ったんですけど、もう決定事項だからって」
藤次はそう言うとため息をついた。が、
「ふ、クク。あっはっはっはっは!」
霧島はそんな藤次を見て吹き出した。そして藤次の背中をバンバン叩きながら言った。
「そうかそうか!お前が”育成”か!海門も面白いことを考えるなあ」
「他人事だからって適当な事言わないで下さいよ。フラクタルって言っても、相手は見た目15歳の少女なんですよ?それと共同生活までしろって……」
「15かあ、妹みてえでいいな。言葉は通じんのか?」
「まあ、一応」
藤次の答えに霧島はまた藤次の背中を叩く。
「なおさらいいじゃねえか。つーかそもそも、なんでお前がそんな役割任されてんだよ」
「なんでもそのフラクタルが俺のソードフィッシュと共鳴してたらしくて。それなのに特異性は検出できなかったから、理由を探るためにと……」
藤次がそう言った途端、霧島の表情が変わる。霧島の顔からはすでに笑みは消えていた。
「つまり、原因不明の共鳴か」
(雰囲気が変わった。仕事モードだ……)
藤次は霧島の先ほどとの温度差に若干たじろぐ。
「は、はい。局長は『フラクタルに干渉する力がある』と仮定していました。その力を局長の言っていた”フラクタルの平和的な使い道”に使うのだと思います」
霧島はそれを聞いて顎に手を当てる。
「フラクタルに干渉する、ねえ。それを”平和的利用”か。まあ外向きの大義名分だな」
「大義名分って……」
そんな事を口にしてもいいのだろうか。
「まあ別に嘘ってわけじゃねえだろ。敵性フラクタルの管理は大変なんてもんじゃねえ。それを解決できる方法があるなら活用すべきだ」
霧島はそう言うと立ち上がる。
「まあ、俺はただの一検閲官だ。上の判断にとやかく言える立場じゃねえからな。とにかく俺はお前を応援してるぜ、藤次」
「本当に俺に務まるでしょうか……」
「心配すんな。お前はこの俺の見込んだ男だ。上手くやれるさ」
霧島はそう言うと、缶コーヒーを買ってその場を後にした。そして一人残った藤次は、コーヒーの空き缶を握りしめながら床のタイルを見つめていた。
『上手くやれるさ』
(やるしかないよな。もううだうだ言ってられない)
「……よし」
藤次はゆっくりとその場に立ち上がると、空き缶を捨てて倉庫に向かった。
「こんにちは」
藤次は広大な倉庫の一画で、管理職員の一人に声を掛けた。それに職員は耐火服を脱ぎながら答える。
「ちょっと待っててね。今面倒なのが終わったばっかりだから」
そしてしばらくして、作業服姿の30代ほどの女性職員がタブレット片手に現れた。先ほどまで着ていた耐火服は手のひらサイズにまで縮んでポケットの中である。
「それで、えーと。君が受取人の網代藤次?」
「はい。NB‐47の引き取りに来ました」
「あー、それね!局長直々に第1種開放措置命令が出てるよ」
職員はそう言いつつタブレットを操る。そして一通りの操作が終わると、職員は唐突に藤次に近づき全身をまじまじと観察する。
「な、なんですか?」
「いや、たしか君GE-244S受領してたでしょ。確か1年前くらいに」
(なんて記憶力だ……)
「はい。ソードフィッシュを」
「だよね。あれから異常とかない?それ厳重警戒対象でしょ」
「特にありませんよ」
(助手席に置いてたりしたけど……)
藤次が答えたその時だった。コンテナの並ぶ通路の奥から声がした。
「おい、マキタ!貴様また奴を逃しおったな!」
その声の主は、赤髪碧眼の若い女だった。しかも近代の軍服を着込んでいる。そして藤次は、彼女が誰かを知っていた。
(噂では聞いていたけど、本物だ……)
「FB-65A、ナポレオン…!」
「む、何者だ。我が美貌を許しもなく見おってからに。不敬であるぞ」
女は藤次を睨む。そう、彼女はナポレオン・ボナパルトその人なのである。ただ、ナポレオンが女性であった別世界の、フラクタルとしてだが。
「まあまあ、将軍。君はここでは特に有名だからね。それに彼は、まだ新人だ」
マキタと呼ばれた職員は、そう言って慣れた様子でナポレオンを諌める。それにナポレオンは、
「……まあよい。それよりもなぜキリシマを行かせた。今度こそ吾輩の目で、奴のフラクタルの程を見定めてやろうと思っていたというのに」
そういって不満そうに腕を組む。
「知っているだろう?彼は忙しいんだよ。敵性フラクタルとの戦闘で、彼の右に出るものはいない。だからメンテも時間をかけられない」
牧田はそう言ってナポレオンにタブレットを差し出す。
「それよりも、まだ仕事が残っているだろう?B列のフラクタルがごっちゃになったままだ」
ナポレオンは何かいいたげに牧田を睨んだが、やがて堪忍したようにタブレットを受け取った。
「貴様……いつか覚えていろよ」
「はいはい」
牧田はナポレオンを別の通路に追いやると、ひと段落したというように腰に手を当てた。
「いや、別の世界のとはいえ、偉人をこき使うのは楽しいね」
「こき使うって……」
「彼女は我々に厳重に管理されているからね。何か不審な行動を取ればすぐに"処分"される」
牧田はさらっとそう言ってのける。そして後ろを指差しながら言った。
「それよりも、来たよ。君のフラクタル」
その言葉に藤次が後ろを振り向くと、そこには通路を音もなく滑ってくる正方形のコンテナがあった。あの中にイオリがいるのだろう。藤次はその様子に引っかかった。
「あの、人型でもコンテナに入れられるんですか?」
コンテナには窓どころか扉すら見当たらない。
「そうだよ。だってあれはフラクタルだ。人間じゃない」
「そうですが……」
(見た目は俺と同じ人間なんだ。はいそうですか、とはいかないだろ)
藤次は思わず拳を握る。
「まあ、分からないでもないよ。君は日が浅いから、受け入れ難いだろうからね。あと一年もすれば慣れると思うけど」
牧田はそういうとコンテナに手を触れる。するとコンテナは1人でに止まり、ガコンという音と共に壁の一面が開いた。その中にイオリはいた。
「ん……」
イオリは壁に背中をつけ、体育座りの姿勢で眠っていた。もう一度見てみても、やはりイオリはただの少女にしか見えなかった。
「ほら、お迎えだよ」
牧田が言う。だがイオリは無反応である。牧田はため息をつくと藤次に目配せをする。
『君が起こしてくれ』
藤次はそれに頷くと、ゆっくりとイオリに近づく。そしてコンテナの前で腰をかがめると、初めて会った時のように話しかけた。
「イオリちゃん」
すると、イオリは少し頭を上げて藤次を見た。
「……知ってる人」
「そうだよ。さっき君を送ったお兄さんだ。名前は網代、網代藤次」
「トウジ」
イオリは復唱する。
「今から君を地上に連れて行く。そうしたら新しいお家に行こう」
「一緒にいくの?」
藤次はその問いに少し考えて答える。
(上手い言い方が見つからないな……)
「……というより、そのまま君と住むことになったんだ」
「………」
イオリは答えない。焦った藤次は尋ねる。
「嫌、かな」
「……ううん。気にしない」
藤次はそれを聞いてホッとした。
「それはよかった」
「でも……」
イオリは顔を上げると、ハッとするほど真っ直ぐに藤次を見つめて言った。
「もう離れないでね」
藤次はイオリの目に引き込まれそうになりながらも、笑って言った。
(なんだよ。以外と可愛げあるじゃないか)
「ああ。わかったよ。もう離れない」
その答えにイオリは、少し微笑んで言った。
「うん。約束」
用意された家は、千代田区の某所にある、何の変哲もない低層マンションだった。その一室に藤次の私物を運び込む。幸い、藤次は社宅に住んでおり、さらに家具や雑貨も多い方では無かったので、これらの作業はすんなり終わった。
(今思えば、こういうところも俺が選ばれた要因だったんだろうな)
藤次は段ボールを開封しながらそんな事を考える。するとそこにイオリが声を掛ける。
「トウジ、これなに?」
藤次が声のする方を見てみると、イオリが段ボールの中から電動式の健康器具を取り出していた。
「それで肩をほぐすんだよ。まあ買ってから一度も使ってないけどな」
藤次はそう言いつつも思った。
(それよりも……)
「イオリ、ちゃんと服を着ろ」
そう、イオリは藤次のオーバーサイズのTシャツを着ただけだったのである。それにイオリは少し不満そうに答える。
「楽だから」
「駄目だ。それで外でも歩いたら捕まるぞ?」
(こいつ、面倒くさがりだな……)
藤次はイオリの服を見繕おうと腰を上げる。藤次とイオリの共同生活は、まだ始まったばかりであった。




