決壊×後悔
時間が身体にべっとりと纏わりつくように重く遅い。同時に、何日経ったのか、何時間経ったのか感覚がぼやけて、数時間前のことがまるで何年も前のことのように記憶が断片的で朧げだ。あの日、カイロスドームからどうやって戻ったのかも覚えていない。
しっかりしないといけない。そう思い、目の前のことにだけ意識を集中して余計なことを考えないようにするが、すぐに何故、誰のために、そんな投げやりな気持ちや、ユイのこと、セナのこと、ナツキちゃんのこと、これからのこと。そんなことばかりが頭をよぎる。
アマネは文字通り視野を狭く絞り、モニターに映し出される数字やパラメータに意識を向けた。
「オロス、エコラプシーの状況をまとめて」
首元のチョーカーデバイスがぼんやりと点滅すると管理室のモニターに幾つかのデータが表示された。
『選択は既に終わり、実行進捗は87%です』
アマネは数字から視線を落とし、腕に巻かれた柔らかなブレスレットに目を向けた。
巻かれたその一点だけには温もりが存在して、それ以外には温度も記憶もまるで無いみたいに感じた。
反対側の手でブレスレットを包むように触れた。
『非選択者400人程はこれまで通りの生活を継続中。大半が居住区画をケアセンターへ移行しました。非選択者に供給することができる自死剤は現在のところ希望者は出ておりません』
ーー自死。
現実に留まった人たちがエヌリス侵食の苦痛に限界を感じた場合、苦痛を最小限に抑えられるように、服用すると死に至る薬が希望者に供給される。
どれくらいの人たちがそれを希望するのだろうか。ふと浮かんだ考えを振り払うようにアマネは続けた。
「あとどれくらいの期間で残りのメルトアップが終わるの」
ディスプレイに予想進捗が映し出される。
『13日間で全てのメルトアップ施行が終了します』
アマネはそれを確認するとモニターの表示を消した。
車椅子のリムを掴みホイールを回そうとするが、向かう当てなんかないと思いリムから手を離した。
アマネはコントロールルームの真ん中でただ呆然と視線を泳がせた。
この部屋に来て以来、まじまじと中を見たのは初めてかもしれない。壁面に大きく設けられたメインモニターの他には中央にデスクが一つ、その脇にはコントロール用のパネルが設けられている。
反対側の壁にはそれよりも一回り小さいモニターが設けられており、アマネはこれまでそれをサブモニターだと思っていたが、よく見ると見たことのある機器があることに気がついた。
「オロス、こっちの端末を起動して。こっちでは何が出来るの」
小さくチョーカーが点滅するが、目の前のモニターは暗いまま起動することはなかった。
『既存のネットワークとは隔離されており、私には操作不能ですが、研究室のデータベースによると端末はカイロスドームとネットワーク接続可能。ここから″面会″を行えます』
面会をすることが出来ないアマネは今日まで気がつくことができなかったが、アマネが感じた既視感はそれだった。それはカイロスドームの面会端末に酷似していた。
「宝の持ち腐れね……」
アマネは再びリムを掴み、ゆっくりとホイールを回し部屋を出た。
当てもなく館内をまわった。人気のなくなった研究室は無機質で夢の中にでも迷い込んだように静まり返っていた。
権限が機能しており、ある程度自由に館内をうろつける事がありがたかった。コントロールルームから抜け出してもケアセンターに行く気持ちにはなれなかった。
意識的にラボを避けて、当てもなく館内を彷徨っていたが、最後には当たり前のようにその扉の前に辿り着くしかなかった。
通い慣れたラボは他の部屋と同様に暗く人気もなかった。
車椅子をゆっくりと進めると、音もなくラボの扉がすっと開き、ラボの中にわずかな光が灯った。
アマネは「結局ここなのね……」と、ため息混じりにそう漏らし、諦めたようにラボの中に進んだ。
薄明かりのラボを見回しながら車椅子をゆっくり動かして恐る恐るユイのデスクに寄せた。
リムを握る手を一度ぎゅっと結んでからそれを解き、掌で撫でるように何もないデスクにそっと触れた。
頭の奥が霞がかって思考も感情も何もかも意味を結べそうになかった。
モヤを振り払うようにデスクを撫でていた手を再び結び膝に置いた。小さく息を整え中央にある何も写していないモニターを見つめた。
「無意味なシミュレーション……」
目を背けるように逸らした先にかつての自分のデスクがあった。何も残していなかったはずのそこに何かが置かれているのに気がついた。
恐る恐る車椅子を近づけると、デスクの上には丁寧に折り畳まれたパーカーと見慣れた小型のゲーム機が置かれていた。
目元が熱くなったと感じた時にはすでに決壊したように涙が溢れていた。
アマネがゲーム機を手に取ると、その下から一切れのメモのようなものがヒラリと花びらのようにゆっくりと床に落ちた。
デスクの下に滑り込むように落ちたものは小さなメモ用紙のようなもので何かが書かれていた。
アマネは溢れ落ちる涙を拭おうともしないままデスクの下に手を伸ばしたが紙切れにはどうしても届かなかった。
「……ユイ」
そう溢しながら必死に手を伸ばすが僅かに触れる指先が紙切れを余計に奥に押し込んでしまう。
それでも諦めずに前のめりに手を大きく伸ばした拍子にアマネはバランスを失って大きな音と共にその場に車椅子ごと倒れ込んでしまった。
それでも床に放り出されたアマネの手にはそのメモ用紙が握られていた。
ーーー
アマネちゃんへ
俺のパーカーとゲーム機を受け取って欲しい。
本当は直接渡したかったけど、それだと結局俺は渡せなくなっちゃうような気もしてこうする事にした。
寒い時には羽織って暖かくして。
暇な時にはゲームで手間を愛しんでみて。
いつでも俺に会いに来て。みんなにも。
ちなみにパーカーはちゃんと洗ってあるぜ。
アマネちゃんは洗ってない方が嬉しかったかもしれないけどな。なんちゃって。
ユイ
ーーー
短く書かれた手紙に一滴、二滴と次々に涙が溢れて落ちた。
アマネは床に這うように横になったまま震える息で呼吸をしながら何度も手紙を読んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
か細い声で絞り出すように何度もつぶやいた。
声にならない声で喉が熱くなり嗚咽で胸の奥が焼けるようだったがそれでもアマネは小さく叫び続けた。
荒い呼吸のまま体を起こしてデスクの上のパーカーに手を伸ばしたが半身が思い通りに動かず僅かな距離が歯痒く遠かった。ガクンと一度その場にうずくまるように倒れてから拳を握りしめて自分の足を何度も殴りつけた。
「ユイ……」
アマネはぐしゃぐしゃになった顔のまま、それでも歯を食いしばり再び体を起こすと精一杯体を伸ばしパーカーとゲーム機に手を伸ばした。デスクの向こう側に指先でその感触を見つけると、ギュッと体に抱え込むようにそれを手元に手繰り寄せた。
涙で濡れたままの顔を埋めるようにパーカーを抱き寄せた。
施術室で何度もごめんとつぶやいたユイの姿が何度も瞼の裏に浮かんだ。
「……違う。違うよ」
ユイが謝ることなんか何一つもなかった。なのにまるでそれを許すように諭した。取り返せない後悔の行き場を探すようにパーカーに顔を埋めたまま咽び声を上げた。
アマネはそのまま背中を丸めパーカーを巻き込むように体を小さく畳んで小刻みに震えた。
「……謝るのは私だった」
喉の奥で何かが引っ掛かり、呼吸をするたびに胸が軋んだ。胸も呼吸も苦しいのに涙だけは一向に止まらなかった。
「……それだけじゃない。ありがとうも伝えられなかった」
ーーこんなにたくさん受け取っているのに。何も返せなかった。
薄暗いラボの中、後悔と悔しさですり潰されたアマネの心がその叫びを止めることはなかった。




