空気×時間
ユイのメルトアップの日程はすぐに決まった。
それからのアマネはコントロールルームに閉じこもり、エコラプシーの動きをただ見つめることしかできなかった。
レン=ゲードの高官たちやインフラに関わる人々も、その大半がメルトアップを終え、人々は粛々と世界の移動をたたみ始めていた。
「オロス、エコラプシーが完了したら私の研究室での権限はどうなるの」
チョーカーが緩く点滅し、オロスの声が響く。
『基本的に全ての機関は閉鎖ではなく休止状態を維持します。そのため、権限に大きな変動はありません』
画面に映し出されたエコラプシーの選択のほとんどはメルトアップと尊厳死の選択で埋められていた。
「非選択者の最終的な人数を表示して」
チョーカーの点滅と共に画面に数字が示された。
『約400人ほどが非選択の意思表示を示しています。彼らにはケアセンターが生活コミュニティとして残されます』
画面へ向けていた視線は、いつのまにか焦点を結ばなくなっていた。
「ユー=オルクの残された人たちのことは何かわかる」
わずかな沈黙ののちに、画面にはNODATEの文字が立ち上がった。
『完全なオフライン状態ではありませんが、非選択者の詳細な状況は不明です。完了から約ひと月が経過しているため、一定の人口減少は進んでいると考えられ、早ければ二年程度、長く見ても十年未満で0になると考えます』
オロスの声がコントロールルームに溶けて行き、すっと静けさが立ち上がると、アマネは手元の端末を操作した。
端末には研究室全体のデータバンクが映し出されていた。アマネはその中のいくつかのデータを追ってから端末をゆっくりと閉じた。
アマネは何かを考えるように腕に巻かれたブレスレットに視線を落とし、反対の手で優しくそれを撫でた。
それからゆっくりと車椅子を動かして、アマネはコントロールルームを出た。
研究棟の廊下を進みながら、小さな声でオロスに投げかけた。
「オロス、メルトアップした後の意識はどうなってるの」
誰もいない廊下に、アマネの車椅子のわずかな音と、オロスの合成音声が響く。
『覚醒状態のまま睡眠しているような矛盾している状態で、明晰夢でありながら同時にそうじゃないような感覚とも表現出来ます。また、時間の感覚は希薄です』
アマネはその答えについて考えながら、口を強く結びゆっくりと廊下を進んだ。
幾つかの小さな段差を乗り越えた先に、いつものラボとは違う、馴染みのない生物チームの扉の前にアマネは到着した。
音もなく開くドアを抜け、全体を確かめるようにゆっくりと中に入ると、そのまま奥に進み、メインの端末に手を触れた。
ラボの大きなディスプレイがふっと立ち上がり、画面に幾つかのデータが表示されると、その薄明かりで部屋全体がぼんやりと青白く照らされた。
アマネはそれをパッと眺めてから、いくつかの操作を行うと、研究室の奥に設けられたサンプルバンクから真空パックされた状態の種子が中央の試験テーブルに運び出された。
アマネは車椅子を滑らせてテーブルに寄せると、そこから一つのパックを取り出し、残りを元に戻した。
ラベルを一度確認してからパックを開き、手のひらに乗せた小さな粒をしばらく見つめた。
それから空のサンプル瓶を取り、静かにその中へ落とした。
アマネはその瓶を別の機器に収めると、不慣れな手つきで真空保存の処置を施した。
生物チームのラボを見つめ、ぐるりと全体を見渡してから、処置を終えた瓶を手に取り、丁寧にハンカチで包んでからポケットに入れた。
振り返ってゆっくりと車椅子を動かすと、そのまま生物チームのラボを後にした。
アマネはその足で真っ直ぐに、自分たちのいつもの研究室を目指した。
無力感でも押し付けるように、人気のない研究棟全体がただ沈黙のままアマネを見つめているように感じた。
アマネは何かを振り払うように、リムを弾く力が強くなっていた。
アマネたちのラボは消灯されたままだった。
そこにユイの姿はなかった。
時間が止まったようなラボの中をまっすぐに進み、しばらく使っていなかった自分のデスクに移動した。
「オロス、シミュレーションを立ち上げて」
アマネがそう発すると、チョーカーが光りすぐに中央にある巨大なディスプレイにシミュレーションが立ち上がった。
映し出された地球には数日前に二人で見た、ユイが嬉しそうに語った、アノマロカリスやピカイア達が画面の中で強かに進化の道程を進めていた。
アマネは項垂れるようにシミュレーションから視線を落として、ユイのデスクに目を向けた。
そこにはユイのゲーム機も、ユイのパーカーも、白衣も何もなかった。そこにあった空気さえ失われたように、主人を失ったデスクだけがぽつんと残されていた。




