協力×王国
ラボに戻り、ケアセンターから送られてきたキダのデータに目を通した。
四肢の麻痺の進行が徐々に出始めているようだが、認知はそれほど悪化していない様子だった。治験の対象として十分症状が進行していると言える。
おそらく、認知の状態が良かった事でサンプル候補に上がらなかったのだろうとアマネは考えた。
父がそうしたように、子供の未来の為ならば自分の考えや想いを超えて治療を選択する人がいる。キダと話し、協力を取り付けられる可能性を見出せた事はアマネにとって大きかった。
その日のうちに医科チームと話し合い、協力打診の枠組みの幅を広げ、再度通知を行った。
ほとんどの回答は非協力的なものだったが、キダをはじめとして9人の協力を取り付けることに成功した。結果を取ることができることの意味は大きい。
拒絶されるたびに胸が痛んだが、ナツキとの縁が最後に道を繋いでくれた。
ユイにこの報告をする為、アマネはケアセンターを訪れていた。メッセージで伝えることも出来たが、ユイの症状が気掛かりだったことが大きい。少しでもマシなニュースを伝えてあげたかった。
病室でユイは静かに寝息を立ていた。血色は良いが、数日前よりやつれているように見えた。
ベットサイドにはラボでいつも使用しているタブレット端末と例のゲーム機が置かれている。
ベッド脇に車椅子を滑らせ、窓から差し込む光に照らされるユイをぼんやり見つめた。
まじまじとユイの顔を見るのは初めてだった。整った目鼻立ちで、もう少し若い頃ならきっと女の子と間違ってしまっていただろうと思うほどだ。
「ユイくんの美しさに見惚れちゃったかい」
不意に小さなユイの囁きが聞こえて、アマネは肩を跳ねさせた。
「……起きてたのね」
ユイは目をうっすらと開き微笑むようにこちらを向いた。
「まだ鑑賞するならもうしばらく静かにしておくけど」
そう言っておどけるように儚げに笑って見せた。
「……もう十分鑑賞したわよ」
アマネは小さく笑い返した。けれど胸の奥では、今の笑顔がひどく不確かに思えて、安堵と不安が入り混じるざわめきのようなものを感じた。
「それで今日はどうしたの。俺は約束通り大人しくしてたよ」
ユイは体を起こしてベッド脇からタブレット端末を手に取った。
「もう知っているかもしれないけれど、治験協力が得られた」
操作する端末から顔を上げ、驚いたような顔でアマネに向き直って驚いたように「やった」と声を上げた。
「正直、誰も協力してくれないんじゃないかと思ってた。
1人だろうと、2人だろうと協力を得られたなんて本当にすごいよ」
アマネはユイが嬉しそうにする顔を見て、直接伝えることにしてよかったと思った。
「協力者の中にはナツキちゃんのお父さんもいるの。
ユイが繋いでくれたんだと思う。あの時、ユイがナツキちゃんに声をかけてあげたから、その時の小さな繋がりが私たちを前に進ませてくれた」
ユイはそれを聞いて驚いたようだったが、すぐに少し照れたような仕草でアマネから目を逸らし端末を操作し始めた。
「驚いたね。運命ってものを信じちゃいそうだ」
ぶっきらぼうにそう言うと、端末の操作を止め背中をベッドのフレームにもたれかけるように上体を起こした。
「俺がいなくてもアマネちゃんはきっとナツキちゃんを助けてたと思う。
それでも、そう言ってもらえるのはやっぱりうれしいな」
アマネは画面を操作しているユイの口角がスッとあがるのを見て、病室ごと温まるように感じた。
「それに、協力者の中にって事は複数人集められたんだね」
「全部で9人よ。決して多い数ではないけれど」
アマネはそう言ってから、膝に置いていた自身の端末に治験協力者のデータを表示してユイに手渡した。
「9人も集めたなんてすごいよ。
正直誰も集まらない可能性も十分あったんだし、本当にすごいよ」
受け取った端末の画面を見つめたまま、ユイはしばらく言葉を探しているように口を結んでいた。やがて、ゆっくりと目を閉じ、小さく息を吐いた。
「ということは、サンプルの数は合計で10になる。
誰も集まらなかった時の保険として、俺も治験を受ける事にしてた。すでに医科チームに話は通してある」
ユイがそう口にした瞬間、アマネは一瞬言葉を失った。
「……なんでユイが」
ようやく絞り出した声は、怒鳴るでもなく、掠れて震えていた。
「後遺症の危険だってあるのよ。相談くらい……してほしかった」
ユイは視線を落とし、しばらく黙ってからゆっくりと答えた。
「アマネちゃんがそう思う気持ちも、ちゃんとわかってるよ。俺だって、それくらいわかる」
微かに笑みを作ろうとしたが、すぐにかき消すように真顔に戻る。
「だからこそ、黙ってたんだ。止められたら、俺はきっと前に進めなくなったと思うから。
……それに、俺はただ結果を待つだけの人間にはなりたくなかったんだ」
ユイがそう言った瞬間、病室の空気がぴたりと止まった。
アマネは胸の奥に込み上げる苛立ちと、同じくらいの心配とをどう言葉にすればいいのかわからなかった。
「……そうね。そうかもしれない。
それでも、黙って進めるようなことをしてほしくなかった」
わずかに震えた声は、怒りよりも戸惑いに近かった。
ユイはゆっくりと首を振り、アマネを真っ直ぐに見つめた。
「これは、俺自身のために決めた。けど、それはアマネちゃんの願いと同じ方向を向いてる……そう信じてるよ」
わずかな沈黙のあと、アマネは大きく息を吐き、肩をすくめて小さく笑った。
「まったく……ユイらしいわね。
私に心配をかけてでも、そうやって前に進もうとするなんて」
アマネはそう言うと、自分自身に言い聞かせるように小さく続けた。
「自分たちの研究を信じるしかないわね」
その言葉に反応するようユイが目を光らせた。
「それにさ、10人って言うのも悪くないよね。
これでセフィロトが全部揃ったみたいでさ。完璧な布陣だよ」
ユイが口にした比喩に、アマネは呆れたように目を細めた。
「生命の樹ね……ユイはどのセフィロトなのかしら」
アマネがぽつりと呟くと、ユイは小さく肩をすくめて笑った。
「そうだな……美でも力でもなく“王国”がいいな。それってこの世界そのものって事だろ」
10のセフィロト全てがユイを象徴するようにも思えたし、全く違うようにも思えた。
けれど“王国”を選んだユイの声は、不思議と現実より確かなものに思えた。まるで、彼自身が未来を形づくる礎になると宣言しているように。




