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侵食×沈黙

 ユイは、表示したデータを一つ一つ説明しながらシミュレーションを走らせた。

「アマネちゃんのお父さんがやったように、癌に対してエヌリスがどんな反応をするか、シミュレーションの速度を上げて確認してみよう。

 おそらく、癌治療のレトロウイルスと、ほとんど同じ振る舞いをするんじゃないかな」

 そう言って、シミュレーション上にタンパク質のデータと癌の遺伝子データを展開した。

 癌細胞は目の前のタンパク質に癒着すると、そこに根を張るように侵食と増殖をはじめた。

 アマネは、みるみるうちに侵食の根を伸ばす癌を見つめなが、これが過去、たくさんの人々を苦しめていた事を想い嫌悪感を覚えた。

「何もアクションを起こさなかった場合、癌細胞はどこまでも遺伝子を破壊して増え続ける。

 ある意味ではエヌリスよりも凶悪で乱暴なやつだ」

 ユイは端末を操作して、さらにもう一つのデータを展開し、話を続けた。

 「まず先に、こいつに治療に用いられていたレトロウイルスのデータを紐付けた場合、どうなるか」

 してしばらくすると、展開されたレトロウイルスは抗癌作用を発揮して、侵食を開始していた癌細胞の動きをゆっくり止めた。

 ユイは「おお」っと小さく感嘆の声を上げながら画面を凝視している。

 作用が始まって間も無く、タンパク質は正常な状態へと立ち戻った。

「さすがだね、先人の努力の賜物だよ。

 不治の病とまで言われていた癌はこの通り、すっかりおとなしくなる」

 感心したように呟きながら、再度、端末上に同じタンパク質と癌の遺伝子データを展開して、少し興奮気味に話を続けた。

「今度は、同じくタンパク質を侵食している癌にエヌリスのデータを紐付けてみるよ」

 ユイは一度目を閉じて、まるで祈るように端末を操作した。

 シミュレーションを走らせると、画面上の癌細胞はタンパク質をどんどんと侵食し、己の細胞を増殖し始めた。それは2人の希望すらも丸ごと喰らい尽くしてしまうようにアマネには感じられた。

「……間違いだったのかな」

 機械が動作するわずかな音だけが響く静かなラボに、心配そうなユイの声が力なく溢れる。

 ユイは画面上のパラメータを全て確認するように、あちこちに目線を走らせた。

 ユイが「たのむ」と小さく呟いたのとほとんど同時に、シミュレーション上の数値に僅かに異変が現れた。

 すると、癌はゆっくりとその侵食と増殖の速度を緩め始めた。

「来た……」

 ユイはそう洩らし、息を呑むようにデータを見つめている。

 アマネは、まるでこの世から音が消え去ったように感じるほど、癌の動きに集中した。

 映し出された癌の猛威はそのまま静かにゆっくりと沈黙した。

「…やった、思ったとおりだよ」

 ユイは力強く、叫ぶように歓喜の声を上げ、その場で何度も飛び跳ねた。

 アマネも無意識に握りしめた拳を胸元で振り、同じように小さく「やった」と声に出していた。

「これは、エヌリスがどのレトロウイルスが出自か特定できたかもしれないなんてレベルの、そんな小さな話じゃないよ。

 おそらく、これは欠けていたピースそのものだ」

 ユイは興奮した様子でそう言った。

「アルファワクチンへの一歩に繋がると良いわね」

 アマネの言葉にユイは明るく言葉を返す。

「一歩どころか、何百歩も進んだんじゃないかな。

 アルファへの挑戦は並行して続けていたし、今までのオメガで積み重ねた研究だって生きるはずだ」

 アマネは、嬉しそうに話すユイに優しく言葉を返した。

「きっとそうね。

 それに、今度は父がしたように癌の移植を直接行う必要はないと私は考えているわ」

 ユイは高揚を抑え込みながら私の話に耳を傾けた。

「車椅子であることや、深度接続できないことについていつも考えていた。

 ……うそね。私はそれを考えないようにしていた。同じことなのにね。

 この後遺症はきっとあの癌移植が原因。さっきの映像を見て確信したわ。

 それでも——お父さんを。父のことを見て、私は心底ほっとしたの。同時に安心もした。私は父のことを憎んでない。それがわかったから」

 アマネの言葉を聞いてから、高揚していた様子のユイは、気持ちを抑えるように少し間を開けて、ゆっくりと答えた。

「どんなことをしても助けたいって気持ちは、少し前の俺だったらわからなかったかもしれない。

 だけどさ、セナさんを送る前に、ここまで辿り着けていたら、俺はセナさんに同じことしたかもしれない」

 ユイはアマネのデスクの上の桜に目を向けて続けた。

 「アマネちゃんが言うように、おそらく時間さえあれば直接癌細胞を移植する必要はない。アマネちゃんへの治療は、それの構成に割く時間がほとんどなかったんだと思う。

 お父さんはそれくらい命に必死だったんだ」

 ユイはそう言って、再び端末を操作し始めた。

「後遺症については、その可能性は十分にあるとは思うけど、今それを決める必要はないんじゃないかな」

 ユイはいつもの柔らかい表情でアマネに笑いかけた。

「早速、この結果を医科チームに共有するね。

 すぐに完成とは行かないだろうけど、アルファワクチンの可能性は一気に広がったと思う」

 そのまま、テキパキとした様子で操作を終えると、ユイは立ち上がり窓辺に駆け寄って空を見上げた。

「……アマネちゃん見てよ。こんなに晴れてるのに雨が降ってる。

 ゆっくり空を眺めるのは久しぶりな気がするな」

 アマネもゆっくり近づいて同じように見上げた。

 青く晴れ渡る空の下、ポツポツと小さな雨音が不規則に鳴っている。

「不思議な天気ね」

 アマネはそのままラボの窓から見える景色をゆっくりと眺めた。明るい太陽に照らされた小さな木からは、数羽の鳥たちが雨から逃れるように飛び立っていった。

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