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ただ冒険者をやっていた時は違う、本当の戦い。
魔物ではなく、人間相手に戦うということ。
反乱軍も国も一歩も引くことはない。
ただ争いが起これば、報復の為に再び争いを起こす。
血を血でぬぐいあい、より多くの血を求め消費的に続く戦いに、ステファニアは悔しさが募るばかりだった。
ここでは、ステファニアが城で教師達に習ったことは何一つ役に立たなかった。
理論的な落とし所は、募り過ぎた両者の憎しみのせいで意味をなくしていた。
応急処置として知っていた治癒魔法も、気休めに過ぎない。
ただステファニアも生きる為には誰かの命を奪う必要もあった。
綺麗事では救えない世界。
けれど、どうしても諦めきれない思いもあり、ステファニアは人々を励ますことだけは止めなかった。
戦闘が始まれば、諦めてその場に立ち尽くそうとする人々に逃げろと叫んだ。
怪我をした子どもを背負って生きろと言って逃げ続けた。
──戦わなくてもいい
──逃げてくれ
──どうか、生きる事を諦めないでくれ
希望などないかもしれない。
それでも目の前で消える命を見るのはステファニアにとって一番の苦痛だった。
終わりのない戦いでステファニアはただそう叫び続けていた。
そして、その国で傭兵として戦い始めて1年が経とうとしていた。
ステファニアはいつの間にか16歳になっていた。
その日は突然にやってきた。
誰の依頼だったのか、勇者が街に足を踏み入れた。
*
「ですから──」
「今日だけだ」
ダラダラと説教を続ける乳母の言葉を遮りステファニアは言った。
リンを撫でる手を止める事なく、気持ちよさそうに身を任せるリンを見つめながら、ステファニアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「これで最後にする。だから、許してくれ」
はっきりと言い切ったステファニアは、その双眸をゆっくりと上げ、乳母を見据える。
有無を言わせないその眼は、支配者の血を濃く受け継いでいた。
夜には明日の為に招かれた客の相手をしなければならない。
ステファニアが結婚する前に許された時間は今だけ。
「昼食までにはお帰りを。それ以上はジャコモ様を騙すわけには・・・」
仕方なしと言わんばかりに乳母は渋った声を出す。
乳母とてステファニアにとって酷なことを言っている自覚はある。
けれども、彼女は早くに亡くなった王妃の代わりに、ステファニアを誰にも文句を言わせない姫として送り出し、完璧な女王となる姿を見届けるという使命があった。
もちろんそんな乳母の心内をステファニアはよく知っていた。
だから、彼女や国民が求めるままにステファニアは、今、ここにいる。
「すぐに戻る。ジャコモには式の為の手入れで忙しいとでも言ってくれ。流石のあいつでも結婚前に押し入って来ることはないだろう」
ステファニアはまた緩くなった腰紐を縛り直す。
どうやら昔のように、この服を着こなせない事にステファニアは気づく。
当たり前のように履いていた男物のスラックスは、ここ数ヶ月コルセットを常に着ていたステファニアの腰には紐を巻いてもずれる程大きくなってしまった。
前なら簡単に隠せた胸の膨らみも重ねた服の上からでも分かるようになってしまった。
──たった少しの間なのにな
コルセットをつけ始めてたった数ヶ月。
戦争が終わりたった半年。
彼らと別れてたった1年。
ほんの僅かな期間で全てが変わった。
ステファニアは、次に自分が手放すものはなんだろうとかと思い浮かべた。
*
勇者の存在は噂に聞いた程度だった。
ちょうどステファニアがこの内乱の続く国にたどり着く少し前、年々暴走する魔物にを恐れ、魔王討伐の為に、帝国と教皇が異世界から勇者を召喚したという話が出回った。
噂ではステファニアとそう歳の変わらない少年で、この世界の者ではあり得ないような膨大な魔力を持っており、その潜在能力は底知れないのだとか。
その勇者が、大陸で選りすぐりの実力者を引き連れて魔王討伐の旅に出かけた。帝国から離れた田舎町でも彼らの話でもちきりになった。
その後ステファニアは傭兵となったので詳しい話は知らないが、ちらほらと勇者の活躍は耳にする機会があった。
その勇者一行が突然現れ、その力で戦の場を制圧した。
誰も手出しすることのできない圧倒的な力に、ステファニアは呆然と立ち尽くすばかりだった。
そこからはあっという間だった。
勇者一行のバックには帝国と教皇がいる事もあってか、内戦の締結のあれこれや手続きなど全てがステファニアの1年を嘲笑うように淡々と滞りなく進められた。
内紛の元となった国側の有力者はこぞって捕まり、その家族達もそれぞれ国外へ追放。反乱軍側も決して無罪とは言えない立場の者もいたが、帝国の支配下で復興の責務を負うことでなんとか罪を免れる形となった。
瞬く間に国民は生きる意思を取り戻した。
いくらステファニアが叫んだところで反応しなかった彼らの瞳に光が灯った。
──もし、あの力があれば・・・
彼らの持っている何一つステファニアは持ち合わせていなかった。
どこか頼りげのない幼い印象の目立つ勇者、帝国の有力貴族出身のエリート騎士に、歴代最高の浄化の力を持つとされる聖女、希少種であるエルフの弓使い。
ただの武力的な力だけはない。
帝国や教皇の政治的な力や、彼らの戦略的手腕に、それぞれの個性も何もかもステファニアにはない。
──もし、お父様に助けを求めていたら・・・
ステファニアの中にそんな考えが過ぎる。
父は裏で蜘蛛の巣のように張り巡らしたその力を活用してもっと早くにこの争いを食い止めることができたのかもしれない。
──私にできることは本当にあれだけだったのか?
足りないものが多すぎる。
自分には言葉をかけることしかできなかった。
ステファニアの中で生まれた無力感。
それはすぐに力を求める活力になった。
「私を連れて行ってくれ! 」
相変わらず無謀なお転婆娘は旅立とうとする勇者一行の前に立ちはだかった。
きっといきなり現れた出自不明の傭兵の少年など彼らが相手にするわけがなかった。
それこそ各地で英雄扱いされる彼らにとって、なんの特技も力もないステファニアを必要とすることなど皆無なのだから。
けれど、頼りげのないお人好しな異世界の勇者はあっさりとステファニアを受け入れた。
「賑やかなのは大歓迎だよ」
無害そうな笑顔を向けて笑う彼はやっぱり頼るにしては弱々しかったが、それでもステファニアには救いのように思えた。
それからは必死に彼らについて回った。
力不足を感じることもあったが、勇者の仲間達に頭を下げて指導を頼み込み様々な事を学んだ。
異世界から来た勇者はステファニアよりも世間知らずで、ステファニアが教えることもあるぐらいだった。
様々な事を経験し、学んだ。
あまりにも沢山あり過ぎて、ここでは一つ一つを語る事はできない。
けれど、どれもステファニアにとっては大切な思い出で、決して忘れることのできないものだった。
あの内戦以外、悔しいことも悲しみも沢山あった。
生きる希望を諦め助けられなかった命も沢山あった。
その度に彼らと苦しみ、嘆き、そして進んだ。
傷は癒えないが、それでもステファニア達は進み続けた。
皆で共有した経験は、どんなに不格好でも目指さなければならない理想の世界がある事を知った。
「お前、死にたいのか?! 」
だから許せなかった。
まるで死に場所を探すかのように戦う“彼”の姿に耐えられなかった。
なぜその手で数多の命を助けながら、生きる意思のない“彼”を理解する事などできなかった。