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「姫様! 」


 部屋に入ってくるなり甲高い悲鳴を上げたのはステファニアの乳母だった。

 肉のよくついたまんまるな両手で、ふくよかな頬を挟んだ乳母は、既に寝巻きを脱いで着替え終わっているステファニアの元に不安定な体を揺らしながら駆け寄る。

 朝からよくそんな声が出るなとステファニアは思いながらステファニアは腰紐が緩い気がして再度縛り直した。


「姫様! その格好は何事ですか! 」

「夜勤の兵達が目を覚ましてしまいそうだ。せめて扉を閉めてからにしてくれ」


 頭が痛くなりそうな乳母の声を遮る為にステファニアは片耳を塞ぎながら、扉から顔を出している護衛に目配せする。

 護衛はステファニアに一礼すると、これ以上乳母の声が城に響かないようにそっと扉を閉める。

 すると、閉まりかけたその扉の隙間からスラリと美しい白い毛並みの狼がステファニアの部屋に入り込むと、乳母を追い越しステファニアの足元にじゃれついてきた。


「おはよう、リン」


 ステファニアはその狼──リンの頭を軽く一撫でるとするりと喉に手を回し、掻くように喉元を触ってやる。

 リンはそれがお気に入りらしく、その神秘的に輝くサファイヤの瞳を細め大人しくステファニアの手を受け入れている。


「姫様、呑気に挨拶している場合ではございませんっ」


 乳母は呑気なステファニアの様子に苛立ちを隠せずに言い募る。


「姫様、明日は結婚式だというのに、そのお姿は何事ですか? まさかこれから騎士の真似事をされるとは仰いませんよね? 」


 グイグイとステファニアに顔を近づける乳母。

 戦の時のように兵士と変わらぬ出立ちをしているステファニアはそれを苦笑いで受け止める。


「すまない。明日は戴冠式やらなんやらで忙しいだろうから、今日のうちに体を動かしたくてな」

「姫様、明日が過ぎればそのような事をせずとも良いのです。この度の戦が異例だっただけで、わざわざ姫様が表立って指揮を取る必要はないのですよ? 全て夫となるジャコモ様にお任しすれば良いのです。姫様はこの国の母として、主として人々の象徴となられるのですから」


──それではただ座るだけの人形じゃないか


 その言葉が喉まででかけたが、グッと堪えリンを触り、乳母から視線を逸らした。

 ステファニアの体に刻むように乳母は「姫様、姫様」と何度も呪文を繰り返す。

 それを聞くたびにステファニアの中の何かが消えていくように感じるが、それをあえて口にする事はない。

 それを口にすれば、国民が夢見ているものが全て壊れてしまう。

 ステファニアにはそれがよく分かっていた。





 4年程前、ステファニアは父に反発して国を出た。


 ステファニアが生まれた国は、平和維持を掲げ中立国家として、戦の不介入を徹底していた。

 ステファニアはそんな姿勢を貫き王として責務を果たす父も、後継者として父を支えようとする王太子の兄も尊敬していたし、誇りに思っていた。


 そんな2人の背中を追うようにステファニアは、兄の側で国を守ると、幼い頃から剣を振るうようなお転婆な姫だった。

 父は教育に厳しかったが、女という理由でステファニアを縛ることなく、ステファニアに兄と同じように教師をつけ、護衛騎士に混じって訓練することにも目を瞑った。

 乳母や一部の者はステファニアに王族の娘としての振る舞いを求めたが、それを指導する立場にある王妃が既に病で亡くなった事もあっか、王女としては比較的自由であった。

 マナーの授業はよくサボって街に繰り出していたし、令嬢達の茶会は肌に合わず、変わり者の姫君だと揶揄われる事も多かった。

 けれど、正義感は人一倍多く、理不尽な事には声を上げ、粗暴な振る舞いをする貴族の子息に決闘を申し込んで見たり、お忍びで来たはずの城下町では何故かいくつも問題を抱えて帰ってきてそれをどうにかしようと常に奔走していた。


 しかし、ステファニアが年頃になり兄のスペアとしての教育が始まりると、ステファニアは中立というのは国としての表向きの顔にすぎない事を知る。

 武力行使はしないと謳いつつ、裏では防衛目的以外の武装組織を整備し、表沙汰にはできない他国との交流のやりとりが山ほどあった。

 今なら綺麗事だけでやっていけない事も、父の意図も理解できるが、高潔な国だと信じて疑わなかった未熟なステファニアが、父達に裏切られたと思うのも無理はない。

 自分の世界が崩れた時、14歳のステファニアはこのまま父達の道具になることに抵抗を覚えた。


──お父様達は間違っている


 思春期の娘の短略的な思考だと兄はステファニアを説得しようとしたが、優しい世界で育てられ、その手の話に潔癖だったステファニアにそう簡単に通じるはずもない。

 自分の志はこの国には無いと感じ、無謀に兵士の訓練に飛び込むぐらいの行動力のあったステファニアは城を抜け出した。

 小さい頃から一緒に育った、この国の神獣の子供であるリンを連れ、ステファニアは父も兄もいない誰もいない世界へと踏み出す。


 まずは孤児を装い、国を出て、冒険者として幾つかの国を旅した。

 まだ性的に熟していなかったステファニアの体と、勝ち気で一国の姫君とは思えない荒っぽい男のような物言いは彼女が1人で旅をするには大いに役立った。

 体裁を気にして長くしていた髪を短く切り、粗末な男物の衣服を身にまとえば、ステファニアは冒険者に憧れる少年そのものだった。

 ステファニア自身はそこまで力があったわけではないが、城での訓練はそれなりの武器にはなったし、危ない時はリンの力を借りてなんとか生き延びることができた。

 城を抜け出し街に繰り出していた経験もあったからか、最初は手間取っていた平民の暮らしもその臨機応変に対応し、2ヶ月もしない内に馴染んだ。


 今覚えば全て幸運だったとステファンは振り返る。

 危ない目に遭ってもなんだかんだと生き延び、冒険を続ける思いを保てたのは、ステファニアの力ではない。

 ただ、運が良かった。それだけ。


 そして何番目に訪れた場所かステファニアの記憶にないが、ある内乱のひどい国にたどり着いた。

 冬目前だというのに、粗末だと思っていた自分の衣よりもさらに薄っぺらい穴だらけの布を体に巻いただけのような人がそこらじゅうに転がって、そこに窓や扉があったであろう穴だらけの土壁やコンクリートの建物が並ぶ、賑わいの欠片もない街だった。


 その街には国や、反乱軍の兵士以外にも、それぞれに雇われた傭兵も山程いた。

 冒険気分で来るような街では到底なかったが、その街に足を踏み入れたステファニアは何故か目を逸らせずいつの間にか反乱軍に傭兵の1人として雇われるようになった。


 なぜあの時、あの国を知りたいと思ったのか、ステファニアは未だ分からない。

 ただ、あの国で何かを知れる気がした。

 力を求めるしかない彼らのその思いが自分の何かを変えるかもしれないと期待もあった。


 父の元を離れて1年が経とうとしていた。


 未だに父の裏切りとも言える行為に嫌悪するものの、父が何を考えているのか、ステファニアは知りたいと思い始めていた。

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