後ろめたい事(2)
「窓から出て行かれるなんて……よっぽど急ぎの用なのね」
ぽつりと呟いたその言葉に、当然返事は無い。少しの間と言えども、この空間に一人になってしまうこの時間が心底寂しかった。行かないで、私の側にずっと居て、と思ってしまうのは愛だろうか。はたまた依存だろうか。
バートン様やヘレンからの仕打ちに耐え、逆風の中でも凛と立ち続けた自分とは……比べ物にならない程弱くなってしまった気がして自嘲した。
「ううん、お仕事の邪魔しちゃ駄目よ。仕事前に少しだけ抱きつきたいだなんて、言ったら迷惑になるわ」
「別に、それくらいの邪魔はいいんじゃない?」
「でもとてもお急ぎで……って、カイロス様!?」
あまりにも自然に返事が返ってきたものだから普通に反応してしまった。慌てて振り返ると、再度鏡にカイロス様の姿が映っている。
「クロノス様がいらっしゃる時しか映らないと鏡だと思っていましたわ。失礼いたしました」
まさか自由自在にこの寝室に通じることが出来るのだろうか。人様に言い難い事をしている最中に覗かれてしまったらと想像して……心臓が大きな音を立てる。鏡の置き場所を寝室以外にした方が良い気がしてきた。
「あはは! 簡単にドアに例えて言うと、普段は施錠してあるからチャイムでクロノスに開けて貰って入っているよ。今は無施錠だったから勝手に入ったけどさ」
あまりにも急いでたんだろうねぇと、長く伸ばしてある前髪をいじりながらのんびり話すカイロス様。クロノス様と対になるような金色の髪は、前髪だけ長く後ろはショートという珍しい髪型にされており、そんな髪型でも似合ってしまうのは流石美青年といったところである。しかし神様とはいえクロノス様以外の男性と部屋で2人きりになってもいいのだろうか? いや、鏡に映っているだけで実態はないのだから2人きり、と言っていいのか怪しいけれども。
「あー、またクロノスの事考えてるでしょ? ジェニファーってあまり表情が顔に出ないけど、何を考えているか僕には手に取るように分かるんだからね」
「あら、では私が何を気にしているのかお分かりになるのですか?」
「当然! こんな格好いい僕と2人きりで話して、後からクロノスに怒られないか気にしてるでしょ」
ほぼ正解である。何故分かってしまうのだろうか。私がそう考えているのもバレているのか「神様だからねぇ、これくらいは朝飯前。ご飯食べないけど」と補足された。
「とにかく、今日は怒らないと思うよ」
「でも普段私がカイロス様とばかりお話ししていると、クロノス様は不機嫌になられてしまうのです」
カイロス様の視界に私が入らないよう間に立たれたり、カイロス様がお帰りになられた後で長時間隅々まで愛される羽目になったり。カイロス様とお会いした日は、その後の予定が全て狂ってしまう事が多々あるのだ。
「そんな事ばっかり気にしてジェニファーは可愛いね。でもさ、クロノスの方が後ろめたい事してるんだから、これくらいの事で怒るのはナンセンスだよなぁ」
――後ろめたい。
その言葉で脳裏に現れたのは、幸せな生活を送る事で最近すっかり忘れ去っていた元婚約者、バートン様の姿だった。彼は浮気という後ろめたい行為を大々的に正当な物と化し、私を貶めた。
「後ろめたい事って……?」
私は震えそうになる声を誤魔化しきれていただろうか。私を心から愛してくださっているクロノス様が、まさかあの馬鹿王子と同じ事をするはずがない。そう信じているはずなのに、湧き出してしまった疑念が喉の奥に刺さった骨のように突き刺さったままになってしまう。ゴクリと唾を音を立てて飲み込んでも、当然とれる事はない。
「さぁ? 本人に聞いてごらんよ。ジェニファーって、クロノスの事知ってるようで知らないでしょ」
過去、仕事、好み、趣味、恋愛歴。
――君はクロノスの事どれだけ知ってる?
「ちなみに僕の趣味は、チャンスを見つけたら飛びつく事だよ!」とかなんとか散々喋ったカイロス様は、昼頃にやっとお帰りになった。クロノス様以外と2人きりで会話するなんて久しぶりだった為かどっと疲れが押し寄せてくる。それでも使用人の居ないこの家では、自分の食べる物は自分で作らねばならない。少し重い体に鞭打ってキッチンに立ち、庭で採れた野菜を刻む。
「……恋愛歴」
カイロス様の仰った言葉を小さく呟く。わざわざその言葉を選んで告げたということは、何かをご存知で私に伝えたかったのだろうか。
「そうよね。とても長い時を生きていらっしゃるのだから恋人の1人や2人、過去にいてもおかしくないわ」
口ではそう呟いたが、なんとなく胸の奥が苦しくなった。同時に鍋の水が沸騰し泡が上がってきていたので、用意した具材を入れて少しかき混ぜる。
もしクロノス様が他の方を好きになってしまったら、私はどうなるのだろう。追い出されたって私には帰る場所すらないのに。そうした不安が、ぐつぐつと鍋底から湧き上がってくる泡と同じように吹き出してくる。吹きこぼれないように火の大きさを調整し、今まで一緒に過ごしてきたクロノス様の事を思い浮かべた。
ゆっくり鍋を掻き混ぜながら気持ちを落ち着かせる。
――大丈夫。今はこんなにも私を愛してくれているもの。
そう結論付けて味見の為少量のスープを掬い、そっと口に含んだ。
結局クロノス様がお戻りになったのは深夜。いつもと同じようにベッドに潜ると……愛する人の髪からは微かにいつもと違う匂いがした。
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