後ろめたい事(1)
あれからもう何年の時をここで過ごしたのだろう。毎日のように愛され求められる生活は、輪廻で疲れ果てた私の心を徐々に癒していった。
この空間の外に出られなくとも、花を育てたり、料理を勉強したり、暇を持て余す事は一切なかった。そもそもクロノス様がずっと私の後を追うようにしてくっついてくるので、むしろ時間が足りない。「何であってもジェニーと同じ事がしたい」と言って、神様は不必要なのに一緒に食事を取ったり、お風呂に入っていれば一緒に入りたがったり。私より大柄な男性の姿なのに、まるで懐いた雛のようで可愛いかった。それと同時に、照れてしまった所を揶揄われたり、窓の外が太陽の光で明るんでくるまで離してもらえなかったりと、外見相応な姿も沢山見せてくれて……。
そうやって一緒に笑い合って生活して、毎日が羽が生えたかのように軽やかで。使用人が居ないという点に関しては初めは戸惑ったけど、人間慣れれば意外と何でもやれるもの。いつの間にかクロノス様の魔法を借りなくても一通りの家事は出来るようになったし、それが当然になった。
こんなに穏やかで楽しい生活が出来るのならば、ずっと生きていたいとさえ思えるようになったのは……全てクロノス様のお陰。
「――おはようございます、クロノス様」
隣で眠る美しい横顔の安眠を邪魔しないよう小声で朝の挨拶をし、ゆっくりとベッドから降りる。初めての頃は毎朝ベッドから起き上がれず節々の痛みに唸っていた記憶があるが、今では慣れたもので特に不調は感じない。
それでも、寝起きの喉は砂漠のように乾きを覚えているので、毎朝寝起きの水分補給は欠かせない。寝る前に準備してあった水差しからグラスに水を汲み、一気に飲み干す。そして朝食前だけれども、小腹が空いたので最近お気に入りの素焼きアーモンドを瓶から1粒出して齧った。
今朝もいつもと同じように化粧台の前に座ると、ずっと変わらない同じ容姿の私の姿。……どう考えても、18歳の時から成長老化が止まっている。この家の鏡がおかしいのか、私がおかしいのか、この空間がおかしいのか……分からないが、とにかくクロノス様はそのあたりを聞いても美しく微笑むだけで、何も教えてくれなかった。神様なのだから何か事情があるのだろうと、私も深く追求はしなかった。
「ジェニー、おはよう」
遅れてベッドからのそっと出てきたクロノス様は、大あくびをしながら私に朝の挨拶をする。時を司る神様なのに、意外とお寝坊さんな……実質夫の彼は、化粧台の前に座る私を後ろから抱擁し、鏡を覗き込む。
「化粧なんてしなくても美しいのに。どのような姿であっても、ジェニーの魂ごと愛しているよ」
そして何年経っても私は、クロノス様の褒め言葉に慣れる事が出来ない。人間離れした美しさを持つ彼にこうも褒められると……恐れ多いというか、身に余ると言うか。王妃教育で培われた表情筋も、クロノス様の前では意味を成さなず崩れてしまう事も多々ある。それに、その王妃教育も一体何年前の事なのだろう。
「ずっとクロノス様に愛されていたいから……少しでも綺麗でありたくて」
好きな人の視界に映る自分の姿は、少しでも綺麗にしておきたい。……私は一緒に過ごす内に本当にクロノス様に恋をした。私を助け、心の底から愛し、求めてくれるこのお方を愛してしまったのだ。
「私の為? 本当にジェニーは可愛いな」
「そういえば、クロノス様は何故私を聖女に選んで下さったのですか? ずっと見てきたと仰っていましたが」
気にはなっていたが、なんとなくずっと聞きそびれていた話題だった。
「前に言わなかったかな? 聖女にした理由は、私がジェニーに一目惚れしたからだ。――それこそ、気が遠くなるようなくらい昔に」
「……私が何歳くらいの時なのでしょう?」
純粋な質問だったのだが、複雑そうな笑顔を鏡越しに向けられてしまう。疑問符が浮かんだままの私を取り囲んでいた腕が離れ、頸に所有印が刻まれる。そしてクロノス様は、スッと離れて一瞬で外行きの表情を作った。
「まったく……来る時は先に伝えろと、何度も何度も言ったはずだが?」
私に対してはほぼ使うことの無い厳しめの口調は、鏡台の左手にある大きな姿見に向けられていた。その鏡に映っているのはクロノス様より若い青年の姿だが、彼はこの部屋に存在しない。鏡の中だけに居るのだ。
「ごっめん! 何度も聞いてはいるんだけどさぁ、先に体が行動しているんだよね」
その表情は悪いと思っている様子ではない。見た目通り声も若めな彼は、この空間にてクロノス様以外に唯一見かける人物だった。……いや、厳密にいうと人ではなく神様らしいのだが。
「おはようございます、カイロス様。今日も素敵なお召し物ですね」
声を掛けると満足気に笑う彼はクロノス様と同じく時を司る神『カイロス』様。クロノス様が時の流れを司る神様なのに対し、カイロス様は機会やチャンスといったタイミングを司る神様で、お二人は対になる存在だそうだ。
「おはよ! この服は裾の藍色ラインが気に入っててさぁ、髪紐も揃いで藍色にしてきたんだ」
見て見てと言わんばかりのその様子は、まるで年下の子供の相手をしているような気分になる。……恐らく私よりかなり年上のはずですが。
「私のジェニーに絡むな、喋るな、視界に入れるな。それより要件を伝えろ。そして早く去れ」
この大きな姿見は勿論鏡としても使用できるのだが、神様同士の連絡手段として使う道具らしく、時折こうやってカイロス様が映る。映るだけなので実物は見た事が無いのだが、それでも私にとってはクロノス様以外との貴重なコミュニケーションだった。
「冷たいなぁ。そんなんじゃ、いつか愛想尽かされるよ。クロノスが嫌になったら僕の所においでよジェニファー」
「カイロス!」
そして私をダシにして神様同士言い合いをするのが恒例なのだが、今日は本当に急ぎの用があるらしくすんなりと言い合いは終了した。鏡に映っていたカイロス様の姿は消え、いつも通りクロノス様と2人だけの空間へと戻る。
「ジェニー……すまないが急ぎの仕事で外に出てくる。夕食までには戻れると思うが」
神様にも色々と仕事があるらしく、毎日ではないが時折何処かに出かけて行く。私には分からぬよう古代語を使って要件を伝え合った点を考えると、その内容は問わない方が良いのだろう。朝食がまだだが、本来神様は食事不要なので直ぐに出発しても大丈夫なはずだ。
「大変ですね。私の事は気にせず行ってらっしゃいませ」
「全くだ。おかげでジェニーの作る朝食を食べ損ねた」
クロノス様はそう言いながら窓を開け、その長身からは思いもよらない軽々しい身のこなしで飛び降りる。ギョッとして急いで窓辺に駆け寄るが、どうやら飛び降りた瞬間にドラゴンに変化したらしく、そのまま急上昇してこの空間を飛び去っていった。風圧でカーテンが激しくはためき、鏡台の上に出してあったレースのリボンが宙を舞った。
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