つまり私に求められているのは(2)
「バートン様!」
私の声に気がつき振り返った彼は、滅多に見ない笑顔をこちらに向ける。高圧的で不機嫌そうな表情の多い彼には珍しい表情だった。
人を従わせるカリスマ性はあるが、少し勉強が苦手で抜けているところもある第一王子。そんな彼を妻として長きに渡り支えていくのだと、私は幼少期より懸命に努力してきた。そんな私を鬱陶しそうに見てくる事も多かった彼。だからこそ、その笑顔に心が躍った。
「あぁ、ジェニファーか。私の元を去ってくれてありがとう。おかげでヘレンと幸せに暮らしている」
羽が生えたかのようだった心は急速に重さを増し、地に落ちる。
「バートン様ぁ〜ヘレン、お腹が重くって疲れちゃったぁ」
バートン様の陰から出てきたのはヘレン。相変わらずの口調で、まるで見せつけるかのように大きな腹部に手を当てている。
「それ、は……」
「この国の宝、未来の王を身籠ったのは私!……あははっ何その顔」
こちらを嘲笑うかのような表情のヘレンを、大層愛おしそうに見つめるバートン様。
……そうだ。私は彼から婚約破棄されたのだ。
「ヘレン、子の名前は何にするか決まったのか?」
「うん、キラメキ・ハート君にするのぉ」
いやちょっと待って。その名前はあり得ないでしょう、ペットじゃ無いんだから。
「いい名だな、この子に相応しい」
いやいやバートン様も同意しないで欲しい。人間として、王族としてもっと相応しい名前がいくらでもあるだろうにそのチョイス。……馬鹿なのだろうか? 急に頭が痛くなってきた。
痛む頭を誤魔化す為に、人差し指と中指で眉間を抑え目を瞑る。こんな2人の為に、懸命に努力してきた私がどうして犠牲にならなければいけなかったのか。家族で暮らす事を諦め身を粉にして……
「いつの日か王宮で家族を築いて幸せになるのが……夢だったのに」
◇◇◇
「――ェニ……ジェニー」
優しい声色が、眉間に刻まれていた皺を解していく。閉じていた瞼を上げると、銀色に縁取られた金の瞳と目が合った。
「体が苦しいのか? すまない、私のせいだろうか」
何を問われているのか分からずに首を傾げると、髪が枕に擦れた音がした。そして目尻に溜まっていた涙が頬を伝う。拭おうと手を動かそうとしたが、なんとなく体が重くてだるい。私の指が頬に触れる前に、横から伸びてきたクロノス様の指が涙を拭い去った。
……そうだ。私はバートン様に108回目の婚約破棄されて、処刑寸前でクロノス様に助けてもらったのだった。私の全ての時を差し上げる約束で。
「……えっと、夢を見ていました」
思い出すだけで眉間の皺が復活しそうになる夢だった。できる事ならもう二度とあの2人の夢なんて見たくない。
「泣くほど悲しい夢を? やはり無理をさせすぎたかな」
私の隣で同じく寝転がっているクロノス様の方が、私よりよっぽど悲しそうな顔をしている。このお方は何故そんなに私を気遣ってくれるのかと考えたが、節々の痛みでその理由に気がつく。
「あ……これは決してクロノス様のせいでは無いのです。夢にバートン様が」
「つまり体は許したが心だけは彼の物だと?」
食い気味に棘のある言葉が返ってきたので、速攻で「違います!」と否定する。先程まで悲しそうだった表情には怒りが混じっており、神様でも表情は人間と差が無いのだなと実感した。
「あの2人が子宝に恵まれた夢を見ました。未来の王となる子なのにとんでもない名前をつけようとしていて……嫌な気分になっただけです」
「ジェニーは相変わらず真面目だな。名は体を表すとは言うが、今後一切関わりあうことの無い世界のことだ。そんな国なんて、ジェニーを処刑しようとした奴らの事なんて、もうどうでもいいであろう?」
確かにそうかもしれない。それでも……。
「それでも、あの国にはエディソン侯爵家……私の実家があります。あの頓珍漢な馬鹿2人のせいで家族が大変な思いをしないかどうかが気に掛かって」
私が急に消え去った事でも何かとトラブルに巻き込まれているかもしれないし、国のトップに立つ者が不出来だと爵位順に貴族達の負担は重くなる。治安も悪くなり、民の生活にも影響が出てくる。
「心残りは無いとの事だったが、大層未練があるように見えるな」
そう、クロノス様はちゃんとあの時聞いてくれた。心残りなど無いと答えたのは私自身。
「未練とは少し違うのです。幼少期より大半の時間を王宮で過ごした私には、家族との時間が殆どありませんでした。ですので私は王宮で幸せな家族を築くという目標を持って、バートン様の代わりに王になるのかと思われる程の教育に耐えました。それがあのような形での処刑で努力を踏み躙られて、悔しかったと言いますか……申し訳ございません。今後そのような感情を持たぬように気をつけます」
クロノス様は願い通り私を助けてくれた。それだけで十分ではないか。人生一つや二つ、叶わぬ夢や希望があるものだろう。
「ジェニーがよく頑張っていたのは勿論知っているよ。ではその褒美に私がジェニーの家族になろう。それで解決するな?」
「はい……ぇ、え? クロノス様が家族ですか?」
突然の提案に抜けた声が出てしまう。
「不満か? それに、そもそも私はジェニーを妻に迎えたいと思って連れてきたのだが」
「妻……そんな大役、私なんかでよろしいのですか?」
今後の自分の扱いについては、どちらかと言うと『贄』に近いイメージを持っていたので『妻』という言葉が出てきて信じられない気持ちになる。
「私はジェニーをずっと見てきた。足りないと思えば直向きに学び、常に前を向いて努力する姿。逆風の中でも凛としたその姿が愛おしいと、ずっと思っていたよ。その逆風が何であれ、ね」
例えばだけど、夜食禁止をすり抜ける為に紅茶にジャムを大量に入れて、飲むというより食べていたよね。と幼少期のエピソードを出してくる。確かにあの時は何か食べれないかと前のめりで考え行動していた。
「そんな幼い頃の話! まだ侯爵家で暮らしていた頃の事で……恥ずかしいです」
今なら絶対にしないような、はしたない姿まで見られていただなんて! 恥ずかしさから布団を口元まて寄せると、それを見たクロノス様がフッと笑って私の頭を撫でた。
「他にも、私を呼ぶために禁書を読んだのだろう? あれを解読するなんて努力の賜物だよ。ありがとう私を呼んでくれて」
長年……とあの輪廻を表現していいのかは微妙だが、とにかく長い長い努力を認めて貰えたのは純粋に嬉しい。
バートン様とは上手くいかなかったけど、クロノス様となら。恥ずかしくなるような昔から私を見守り、力を分け与え、愛してくれているというこのお方となら。きっと一緒に暮らせる。
「こちらこそ、助けてくださってありがとうございます。クロノス様に相応しくなれるよう努力致しますわ」
「礼は要らないよ。おかげでこうしてジェニーを愛することができるのだから」
――これからは私と一緒に暮らそう、家族として。
再度送られる深い口付けの合間。発せられたその優しい言葉は、抉れる場所すらもう無かった私の心に浸透し温かく満たしていった。
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