子犬の瞳(1)
ある日の昼下がり事件は突然起こった。滅多に取り乱すような事のないお父様が血相を変えて私の私室へ飛び込んできたのだ。畜産学の本を読んでいた途中だったのだが、そばにあった栞を挟み本を閉じる。
「どうかなさいま……あ、もしや昨日提出した臨時予算組みが間違っておりましたか?」
急いで片付けたので計算ミスがあったのかもしれない。
「それは完璧で非の打ちようもない書類だった。……ではなくて! いいからこの手紙を読んでみなさい」
お父様から差し出されたのは開封済みの一通の手紙。差出人は……
「……国王陛下ですわね。本当に私が読んでよろしいのですか?」
お父様宛になっていたのでもう一度確認し許可を得て開く。つらつらと長い文章が書かれてあるが、要約するとこうだ。
「第二王子フォード様の婚約者になれ、まずは顔合わせに来い……ということでございますね」
以前バートン様から処刑を告げられる時には、いつもその場にいらっしゃった弟のフォード様。その際、毎回幼いながらも私を庇おうとしてくれた。心優しくて、バートン様と違い賢く有能な、皆の期待を背負った子。子犬のような瞳で「ジェニファー義姉様」と呼び慕ってくれたあの日々が懐かしい。
今回は処刑されるのを避けるため王家に近寄らないようにしている都合上接点はほとんど無いが、きっと以前と同じように立派に成長しているのだろう。
「お前は王族との結婚を心底嫌がっていただろう」
それはもう当然。バートン様の血縁になるなんてごめんだ。あの人の命令で私は213回も首を落とされたのだから。
「……向こうも、ジェニファーがこの状態なのを知りつつ、この手紙だ。どう返事をするかはお前に任せようと思う」
絶句してしまう私と、先程までの慌てぶりは身を潜め覚悟を決めたような表情のお父様。
――まさか、受けなくても良いとおっしゃるの?
考えが読まれたのか、まるで幼い子供にするようにぽんぽんと頭を撫でられた。
「どう返事をしようが、エディソン侯爵家にはそれなりの戦略も財産も人脈もある。自分の気持ちだけを考えなさい」
お父様はそう言った後、部屋を出て行った。私の手元には例の手紙だけが残り、静寂と恐怖が私を包み込む。
きっとこの話を受けないと、エディソン侯爵家にはそれなりの荊の道が待っている。王族からの婚姻話をお断りするとはそういうことだ。お父様には考えがあるようだったけど、私は……。
フォード様が良い子なのはよく知っている。バートン様と婚約するくらいなら、フォード様と婚約する方が何億倍もマシだ。それでも……私の心の中にはクロノス様以外が入るスペースは無い。それにフォード様は私より年下で、まだ10歳になったばかり。
「こちらが年下ならまだしも。世継ぎ必須な王族にはちょっと年齢差が……って、あら?」
歳の差を計算していると気が付いてしまう。私が5歳の時に消え去ったクロノス様が転生して生まれてきたのだとしたら、丁度良いタイミングの年齢差だということに。
フォード様はバートン様と同じ金色の髪を持ち、外見状クロノス様との共通項は無い。瞳の色だって薄いグレーで、まるでクロノス様の特徴を髪と目で反転させたかのようだ。しかし……確認してみる価値はある。
クロノス様の外見が以前と同じとは限らないし、私が王族を避けていたのもあって今のフォード様と私的な会話をした事がないのだ。フォード様として転生してきたクロノス様の方が先に私に気が付いて、というパターンもあり得る。
「お会いするだけ。……違ったら全力でお断りしよう」
そう心に決めて、手紙の返事を書くため机に向かった。
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