私を聖女たらしめる時の神(2)
合計約9年にも及ぶ繰り返しの一ヶ月間。私は必死にこの輪廻の原因と逃れる為の術を探した。第一王子の婚約者という肩書きを利用して、時には王族保管の禁書まで。……愛されず飾りだった肩書きも、時には役に立つ。
そしてやっとの思いで読み解いた禁書の中で発見した、時の神クロノスの召喚方法。――石碑の前で長い呪文を正しく唱えることが、彼を呼ぶ唯一の手段だった。
私を聖女たらしめる力を持ったこのお方なら、きっと私の狂った輪廻を断ち切ることができる。
一歩足を前に踏み出し、その場で礼をする。後ろ手で手錠を嵌められている上に、身なりは貧しい。しかし心と態度だけは変わらず気品ある姿であり続けたかった。
「私はジェニファー・エディソンと申します。初対面にてこんな事を申し上げるのは失礼だと承知しておりますが……クロノス様、どうか私の願いを1つ叶えてくださいませ」
「よかろう。正しき方法で私を呼んだのだ。ジェニファーにはその権利がある。しかし、願いを叶えるには我が提示する物を対価として差出す必要があるが、それでも構わぬと?」
構わない。この地獄から抜け出せるのであれば、何だって喜んでお渡しする。それが例え命であろうとも。私は、もうこの繰り返しの人生に疲れてしまったのだ。
「何をしているの!? 早くそのドラゴンを殺して!」
ヘレンのヒステリックな声。あんなに甘ったれていた語尾はどこに行ってしまったのか。
弓矢だけでなく大砲の玉までこちらに目掛け飛んでくるが、神の力の前ではただの小石に過ぎない。私を守るように広げ包み込んだ翼によって、軽々と弾き返される。そしてそのまま爪を使って私を捉える手錠を軽々と破壊してしまった。
「クロノス様のお望みであれば、何でも差し出します。だからどうか……私をここから連れ出してくださいませ。もうこんな散々な人生を歩むのは嫌なのです」
「では。望むのは、ジェニファーの持つ時間、全てだ。それを私に捧げるのであれば、願いを叶えよう」
私の前に差し出されるドラゴンの巨大な手。鋭く尖った1本の爪の先に触れ、口付けを落とす。
「差し上げますわ。クロノス様のお好きなようにしてくださいませ」
私の言葉を受けた瞬間に白く発光するドラゴンの体。私が触れていたはずの指先の爪は人間の手となり、私の手を握りしめる。現れたのは……美しく整った容姿の、背が高い男性。腰まである白銀の髪を緩く一つに束ね、金色に輝く瞳は私どころか周りの視線を捉えて離さない。
「うむ、人型になったのは久しぶりだな。その願い叶えよう。その対価としてジェニファーの時間、全てを私に」
優しく抱きしめられ、まるで挙式での誓いのキスのように、唇が触れ合う。未だかつて恋が叶った事など無く、想い努力した結果……第一王子に捨てられた私にとって初めての口付けだった。ヘレンには散々「夜な夜な男を漁っている」なんて嫌な噂を流されたけれども、実際は何もかも初めてな私。突然の抱擁と口付けに脳内が混乱してしまうが、王妃教育で鍛え上げられた表情筋によって、比較的動揺を隠していられる。
「ジェニファー……ジェニーと呼んでも? 君は残りの時、全てを私の元で過ごす。この世界には2度と帰って来られないが、心残りは?」
「勿論、1つもございません」
一瞬だけ、実家であるエディソン侯爵家の面々が脳裏に浮かんだが、彼らにとって罪人とされた私は邪魔者だろう。
私の返事に気をよくした様に、金色の瞳が細められる。そして私が身につけている麻のワンピースを肩から腰にかけて軽くひと撫でして……真白な純白のドレスに変化させた。108回も婚約破棄された身で、こんな突然ウエディングドレスを身につける機会が降って湧いてくるなんて思ってもみなかったので、驚きのあまり感嘆の声をあげてしまう。
「凄い……魔法みたいだわ」
鍛え上げられた表情筋が思わず緩んでしまう程の感動。シンプルなスレンダーラインのドレスはどこもサイズがピッタリな上、胸元に私の好きな薔薇の刺繍が施されており、まさに理想のウエディングドレスと言ってもいい。
「よく似合っているよ。やっとこうやって触れられる」
優雅で美しい指先が私の両こめかみからオールドローズの髪を梳き持ち上げるようにして、私の頭を包み込む。何をされるのかと驚いてしまうが、上から降ってくるのは柔らかな微笑。私の頭を包む手が離れたので恐る恐る髪に手をやるといつの間にか髪が結われており、頭からはレースのベールが被せられていた。視界は少々遮られるが、羽のように軽くて全く重さを感じない。
「ちょっと待ちなさいよ!? どういう事なの、傷も治っているしドレスまで……許さない」
兵の静止も聞かず、こちらに走り寄ってくるヘレン。豪雨で濡れ鼠になりながらもこちらに一直線に向かって来て、雲が切れ晴れているこちらに入ろうとした瞬間。何か見えないものにぶつかって弾き飛ばされたようになり、尻餅をつく。
「聖女は私よ!? だから貴方を呼んだのも私。その女は嘘つきなの、騙されないで!」
「待て、ヘレン!」
叫びながら再度こちらに向かって突進してきては、弾き飛ばされる。バートン様の静止の言葉も虚しく、まるで猪かのような行動をするヘレン。……語尾を伸ばすのも忘れ、獲物を狙う肉食獣のような表情に、恐ろしささえ感じる。
「私が、貴方……クロノス様? と、共に過ごすべきでしょう!? ねぇ、私こんなに可愛くて、男なら誰しもが抱きたいと思うでしょう!?」
「おい!」
慌てて駆け寄ってきたバートン様が、ヘレンの肩を掴むが……肉食獣と化したヘレンに振り払われてしまう。
「邪魔しないでよ、私は聖女なの。一国の王子なんかとの関係で終わるような女じゃないのよッ!?」
ついに本格的に皆の前で本性を表したらしい。……バートン様は可哀想に絶望に満ちた顔でただ呆然としている。
「……そこの騒がしい女。私は時を司る神クロノス。お前がジェニファーに対して悪意を抱き行った数々の行為、知らぬとでも思ったか」
クロノス様がヘレンを指差し、手を払うような動きをする。それと連動するようにしてヘレンの体は何かに強く押されるようにして吹き飛び、近くの木に背からぶつかり地面に崩れ落ちる。
「ヘレン!? ジェニファー、お前はまだ俺の婚約者だろう! それなのに他の男の元へ嫁ごうとするなんて」
「……昨日バートン様に婚約破棄されましたので」
ショックから記憶喪失にでもなっているのだろうか? あまりの馬鹿さ加減に、そういう事にしておいてあげようと思いながら……右手でぎゅっとクロノス様の衣服を握る。流石に、理解に苦しむ2人の行動が……怖い。
クロノス様が私の左手を手に取って、薬指の付け根に口付ける。するとそこに浮き出るように現れる痣のような痕。まるでモミの葉をぐるりと指一周させたようなその模様は、まるで結婚指輪のようでつい見入ってしまう。そして同時に「パンッ!!」という大きな音が鳴った。魔物の侵入から城下町を守るため、街を覆うようにして張っていた結界の壁が、ガラスのように粉々に割れてしまったのだ。私が聖女の力を最大限に使って維持していたそれが割れるなんて初めてで、周りの者達も心配そうに辺りを見回している。
「……結界が!」
「ジェニー、煩い蠅どもは無視して行こう。聖女の力を失うこの国が今後どうなるか見ものだな」
遠くから聞こえてくる魔物達の唸り声。結界がなければ、私の結界を当てにして防衛費を削ってきたこの国がいつまで耐えられるか……。
「頼む、待ってくれ!」
バートン様が私に駆け寄ってくるが、伸ばされた手が私に触れることはない。ヘレンと同じように手先だけで操られ、地面に叩きつけられてしまう。……一国の王子とはいえ、神の前ではただの一人の人間にすぎなのだ。
「……ジェニファー、頼む。君と、もう一度やり直しを」
叩きつけられた衝撃が大きかったのか、地面に這いつくばりながら口から血を流し……それでも私を求め手を伸ばしてくる。バートン様がこれほど真剣に私を求めてきたことなんて、今まで無かった。先程まで、こんな人どうなってもいいと思っていたのに、少しだけ心が揺らいでしまう。
「ジェニー、あんな男の戯言なんぞ聞かなくていい。……私と共に、来てくれるね?」
そんな私の心を見抜いているのか、クロノス様は問いかけてすぐに、私の耳を両手で塞いだ。そして視線で私に回答を求めてくる。
「……はい」
私の返事を聞いたクロノス様は、即座にドラゴンに変化して私を上空に連れていった。その途中、僅かに私を呼び求めるような声が耳に届いた気がしたが……首を横に振って、気を強く保つ。
だって私はクロノス様に全ての時間を差し上げると約束したのだから。凍えるような上空の寒さから私を守るように腕で抱えて飛んでくれるこのクロノス様に……全て差し上げると、お約束したのだから。
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