断頭ゲーム
その日のカメロットの賑わいは、普段のものとは明らかに異なっていた。祝宴の前の談笑を何よりも楽しむアーサー王としては、近日中で最も嫌悪を抱いた一日となったに違いあるまい。高潔な円卓を破壊するようにして、件の巨漢が入ってきたのであった。
その場にいた誰よりも大きな体を揺らして、向かってきている。血管の浮き出た腕がぴくぴくと震えるのを見て、思わず自分の腕と見比べる者もいた。視線の的になっていたことに自覚はあったそうだが、彼は無遠慮に、アーサーの肩を握りしめるようにして叩いて見せた。
何より異様なのはその体色であった。召している服はもちろん、露出した腕や足、顔にまで鮮やかなエメラルド色が行き届いている。椅子に座って見上げることしかできない彼らにとって、この大男が自分たちと同様の人間であるとは認めがたい事実であっただろう。王の隣におわしますグィネヴィア妃はたいそう驚いて、当時は期待の新人と謳われたランスロットに、我が物顔でしがみついたのであった。
「この城ぁ、アーサーさん、あんたの物でよかったか」
「ごきげんよう。まずはそのやかましい大きさの斧を置いて、皆にご挨拶をなさってからにしませんか」
「さっさと質問に答えんか。こいつを、あんたの首に食い込ませてやることだってできるんだぞ」
大男は目を見開いたまま、一回り薄暗くなった緑色の唇を震わせた。ただ淡々と、アーサーに詰め寄った。右手にはフランス野郎の断頭台くらいに、容易く頭を刈り取らんばかりの大きな斧が掲げられている。
悪辣な笑みが輝く、厚顔無恥な面持ちであった。円卓を穢す敵と言って差し支えない。しかし円卓の者は、彼が客人である以上は邪険に扱うことを望まない。彼を取り押さえることも、首を刎ねてやることもしなかった。ただ一人を除いて。
アーサーの甥は、アーサー以上に正義に燃える男であった。大男の暴挙に黙っておけなかったのだ。座した体をむくりと起き上がらせ、懐から剣を引き抜いた。円卓の騎士たる者臆してはならない。彼の恐怖を覆す燃える思いが、刃を向けさせたのだ。
「黙って斧を置け。さもないと貴様の首は、この円卓を汚すことになる」
「血気盛んな少年だ。良いぜ、やってみろ」
大男は一切動揺していない。それもそのはずで、立ち上がった甥との体格差はおよそ二倍であった。小童がいくら剣を振ったところで、彼の首には届くはずがない。もし万が一届いてみても、大木の幹にも匹敵するその太い首を、真っ二つになどできるはずがない。
「おやめなさい、ガウェイン。お客人に剣を向けることは、私が許可しない」
「陛下、ですが」
「旅の人、質問にお答えしましょう。ここは私、アーサーの城と仰いましたな。正解ではありますが、少しばかり違う。ここは、私たちの城です。円卓に座します、彼らの城でもあるのですよ」
「こいつぁ立派な王だ。自分の子分たちには、分け隔てなく接しておられる」
「質問にお答えしましたから、こちらからもよろしいかな」
「言ってみな」
「何の用でこちらに? 今日は誕生祭でございますから、わざわざこちらに、このような格好でお越しくださらなくとも良かったはずでしょう」
彼は敬虔にもキリストに心酔していたため、キリストのためのこの場を破壊した大男に、静かな憤懣の思いを向けていた。顔は慈愛に満ちているが、握りしめられた手は今にも切れて、血を噴き出してしまわんばかりであった。
「そうだなぁ、ご自慢のアーサー騎士団が、どれだけ度胸のある奴らかってのを、見とどけに来たんだよ」
荒唐無稽な回答に、円卓の彼らから非難の声が上がった。おどおどしていた彼らは急に強くなった気でもしたかのように立ち上がり、大男に罵倒を浴びせかけた。大男はただ、腕を組みながら自身の態度よりも大きく笑って見せた。目を閉じたアーサーが『静粛に』の合図でテーブルをこつんと叩く。彼らは一斉に汚らしい言葉遣いを停止し、寸分も違わず同時に席に着いた。大男もアーサーの怒りに忖度し、笑うのをやめてやることにした。
「話を続けなさいな。きっと我々に、してほしいことがあるのでしょう」
「ああそうだ。キリストの野郎、あんたも見てんだろ? さァて、皆の者。ちょいとした見世物を、あのお方に差し上げようではないか」
大男は高らかに宣った。その瞳には邪悪が滾っていた。神の名において退けられるべき、不信心な目であった。
「して、どうするのだ」
「この中で最も勇敢だと豪語する奴は、俺の前に出な。どちらかが音を上げるまで、その首を互いの武器で切り合おうじゃないか」
アーサーは静かに、しかし威風堂々たる面持ちで彼の申すことに頷いて見せた。グレートブリテンの王として、挑戦を断るわけにはいかない。いや、違う。むしろ燃え上がってきた。久しぶりに剣を取るのだ。あのマーリンが常に帯刀しておけと言った、蒼白の美が宿る剣があるじゃないか。人の肉を切るほど、たまらない快感はない。このようなことを言っては罰当たりかもしれぬが、妻のグィネヴィアを奪ったときよりも、エクスカリバーを一振りしたときの方が、心が満たされたではないか。手の震えが止まらない。しかし彼はそれを恐怖ゆえではないと知っている。おぼつかない手で顔を覆い、キリストに懺悔した。『目の前の男の首を切り落としたくてたまらない、この罪深い男をお許しください』。
しかし、彼は円卓の者共の長であることを忘れてはいなかった。彼らに手柄を寄越してやるのが、王の務めであった。
「君たちの中に、この挑戦を受けて立つ者はいるかい。手を、挙げてくれ」
円卓は静かなままであった。挙手する者など、いるはずがないのだ。ここにいる騎士たちは神童と呼ばれていた者が大半だが、褒めそやされる度に自身の無力さを自覚していたのだ。誉れ高き円卓を囲った彼らの自尊感情は、ないに等しかった。手を挙げるわけにはいかない。首を取られるかもしれないという、無情な現実がある限りは。
「アーサー王よ、何と情けない。彼らは、一切手を挙げようとしないじゃないか。最強の騎士団とは名ばかりか? 恐怖に竦みあがるひよっこが、どうしてアーサーを、この国を、お守り出来よう」
円卓の皆が情けないと思うのだから、それを率いるアーサー王の屈辱は計り知れなかっただろう。優秀な者とはいえ、経験も少ない少年の集いであることに疑う余地はなかった。ならば、自分が出ねばならない。恍惚とした面持ちのアーサーは、大男の前に進み出た。
「ここは私が引き受けましょう」
この血塗られた勝負、自分が負けるはずはないと、両者が思い上がっていた。肩に頭が並ぶようであったので、アーサーの方が一回り小さいらしかった。そうであっても、アーサーには大男に匹敵し得る迫力があった。場違いな間抜けというものはどこにでも存在するもので、緊迫し始めた彼らの仲を引き裂くように、幼くも勇猛果敢な声が、鳴り響くのであった。
「いえ、アーサー様、お下がりください。ここは、このガウェインにお任せください」
ガウェインは昔から、異常なまでの期待に苛まれていた。アーサーの甥というだけで、誰も彼もガウェインを神格化した。事実、円卓の中でも最優秀と言ってよいほどの実力をつけていたことに、疑う余地はない。アーサーに出来ることは、彼もできて当然なのであった。求められたことをやってのけるたびに、彼はその次の段階を求められた。優等生というレッテルに、踊らされ続けているのだ。『流石だ』という声を聞く毎に、彼は臆病になっていった。手を挙げたのは、他でもない。優等生たる自分が、アーサー王の甥ともあろう自分が、ここで名乗りを上げないはずはないのだ。彼らの理想とするガウェインを、自分は演じてやらねばならないのだ。
「このガウェインに、お任せくださいませ」
「さっきの坊やかね? まったくおもしれえやつだ。ようやっと勇ましいお方が、この円卓から現れたもんだね」
「良いのかね、ガウェイン」
「ええ、構いません。私に、やってのけられないことがありましょうか」
ああ違う。本当はきっと、この場の誰よりも逃げ出したくてたまらないのだ。この場の誰よりも自分に自信がないのだ。やれという声がどこかから聞こえてくるから、それに従っているだけなのだ。胸が苦しくなるガウェインは、一切そのそぶりを見せようはせず、大男を見上げた。その怪しく輝く緑色の瞳に、目を重ねようとはしないで。
さて、場は整い、大男は四つん這いになった。首に刃を入れてやるのなら、こちらも攻撃を受けやすくしてやるのが作法だと言わんばかりであった。大男は相変わらずの余裕っぷりであった。鉄の食い込む余地の見当たらないその首に、絶対の自信を抱いているらしい。
「ルールの説明といこう。先攻は貴様だ。俺の首に、ありったけの力を込めて切断するんだぞ。もし俺が耐えたなら、次に攻撃するのは俺だ。先ほど言った通りだが、執行猶予は一年。今日のちょうど一年後、お前は俺の礼拝堂へ行かねばならない。俺の攻撃を受けに来なければならんのだぞ」
「ああ、分かっている」
失敗は許されぬぞ、という声が聞こえてきた気がした。ガウェインは一層剣を握る手を強め、想像してみせた。大男の首を、思い切り一刀両断する様を、想像したのだ。ただ彼は、絶対に成功するという安心が欲しいのだ。想像通りにやりさえすればいい。ああ、訳ないことだ。このガウェインならできる。そう自分に言い聞かせて、緑色のうなじに目をやった。
「行くぞ」
「さあ来い! ガウェイン!」
最高のコンディションで、最大級の力がその剣に込められた。目に追えぬ速度で、銀閃が首に振り下ろされた。風を切る甲高い音は、円卓の誰の耳にも入った。剣が床に付いた時の金属音が、地を揺るがした。ガウェインは無意識のうちに目を閉じていたらしいが、肉に触る感覚が、奴の首を断ち切ったと確信させた。
そうして、理想のガウェインとしてのプライドが保たれたと安堵したのだ。思わず笑みがこぼれていたようだが、ガウェインたる者、これしきで喜んではならない。瞬時に普段のすまし顔に戻した。
「うむ。お見事だ、ガウェイン」
最も尊敬する人間から、賛辞をいただくことになった。周囲からは拍手が沸き上がっている。彼らはまた、ガウェインに先を越されたのだ。この円卓の中で神童であったのは、ガウェインだけであった。周囲の青二才たちを差し置いて、ガウェインが円卓のうちで一位になったのだ。ただ一人、それが当然のことだと知っているガウェインは飄々としていた。
しかし周囲は一変、恐怖の渦に包まれる。緑色の彼はおもむろに立ち上がり、転がる頭を首に擦り付けた。なぜか彼は、笑っていられたのだ。断ち切れた首は、元通りに戻った。一切痛がっておらず、耐えたと豪語してみせるのであった。
「ガハハ! いい一発をくれるじゃねえか! 次は俺の番だな!」
円卓を囲っていた誰もが、顔を蒼くしていた。これから一年経てば、ガウェインは首を切られて死んでしまうのだろうかと想像した。円卓一番の自慢の騎士を失いたくないと、アーサー王を含め全員がそう思っていた。彼らのうちの若い者は、意味をなさないうめき声で狼狽していたようである。
「いいな、ガウェイン。ちょうど一年後だ。来るんだぞ、忘れるなよ」
緑の大男はこれまた緑色の馬を乗りこなし、カメロットから去っていった。さて彼らは、どうしたであろう。騎士たち全員が、誰一人欠けることなく彼を失いたくないと考えた。ならば、何をすべきかは分かっていた。ガウェインに、奴の下へは言ってはならないと説く。こんなふざけた約束など、捨ててしまえばよい。奴が勝手に吹っ掛けてきた喧嘩なのだ。無視して何が悪い。
しかし逆効果であった。彼は、意思を固めてしまったのだ。誓いに背くわけにはいかなかった。誰もが理想とするガウェインは、そのようなことをするはずはない。彼はその腕にある、盾に誓って言って見せた。正面に描かれた五芒星を崇め狂信する、融通の利かないパリサイ人のように。
「陛下、皆さん、私は行かねばならないのです。私の盾の、五芒星をご覧ください。これらはそれぞれ、寛大、友情、純潔、礼節、情熱を表すものです。これら全てにおいて誠実に生きてこそ、私は皆さんがお望みするガウェインでいられるのです。あの緑の男の約束を唾棄してはなりません。そうすれば、私はこの盾のうち、礼節を捨てることになりましょう」
このようなことを宣って見せたが、本当は行きたくないのだ。何が礼節だ。何が盾の誓いだ。何が皆の望むガウェインだ。そう思いかけて、一度考えることを停止した。ガウェインは自分の行く道を逸れることのないよう、たびたび天を仰ぐことがあった。声が聞こえてきたのである。『お前は、理想の騎士だ。自身で立てた誓いを、破ってはならぬ』。ガウェインは頷いた。雑念が混ざることのないよう、一言も発さなかった。
出発の日は、このようなことがあってから一週間後であった。かの大男が住む緑色の礼拝堂を目指して、ガウェインは一年間この地を東奔西走せねばならない。皆が反対していたが、反対を受けるたびにガウェインの反骨精神が、その意固地な首を横に振らせた。一週間の間に親しくなったランスロットに、見送られることとなった。
「ガウェイン殿、ご武運を。五芒星のうちの友情が、貴方を勇気づけますように。親友のこの私の思いが、貴方を生き永らえさせますように」
「ああ、ありがとう」
ガウェインは、カメロットを出てから三度振り向いたらしい。その度に彼はカメロットに帰りたいと考えたであろう。ガウェインの事だ。戻ることは、決してしなかった。『行け』の声に逆らえないのだ。大男との契約の遵守を一週間決意し続けたのだから、今更になって帰ってくることなどできない。そのようなことをする自分に、円卓にいる資格はない。
どれほど憎らしい寒風に煽られようと、歩みを止めてはならない。どれほど飢えが彼を苦しめようと、弱音に縋ってはならない。次第に雪に足を取られ、寄るべき宿もなく、体を震わせながらその凍てつく白に身を埋めることになった。数か月もの間、自身の身を痛め続けたガウェインであったが、さすがの彼も救済を求めるようになった。この苦痛を、どうか取り除いてほしい。騎士が祈りを捧ぐべき相手はマリアであった。男は苦痛に身をやつしているとき、心の奥底では母を渇望しているのだ。
「マリア様、どうか、この迷える私をお導きください。光り輝く道を、お示しください。ああ、あの豊かな、あの豊かな実りを、どうか、この私に」
慈悲深き聖母の願いが聞き入れられたのは、春になっての事であった。この頃にはもう、凍えて眠る日は無くなっていた。白が消えたことに、彼は得も言われぬほどの喜びを感じた。大男の云っていた礼拝堂は、この近くにあるはずであった。旅ももう終わりを告げるのだ。一瞬ガウェインは開放感に顔を緩ませたが、そうは言っていられない。旅が終わるということは、自分は奴の斧を受けねばならないことを意味していた。短く言えば、彼は死ぬのだ。
目の前に城が現れた時は、ガウェインは再び、マリアに祈りを捧げたであろう。感謝の祈りであった。大男との約束の日までは、まだ時間がある。しばしここに邪魔すれば、あの緑の毒気も体から抜け、死の戦慄を忘れることが出来よう。
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ガウェインは城内に猛る、威勢のいい声を感じとった。聞き覚えのある声であった。そうして、悟ったのだ。初めからの目的地は、ここであったかもしれぬ。
思わず首に手をやった。切られる、と思ったのだ。今にも噛り付いてきそうな大男の顎が、自分の頭に牙を入れるのではと再び身を震わせた。あの緑の瞳が脳裏に焼き付いている。忘れたくとも、解除できない緑の毒気。顔が引きつっているのがわかる。ガウェインはここが墓場になるのだと認めたくはなかったが、きっとそうなるだろうと諦観して見せた。
「ああ、それなりの人生でございました。アーサー殿の甥として生まれて幸せでございました。ええ、きっと幸せでしたよ。でももし、私がアーサー殿の甥でなかったのなら……。私は……」
そう言って、口を噤んだ。不謹慎だ。アーサーの甥でなければ、もう少しばかり幸せだったと言いそうになるなんて不謹慎極まりない。右手の指はいつの間にか十字架を切っていたらしい。『この卑しい心を忘れさせてください』と願ったのだろうか。
ガウェインがすべきは、勝負を受けて立つ度胸を心に育むことであった。もうここで死んでしまうと諦める事ではなかった。ああ、声よ。声の主よ。これまで心に訴えかけてきた、自分を律する声よ。どうか私を導いておくれ。
「失礼いたします。この城の主に会いにまいりました。どうか、いらしてください」
誰もいない城の庭で、彼は懇願するように言ってのけた。城の窓から、女性たちの声が聞こえてくる。彼女らは純白のヴェールに包まれて、白鳥のような優美を保っていた。しかし白鳥もエサ取りの時間となれば、その優美を忘れて顔に悪魔を浮かべて見せる。庭の騎士に気が付いて、そのあどけない美少年を女の世界に誘ってやりたくなったのか知らぬが、甘い声を投げかけて見せた。黄色い声が、彼を濡らさんとばかりの雨のように庭に降り注いだ。『どうか、城にいらして。美しいお方』。ガウェインは驚く。昔から女性というものに、あまり関わってこなかったのだ。
「私は……どうすればよいのだ」
すると困った彼を救うかのように、この豪邸の城主が入り口からのそのそと歩いてきた。いつか見た体格の良さだが、その人本人ではないようであった。第一、体が緑色ではない。
「おや、いかがなさいました。このあたりでは、見ない顔ですね」
「突然の訪問をお許しください。とある目的で旅をしております、ガウェインと申します」
すると城内が沸く。カモの住む池に魚を落とした時のように、騒ぎ狂う女性は大口を開けていた。彼女たちは鳴き声のように、庭の美少年の名を何度か言って見せた。その顔に恍惚を浮かべながら。いつだってつまらぬ人生に張りを与えるのは、ショウケースに入れられた異性なのであった。
「ガウェインさまですか。お恥ずかしながら、お初にお目にかかります。どちらからいらしたのでしょう」
「カメロットから参りました」
「ああ! アーサー王の! これはこれは遥々どうも。つまらぬ城ではございますが、いかがでしょう? 今日泊まる宿にお困りなら、お供いたします」
「ご配慮感謝申し上げます。しかしながら、私はこれから緑の礼拝堂へ向かわねばなりません。昔に結びました契約を、果たしに行くのですから。その慈悲深いお言葉だけでも、有難いことにございます」
「遠慮なさらないでくださいな? 契約を果たさねばならない日まで、まだ残されておりますでしょう。恩を掛けるつもりはございませぬ。ただ、美しい旅人のあなたに、心からおくつろぎになっていただきたいだけなのです」
こうも言われてしまえば、彼に従わない方が無礼というものであろう。初めて彼は自身を苦しめる道を選ばず、甘美な堕落の境地を味わうことになるのだ。
「さて、ガウェインさま、拙うございます我が城で、おくつろぎになってください。私は猟をたしなんでおりますから、きっとガウェインさまのお口に合う、良い獲物をお連れいたします」
「それはいけない。いくら名うての猟師と言えど、万が一の怪我があってはならない。私がお供いたしましょう。騎士の端くれではございますが、いちおう円卓に選ばれておりますから、腕には自信がございます」
「いえいえ、あなた様におもてなししたいのです。どうかお願いですから、城に」
城内から侍女が出てくる。その老婆は腰が曲がってしまっているが、品行方正なお人であった。彼の召している上着を預かり、城の中へガウェインを案内する。去ってゆく猟師の男の背中が遠ざかるのを横目に、赤と緑の装飾が目立つ屋内に導かれた。
「これで良かったのだろうか」
「ええ。お客様なのですから。特段の事情を忘れて、おもてなしをお受けになるのが礼儀でございましょう」
「それも、そうであろうな」
老婆の云うことがもっともだとガウェインは思うことにした。同時にお客人としての態度も査定されるのだと身が引き締まった。これからどのように、もてなしをお受けいたせばよいのだろう。不安の色を隠しきれないガウェインを包み込むように、待ちきれなくなった女性たちが彼の前に現れる。
「ああ、ガウェインさま、なんと美しいこと」
「ガウェインさま、ようこそ、おいでくださいました」
「さあ、こちらにいらして?」
ある意味でガウェインは戦慄せられることになる。女性というものとの付き合いがないのに、こうも果敢な女性たちに囲まれてしまえば、何を成せばよいのかわからなくなる。一対三の馬上試合ならやってのけられるが、一対三で女性に迫られては溜まったものじゃない。それが狙いかは知らぬが、彼女らは妖しく笑ってのけた。ガウェインの腕を取るが早いか、薄暗いロウソクの灯る部屋へと、彼を連れ込んだ。
「私は……私は何をすれば」
挙動不審になっている自分を惨めに思いつつも、女の繋ぐ手に熱が漲るのを感じ、再びあっけにとられた。自分の非常に大切な何かが、奪われてしまいそうであった。彼女らを拒絶はできない。五芒星のうちの寛大の心で、彼女たちを受け止めてやらねばならない。五芒星のうちの情熱でもって、彼女たちに返礼してやらねばならない。
「今日は、私がおもてなしさせていただきますわ」
二人はいつの間にかいなくなっており、一番背の小さい彼女がガウェインの肩に手を乗せている。ガウェインはその姿かたちを見る余裕などなかったであろうが、ご自慢の白いドレスには薄緑色の装飾が施されている。さりげないエメラルド色の宝石が、彼女の愛らしさをより深めていた。まだあどけなさが残る彼女の、何とも甘ったるいもてなしがガウェインを誘惑するのであった。小手調べにと耳の付近でこそばゆい声が囁かれ、彼は思わず身を震わせた。
「あ、ああ。それは、ありがとうございます……」
仮にもガウェインはまだ青年と呼ぶにふさわしい外見をしているのだから、背徳の甘美を啜る悦びは知る由もない。ガウェインは自身のその規律でもって、五芒星のうちの純潔が穢されるのを避けていたのだ。しかし幼子のような見た目で穢れを知るその少女は、ガウェインをソファからベッドへ誘導する。
「愛しいお人。乙女心を刺突するようなあなた様の目元が、何とも煽情的でたまりませんわ。さあ、お体をいたわって差し上げますから、こちらにお掛けになって?」
彼は、言われた通りにしてみせた。しかし純潔の誓いは、決して破られぬよう心を強く保った。あの猟師の、あどけない妻たちを奪ってしまってはいけない。あのように躍起になってガウェインに馳走を用意する彼を裏切るような真似は、到底できなかった。
「いえ、これ以上、私の服を脱がしてしまってはいけません。こうして、具体的に何もなさないで、ベッドの上で語らうというのも、きっと楽しいではありませんか」
「ええ、もちろんですわ。でも二人が一糸まとわぬ姿であれば、もっと楽しくなりますわ。もしあなたが嫌なら、無理なさってはなりません。私だけが裸になりますから、どうぞご覧になってくださいまし」
「いいやいけない! その美しい肌を露出してはなりません」
「どうして? 私を美しいと思って下さらないのですか?」
「思っておりますとも。あなたは美しい」
「では、裸の私をも美しいと思ってくださいますね? その手に取ってみたいと、思ってくださいますね?」
ガウェインは返答に困った。裸にしてはならぬが、彼女の美を否定してもならぬのだ。癖になっているらしい右手の十字切りを、彼女に見えぬようにやり、彼は切り抜ける一言をひり出した。
「そのお美しい姿を、私の僭越な目でもって辱めてしまうわけにはいかないのです。それをするには、私はあまりに身分が低すぎますから。姫様。身分の低い私は、貴女にお仕えする騎士となることはできますが、貴女と対等な物言いはできませぬ。ましてや、この私が貴女を自分のものとすることなど出来ましょうか」
どうだ。相手も傷つけることはせず、誓いを守り通して見せたぞ。そうガウェインが安心したのも束の間であった。
「ならば、私のしもべとなってくださいますか?」
「ええ、姫様のお望みは、このガウェインがすべて叶えて見せましょう」
「ならば、私を抱いてくださいまし? 私の夫は全然愛してくださらないの。人肌が恋しいこの憐れな私を、どうかあなた様の情熱でもって、今宵限りで燃え上がらせてくださいな?」
『なぜそうなるのだ』と言いたい気分であったろうが、紳士たる者の振る舞いを彼女に続けた。マリアは絶え間なく、清廉なガウェインに切り抜ける知恵を与え続ける。
「あなたには夫がいらっしゃいますのに、どうしてそのような低俗なことが出来ましょうか」
「私との交わりを、あなた様は低俗と仰るのね」
「いえ、私の行動が低俗だと申したのです。私は騎士でありながら、姫様の肉体を穢すことなど出来るはずがないと申しているのです」
「お顔はハンサムでいらっしゃるのに、何と無粋なお方なのでしょう。姫君が必死で懇願しているのに、お願いをかなえてくださらないなんて」
「貴女の願いを叶えたならば、私は円卓にいられなくなりましょう。騎士である以上、他の出来る限りのことはさせていただきます」
「ならば私の接吻くらいは、受けてくださいますね」
「それが貴女の望むことなら、お受けいたします。ちょうど、右の頬が開いておりますよ」
唇を奪わせずに済んだため、ガウェインは及第点であったと思ったことだろう。彼女の期待をないがしろにすることはせず、自身の純潔を守り抜いたのだ。猟師のあの男にも顔向けできる。しかしこれ以上の完璧な対応はできなかったものだろうか。喉につっかえた小骨とも思われるそのような疑問に耐えながら、彼女の攻撃の全てを凌いでみせた。そうしているうちに男が帰ってきたらしかったので、試合終了となった。
猟師の男が帰ってきたのを知らせるために、老婆が部屋に入ってきた。彼女の期待していた通りでなかったためであろうか、少し残念そうな顔を見せたが、すぐさま愛想笑いの仮面に付け替えた。
「ご機嫌いかがでしょうか。主人が戻ってまいりましたから、お声がけに参りました。もしご都合よろしければ、お夕食に致しませんか?」
「ああ、それはありがたい」
ガウェインを見て、先ほどまで共に寝ていた女はいたわるように、彼の去る背中に手を振った。完全には満たされなかった心に、体を蕩けさせながら。
捕らえてきた動物が、城の入り口に添えられてあった。自身の猟の結果に満足してか、獲物を見せびらかすように控えめに縄が掛けられていた。
「よくぞ……このような立派な獲物を」
しかしどうも、貧相に見えて仕方がない。自分が捕らえた獲物の方が、もっと大きな獲物であることが多いのに。よくこのような仕様もない出来の狩りを誇れたものだ。ガウェインは口には出さなかったが、そう思わざるを得なかった。男を侮蔑するのではなく、そのあまりの能力の低さに、理解を示せないようであった。
「ええ、おもてなしをするのですから、年甲斐もなく張り切ってしまいました」
「わざわざ私のために、ありがとうございます。こちらからも、何か返礼を致さねばなりません」
ガウェインは何を思ったか、猟師の右頬に口づけをした。そうして、こう続けた。
「私がこの城で得たものを、あなたに差し上げました。お美しいお妃さま方から、右頬に口づけをいただいたものですから、あなたにも差し上げたく思い立ちまして」
親愛の意味を持つ右頬へのキスを、猟師にやったのだ。この行為が、ガウェインと妻たちが不倫していないことを示す証拠となると、両者は認識を共有したようであった。フランスやらイタリアやらの野郎どもはキイキイ喚くかもしれないが、頬へのキスは不倫に該当しないものとする。
「ガウェインさま。聞きしにもまして、清廉潔白なお方だと、今心で理解できた次第でございます。明日も明後日も、この城で得たものを私にくださるのであれば、私はきっと史上最大の幸せ者にございます」
「ええ、必ずやそう致します」
幾度となく日が流れ、月が流れていった。溌溂たる女性たちを華麗に躱していったガウェインは、明日にクリスマスを控えていた。そうして、忘れていたあの緑の瞳を思い出すことになる。現実に引き戻され、無様に首を切り捨てられる様を想像してしまったがために、彼はもはや冷静に判断することが出来なくなっていた。
「ガウェインさま? 顔が強張っておられますよ。さあ、私が触れて差し上げますから、どうかベッドで寝転んでくださいな?」
「ああ……感謝いたします」
ガウェインの心の内は荒みきっていたらしい。何と無様な人生だったろう。これらはすべて誰のせいなのだ。アーサー王が、ここまでの真人間でなければ、このような人生は送らなかったはずだ。ろくでなしの山賊にでもなっていた方が、幸せだっただろう。円卓に座っている自分を、あたかもエリートであると褒めそやされたくない。無遠慮に期待なんて抱いてみせるな。プライドが心に沸いてくるではないか。しかしそれは、全くの無駄な虚栄心であったのだ。もし仮に、これが虚栄心でないのなら、なぜ私は明日緑の大男に首を切られねばならないのか。あの場で虚栄心に駆られて手を挙げるという失態をしなければ、今頃苦しんでいるのはアーサー王であったはずだ。
そう思ううち、目の前の求婚者にも一切の返事をしてやれなくなった。その顔の絶望を見た女は懐に手をやって、一つの布を取り出した。襷にも似たそれは、淡い緑色をしていた。
「ガウェインさま、今日がここに滞在なさる最後の日となっているそうですから。情熱に答えてくださらないあなた様も、せめて、こちらをお受け取りくださると思いまして」
「これは?」
「サッシュでございます。きっとガウェインさまのお召し物に、お似合いかと思いますよ」
「そう、それはありがたいことでございます」
「それだけではございませんのよ。このサッシュ、付けている者に不死の加護をもたらすのです。私たちの愛しいガウェインさまが、朽ち果ててしまわぬようにと願っての贈り物でございますのよ」
初めてその顔を、本気で愛おしいと思った。同時に、なんて都合が良い女なのだろうと思った。一年巡った契約通り、首に斧を振り落とされねばならない。ガウェインは死を覚悟していたが、これさえあれば耐えることが出来る。彼にとって、何と素敵な贈り物であったろうか。
「素晴らしいことをしてくださいましたね。私からも、同等の対価を差し上げねばならないようです」
初めて彼は、彼女が望む首元へのキスをしてやった。頬に当ててごまかさなかったのは、彼女に対してだけであった。一番初めに対応してくれた、あどけないあの娘に対してだけであった。気づけば彼は、彼女に好意を抱いていたのかもしれない。少なくとも親友のランスロットのように、実力で脅かしてくることがないから自尊心を砕かれないで済む。そのような圧倒的に弱い愛玩動物が、彼を含め男には必要なのである。
「ガウェインさま? もし良かったら私と共に、行ってくださいますか?」
「残念ながら、そうはいきません。騎士である以上、純潔であることを守り抜こうと思っておりますから。もし生涯の妻となっていただけるのなら、別途でカメロットまでお越しください」
彼女はその回答を聞くや否や、絶対に彼の下へ行ってみせると心に決めたのであった。短絡家な彼女は、ガウェインに付き添うことが至上の幸せであると思い込んでいたのだ。もしその心を裏切られたのなら、瞬く間に癇癪を起こすくせに、目の前の蜜に縋るというのが短絡家の特徴であろう。さながら蟻のようだ。
猟師が帰ってきて、その獲物を入り口に添える。いつにもまして拙い収穫であった。ずる賢い狐は捕まえるのが難しかったと彼はうつつを抜かしたが、それならば別の獲物にしておけと言いたかったであろう。この様子ならあの女も、私といる方が幸せかもしれぬとガウェインは本気で思ったそうだ。この無能な猟師を喜ばせてやるために、いつものように城で得たものを差し上げた。いつもと異なっていたのは、口づけをする場所であった。首に唇をあてがわれた男は少し驚いた面持ちでガウェインを見た。
「こちらは別れのキスでございます。今まで世話になりましたから、あなたと、そして彼女らに感謝を送り申し上げたのです」
「嬉しい限りでございます。あなた様をこちらにお迎えすることが出来て、本当に良かった」
ガウェインと猟師はともに笑った。しかしガウェインの方には、その笑みに陰りが見えた。ポケットの中身が陰りの正体であった。死を防ぐ淡い緑色のサッシュ。これを手放すことは絶対にならない。彼が生き抜くためには、これがなくてはならないのだ。城で得たものを彼に提供するという誓いを、初めて彼は破らねばならなかった。
「ガウェインさま。そのような面持ちをなさってくださるのですね。大丈夫。きっと我々は、永久に親友でございましょう。別れは一時的なものです。イエス様が神の国をお運びになったとき、私たちは共に永遠の命を授かるでしょう。あなた様を忘れるようなことは、決して致しますまい」
「ええ、私も」
クリスマス当日となり、ガウェインは再び、カメロットに帰りたくなった。本当にこのサッシュは、期待する通りの活躍を果たすのであろうか。そう思いながら、猟師の男の案内通りの道をたどって、山奥へ馬を走らせた。馬は猟師に貰ったものである。緑色の森の中、ひときわ明るいエメラルド色の建物が見える。そここそが目的地。そここそが、彼の死に場所になるはずであった、緑の礼拝堂。
「誰かいるか! このガウェインが参ったぞ!」
心もとなそうにサッシュを手で撫でながら、大男を呼んだ。ガウェインは情けないことに、返事をしないでくれと思ったそうだ。彼がもし不在なら、約束は果たされたものとみなされるからであった。しかしながら現実は、ガウェインに牙をむいた。
「ちょいと待っていろ! 今向かうぞ!」
ガウェインは彼が返事をした瞬間、なぜだか勇気が湧いてきたようであった。なんだか聞き覚えのある声がしたために、安心感を覚える。ガウェインは彼が誰であるか、もう悟ってしまったらしい。今更怯えることもない。あの無能な、猟師の声なのだ。
「ああ、待っているぞ」
その姿が見えた時、ガウェインは少しばかり体をびくつかせた。やはり奴の目はこの世のものではない。何千人もの人間を殺してきたと言わんばかりの、無情が込められている。これから奴に首を切られると恐怖を思い出したように、胃が狼狽し始める。胃酸が首まで迫ってきている。喉奥をまくしたてる辛さをもってして、ガウェインは再び冷静さを取り戻した。その手にはサッシュが握られている。その肌触りのよさも、今の状況には一切役に立たなかった。
「早く済ませてくれないか。この私でも、少し恐ろしいのだ」
「ああもちろんだとも。仰せの通りにしてやらぁ」
手汗で湿る土が、彼の白い手を汚す。ちょうど一年前緑の彼がやったように、四つん這いになって彼の攻撃を待つ。奴の斧が、横目に見える。処刑を控えた貴族共はこのような思いで死を迎えるのだろう。フランス野郎はギロチンにかかる前、どんな顔をするのだろう。悪徳まみれの政治犯は、今までやってきた不正を後悔するのだろうか。もし詫びて許されるなら、きっとそうするのだろう。しかしガウェインは、詫びたところでその一撃が消え失せるはずがないと分かり切っていた。
「ガウェインよ、怖気づくことなく、この場に来たことをまず褒めてやることにしよう」
いくら礼賛すれど、ガウェインの死に切れぬ思いが払拭されることはない。
「黙って斧を振り落とせ。貴様の一撃を、平然として喰らってやる」
「そう焦るな」
手が一握分の土山を作っていた。小指の大きさにも満たない小石と、靴に砕破された落ち葉がわずかばかり混ざっていた。男の云う通り、ガウェインは焦っているらしかった。手に小石が刺さり血を流していたらしいことに、一切気が付かなかったのだ。
「行くぞ」
「来い!」
その一瞬のうちに、ガウェインが振り落としたときよりも大きな風の音が首に迫った。ガウェインは、誰に感謝してやることも、誰に懺悔してやることもなく、持ち前の虚栄心から飄々と受けて見せた。
この時大男は、二度だけ焦らしてやろうといたずら心が疼いた。理由もしっかりとある。一度目の慈悲は、こうしてガウェインが約束を破らなかったことによる。二度目の慈悲は、猟師の妻と不倫関係にないことを、その身をもってして示したことによる。
だがガウェインは、ほんの僅かな罪を猟師に対し犯していたのだ。緑の大男が大事に取っておいたサッシュを、その身に着けていることである。ガウェインの察している通り、斧を振り落とした大男はあの城の猟師であった。自らの城にいる間だけ、呪いが薄れ普通人の格好をしていられる。さて、焦らすべきか、焦らさぬべきか。この罪に対する罰は当然に報いてやらねばならない。男のわずかに残る情けの心が、ガウェインの心を弄ぶのを辞めてやるように仕向けた。断頭は、思い切りのよい一撃であった。首に残るは、かすかな切り傷のみ。
「……耐えたぞ。これでよいな」
「これで仕舞だ。ガウェインよ、高潔な男よ。改めてよくぞ甘んじることなく、ここへ来たな。騎士の名に恥じぬ男だ」
「あなたは、かの猟師なのでしょう。私を迎え入れて下さったあの」
「左様。貴様の円卓の者たる振る舞い、確かに見届けたぞ」
互いの間には、妙な友情が芽生えつつあったらしい。両者をたたえ合うようにして、二人の右腕が組み交わされた。こうして一年ガウェインを苦しみ続けた断頭ゲームは幕を閉じたのであった。大男は、最後に彼に助言をくれてやった。
「ガウェイン、貴様は最後に一つだけ、罪を犯したな。そのサッシュを、私に差し上げることはなかった。完璧な貴様のたった一つの欠けたるところであった」
痛いところを突かれたガウェインはつい委縮する。指摘してやらなくとも、もう既に彼の大きな心のあざとなっているのに、どうしてそれを無遠慮に撫でてくるのか。
「そのように言わないでくれ。私も、死を恐れたのだ」
「いいや、私は貴様を褒めたたえているのだ。貴様の欠点はこれっぽっちのことなのだ。『最も欠けた部分のない男』と称するにふさわしいと、そう思う」
心にも思っていないくせに、そう言ってのける。ただガウェインを神格化して自分を卑下し、実力がないことを甘んじていたいだけであるのだと、もう聞き飽きたような褒め言葉をガウェインは耳にも入れずに捨てた。
「しかし、助言と思って聞いておくれ」
「何だ」
ガウェインのその背後には、黒紫の翼の生えた中性的な男が見えたように思えた。彼に声をかけていたのは、ルシファーその人であるかもしれない。かの偉大な大悪魔ルシファーは、妖艶かつ驕慢な顔を携えながら、ガウェインに頬ずりしていた。
「もう少しばかり、貴様は貴様の後ろから聞こえる声を無視してよいだろう。貴様はこれ以上傲慢になってはいけない。病的なまでに他と比較してはいけないよ。私の収穫物を、みっともないと思っておったろう」
ガウェインは、はっとした。心を見られていたのかと気が付き、気が触れそうになった。顔から汗が噴き出ている。心臓を誰かに掴まれている。笑い声が、聞こえてくる。
この私が傲慢なはずはない。盾の五芒星に誓って、そのようなことがあるはずはない。円卓でも謙虚に振る舞っているだろう。それに彼らの中で一番、出来の良い騎士と言われているではないか。ルシファー如きに魂を売ってたまるか。
「緑の君よ。あなたは間違っている。私が、傲慢であるはずはないのだ」
「ああ、貴様がというわけではない。何かに、憑りつかれていると言っているのだ。かのルシファーに……」
「何がルシファーだ。みっともない。この俺が、そんな腑抜けの手に落ちるだと? 寝言は寝て言え。それとも、俺が引導を渡してやろうか。一生煉獄の炎に焼かれながら戯言を言っているのが似合っているぞ、このたわけが」
「おい、ちょっと待ちなぁ、最後まで話を聞けというのだ」
ガウェインは流れるような動作で馬に乗り、カメロットへ帰っていった。一度も後ろを振り向くことはなかった。完全に自我を取り戻した気になったガウェインは、カメロットに着いた後の周囲が褒めそやす中、開口一番にこう言ってのけた。
「私は、傲慢かね。円卓の諸君。いいや、違うはずだ。私は自身の実力に溺れることのないように振る舞っている。君たち以上に私は、鍛錬に時間をかけているだろう。君たちを凌ぐ力があって当然なのだ。家柄が関係しているだとか、王の血筋の者であるとかは一切関係がない。しかし君たち凡人に褒めそやされる度、私は私であろうとする。きっと自我同一たる存在でいられるのは、君たちのおかげだ。鍛錬を続けていられるのは、君たちが何の努力もせず私を羨望していてくれるからだ。感謝しなければならないな。ありがとう。
ほら、謙虚に感謝を述べて見せたろう。これ以上私に、傲慢とは言えまいな。もし言ってみろ。私は自殺してやる。私が死んで悲しむのは、私じゃない。君たちだろう? 君たちは円卓で一番の宝を失いたくはないだろう。この円卓の騎士を守りたくば、私にふざけたことは言わない方がよろしかろう」
円卓には、ルシファーの翼から香る酸味が、人を見下すような酸っぱさが、充満していた。