1.うましか聖女
「見ていなさい。聖女に選ばれるのはわたくしですわ」
聖女候補クリビナは巻き髪をかき上げてロベリアを一瞥すると、蝋燭に両手を翳した。
「ニコラ、わたくしに力をお貸しなさい」
天使ニコラが手を添え、クリビナに流れる魔力が増幅される。
聖女候補でも人間の魔力は微々たるもの。対の天使に魔力を増幅され、かろうじて魔法が発動できる。
クリビナが意識を集中すると、蝋燭に柔らかい火が灯った。次に、持ち上げたグラスに水が現れ、わっと歓声が広がる。
「流石はクリビナ様! 炎だけでなく水の魔法が扱えるなんて!」
「今回の聖女は、クリビナ様で間違いありませんわね」
「ロベリアに扱えるのは風だけ? その程度で聖女なんて……」
「しっ、根暗女に聞こえますわよ」
クスクスと笑う他の聖女候補達をクリビナが睨みつける。
「お黙りなさい、貴女達はロベリアにも及ばなかったのですから。さあ、ロベリア。次はあなたの番ですわよ」
聖女候補の中で一番強い魔力を引き出せた者が、女神に聖女として認定される。その最終候補として残ったのが、このクリビナとロベリアだった。
クリビナに促され、ロベリアが顔を曇らせる。
「……できない」
「できない? ロベリア、何を仰っていますの?」
新しい聖女誕生を見守っていた国王が、焦れて立ち上がる。
「どうした、何をしておる?」
ノエル王子も不安そうに覗き込む。国の宝でもある聖女は、この王子の婚約者となる事も決まっている。
ロベリアが顔を上げ、小さな声を絞り出す。
「できない。わたしの天使オルティは、消滅した」
「何だと!?」
厳かな空間に国王の声が響き、聖女候補達と並ぶ天使達が一斉に息を飲んだ。
同じく青褪めたニコラの首元を、クリビナが掴む。
「対の天使が消滅!? どういう事ですの、ニコラ!」
「わ、わかりません。ですが……確かに、オルティさんの気配がありません」
天使は女神の命により、対となる聖女候補から離れる事ができない。近くに気配がないという事は、言葉のまま『消滅』以外にない。
天使を失ったロベリアは、同時に聖女の可能性も消えたことになる。
「やっぱり、聖女はクリビナ様だった」
ロベリアが頭を下げ、美しい白い髪がさらりと肩から落ちた。
「教会とマゴレン家、孤児のわたしを保護してくれたこと感謝してる。聖女候補の資格も失った以上、もう保護は受けられない。……お世話になりました」
全員が言葉を失う中、ロベリアは静かに教会を後にした。
◇
足早に街を抜けたロベリアは、誰も追いかけて来ていない事を確認すると、風属性をアレンジした跳躍魔法と透過魔法を全身にかけた。
思い切り地を蹴ると、まるで体が鳥のように空を舞う。地面を歩く者達が、空を跳ぶロベリアに気づく様子はない。
「や、やった、上手くいってる!」
なかなか聖女が決まらず業を煮やした教会が、突然『見極めの儀』を執り行うと言い出した時は全身から血の気が引いた。
儀式では、最大魔力を引き出す魔法道具が用いられる。そんなパワハラ道具で、これまでの努力を無駄にはできない。
いくつか村を超えて雪山が見えた頃、やっとロベリアが表情を緩ませた。
◇
地に降りたロベリアの足が、サクリと雪を踏む。と同時に、横の空間が裂けて、中から一人の男が飛び出した。
「くはっ、やっと出れました……こ、ここは!?」
辺りをキョロキョロと見渡すこの男こそ、消失していたはずの天使オルティ。普段は金髪を纏めて神秘的な雰囲気を醸しているが、かなり中で暴れていたらしく完全に乱れている。
「オル。どこにいたの?」
「それが、儀式に向かう途中で、突然『空間の狭間』に閉じ込められて……くそっ、油断しました。そ、それより、儀式は!?」
クリビナを聖女にしようと企む者が、オルティを隠蔽した可能性が高い。オルティが悔しそうに顔を歪める。
「残念だけど、儀式は終わった。クリビナ様が炎と水の魔法を発動した」
「クリビナ嬢が二属性……本当ですか!?」
「うん。わたしはオルがいなくて魔法使えなかったけど、聖女は間違いなくクリビナ様」
「そうですか……」
力を増幅してもロベリアが使えるのは弱い風魔法だけ。オルティが肩を落とす。
「ロア。僕が消えたことで、教会を追い出されたのですね?」
一面の雪景色に、教会から遠い北の山だと理解できた。心配するオルティとは対照的に、ロベリアは意外にも落ち着いた様子で山の奥を指さした。
「嫌われてたし、いつかこうなると思ってた。わたし、この先の山小屋に住む。大丈夫だから、オルは天界へ帰って」
「いえ、帰りません」
「ど、どうして?」
眉を顰めるロベリアの白い手を、オルティが両手で包み込む。
「聖女が決まった後も、天使は対の聖女候補を守るよう言いつけられています。それに、こんな極寒の地にロアを置いていけません」
「……ちぃ、これ想定外」
小さな舌打ちは、風の音に紛れてオルティの耳には届かなかった。
◇
長年放置されていた山小屋は、蜘蛛の巣が連なり埃も積もっていた。暖炉以外、家具一つない。
「聖女の有力候補がこんな汚い小屋に追いやられるとは。……僕がいれば、教会に残るよう話もできたのに」
クリビナとロベリア、どちらが聖女でもおかしくない状況だった。
悔しそうに歯を軋ませるオルティを横目に、ロベリアが淡々と掃除を始める。
「住めば都だし、問題ない」
「ですが、ここには薪も食料もありません。一度近くの村に行きませんか? こんな極地で毛布一枚すら無いのでは、凍死しかねません」
「大丈夫、持ってる」
「は……何をですか?」
「えっと、全部持ってる。重いから、オルも手伝って」
ロベリアが指で空間を切ってグイと広げ、中からズルリとベッドを取り出した。
「……ん? あれ、今何が……」
「オル、そっち持って。あっちに運ぶ」
「え? あ、は、はい」
窓際にベッドを設置すると、ロベリアはもう一度空間を切り、体を突っ込んでごそごそと大きな袋を取り出した。
「これが食料。凍ってるから暖炉の横に置いて……って。オル、どしたの?」
パックリと切り裂かれた空間を眺め、オルティが声を震わせる。
「……僕、魔力を増幅していませんけど。ロア……まさか、普通に空間魔法が使えるんですか?」
「見ての通り」
ロベリアが空間から温かそうな黒いマントを引っ張り出して、ふわりと羽織る。その空間の切れ目に、オルティは見覚えがあった。
「まさか……僕を空間に閉じ込めたの、ロアですか?」
「そう」
「この袋って……教会の食料を盗んでいた犯人、ロアですね?」
「そう」
「う、疑われたロアを、俺は必死に庇っていたのに?」
「そう」
「つーか、それより……空間魔法使えるなら、早く言えよぉぉお!」
炎や水魔法に比べて下位の魔法ではあるが、増幅無しに空間魔法が使えれば聖女認定されてもおかしくはない。
「だって、聞かれなかった」
「聞くはずねえだろうが! どう考えても、こんなの自己申告だ!」
頭を抱えるオルティを横目に、ロベリアが暖炉に向かって手をかざす。
瞬間、薪のない暖炉に大きな炎が灯り、部屋がじんわり温まった。
「……あ?」
「オル、そこにいると危ない。……ほら、火がついた」
暖炉の炎が、近くにいたオルティの服に燃え移る。状況が理解できないオルティが立ち尽くしている間に、炎は燃え広がっていく。
「オル、燃えるよ? ……もう、仕方ない」
ロベリアが指を鳴らすと、オルティの頭上に水の塊が浮かびバシャリとかけられた。
「……おい」
「ごめん、水魔法ほんと苦手。……大丈夫、乾かす」
「……は?」
ずぶ濡れのオルティを温かい風が包み、数秒で乾燥して元通りとなった。
「オル、そこちょっと邪魔」
呆然とするオルティを押し退け、ロベリアは空間から一体の手作り感溢れる木彫り像を大事そうに取り出した。
蝙蝠の羽を持つ、妙に禍々しいその木像を、暖炉の上に飾って角度を調節する。
「……シキミ様、素敵。作った甲斐があった」
マントのフードを深々と被り、ロベリアが木像に祈りを捧げる。瞬間、ロベリアが抑え込んでいた魔力が、小屋中に充満した。
「やっと解放。ふぅ、スッキリした」
「……おい」
「シキミ様、やっとこの時がきました。全部、あなたのおかげ」
「おい、何だこれ」
「オルうるさい。全部教えるから、それ聞いたら天界帰って」
ロベリアは体を丸めて目いっぱい溜めを作ると、全身を伸ばして恰好いいポーズでマントを翻した。
「くわはは、この女神ヒイラギの犬めが! 怯えて平伏すがいい、こちらは暗黒神シキミ様であるぞ!」
「おい。……ロア、どした?」
「ちがう。吾輩はロアなどではない! 暗黒神教が第二の司教、ボイラーレである!」
「ボ、ボイ……?」
「その顔、心底驚いているな? だがもう遅い。この先、暗黒神教は世界を支配するのだ!」
「待て待て、なんだその突然の謎キャラ! いや、そうじゃない! 俺が聞いてんのは、そこじゃねえって!」
オルティがロベリアの両頬をグイと摘んで、顔を近づける。
「くっ、ヒイラギの犬め、な、何をする」
「ロア。お前、俺の増幅無しに魔法使えんのか」
「と、当然であろう。これぞ暗黒神様のお導き……い、いた。いたた。オル、いたい」
「うっせえ。正直に答えろ。いつからだ」
真顔でオルティがギリギリと力を込める。ロベリアの全身から冷や汗が噴き出した。
「……ち、小さい頃から、です」
天使が現れ、聖女候補が集められたのは約一年前。
本来ならその時点で聖女が確定する……はずなのに、今回は何故か聖女が決まらなかった。
それもそのはずで、ロベリアはずっと魔力を押し込んで隠していた。一日中魔力が漏れないよう踏ん張った結果、片言無表情になり聖女候補達から相当嫌がらせも受けた。
「どう考えても、お、お前が、聖女じゃねえか!」
「いやあの、聖女、なりたくなくて」
「んなっ!? そういう事かぁあ!」
想像していた以上に、対の聖女候補は馬鹿だった。
それにやっと気づいたオルティは、膝から崩れ落ちて涙ながらに床を叩いた。
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