私、一目惚れされるの、死ぬほど嫌いなんです
講堂裏に置いてあるいくつかのベンチの中には二カ所だけ周辺の木々により視界が遮られている場所がある。
その内の一つの前に一組の男女が立っていた。
男は緊張しているのかどこか落ち着きがなく、それでも目だけは爛々と光らせて目の前の女を見ている。
一方の女は男の様子から彼がこれから言うであろうセリフを予想して、もうすでに相手への興味をなくしていた。
誰かたまには別のことを言ってはくれないだろうか。
そんなことを毎回願いながら、しかし今回もその願いは叶わなかった。
「一目惚れしました。俺と付き合ってください!」
さあっと秋の冷たい風が二人を撫でる中、頭を下げた男を静かに見下ろした女は小さく息を吐く。
ああ、やっぱりまたそれか。
そんな冷めた気持ちしか抱けないことを心のどこかで虚しく感じながら、女は考える素振りも見せずにこう返した。
「ごめんなさい。私、一目惚れされるの、死ぬほど嫌いなんです」
「あんたまた告られたんだって?かわいそーにね」
「ほんとだよね」
「いや相手がよ?」
売店などはないものの、昼食用のスペースとして用意されている通称食堂で、私―江本紗那は向かいの席に座る友人―えっここと伊藤英里子の言葉に口を尖らせる。
「なんで?」
「あんたのことだから、どうせばっさり断ったんでしょ」
私の言葉に彼女は頬杖をつきながら半眼でこちらを見る。
ストローを咥えてズズーっとオレンジジュースを飲むその様はとても気だるげだ。
「突然一目惚れしましたとか言われる方が可哀想じゃない?てか怖くない?」
真面目に聞いていないようなその態度にも多少気分を害しながら、しかしそれ以上に腹立たしい事柄について私は熱く語った。
「だってさ、一目惚れしましたってことは、その人私の性格とかどうでもいいわけでしょ?貴女の見た目だけがどストライクですって言われて嬉しい?で、実際付き合ってみたら思ってたのと違うとか言われるし、なんなら私より好みの見た目の子がいたら簡単にそっちに行ったりするわけじゃん?」
そこで一旦落ち着こうとアイスティーに口をつける。
「そもそもね?相手は私の見た目が好みだったかもしれないけど、私は相手の見た目が好みじゃないわけ。てか偶然私の好みに合う容姿をしている可能性ってそうそうないでしょ?なのにさぁ…」
「はいはいはいはい!あんたの言いたいこともわかるけど、こっちはそれ、耳タコだから!」
まだまだ言い足りない私は不満だったが、確かに事あるごとに彼女に同じ愚痴を言っているのだから、彼女からしてみたらその通りなのだろう。
それについては申し訳なく思わないでもない。
「それでも聞いてほしいの!だっていっつもいっつも失礼じゃない?なんで世の中の人ってそんなに一目惚れできるの?所詮この世は顔が全てなの?そんな世の中滅べばいい」
だが私の心の中の霧は晴れていないのだから、もう少し付き合ってほしいとも思う。
知り合ったのは高校2年生の時だからまだ長い付き合いとは言えないけれど、彼女は私にとって本音を晒せる、数少ない甘えることができる人間だったから。
「それ、絶対私以外の前で言うなよ?どんな嫌味だって言われて、次の日から総スカン喰らうやつだから」
彼女もそれをわかっているからか、呆れたような様子のままではあるが私の言葉をちゃんと聞いてくれている。
だからため息を吐かれようがオレンジジュースのおかわりを無言で要求されようが、私は話を続けた。
「これが100人いたら100人が振り返るような美女だったらまだわかるんだよ。でも私ってそうじゃないじゃん?一部のマニアに受けるタイプの顔じゃん?だから余計嫌なのよ」
私はすぐ後ろにある自販機でオレンジジュースを買うと、彼女に手渡しながらそう言って椅子に座った。
するとすかさず彼女は顔を近づけた。
「そんなあんたに悲報を一つ。さっきからこっち見てる奴らがいる」
「まじでー」
その悲報に遠い目をした私にご愁傷様とでも言いたげに彼女は笑うと「うちらの三つ右隣りちょい奥」と件の男たちの位置を教えてきた。
そろりと見てみると、一人は手前の人が被っているために顔が見えなかったが、もう一人の横顔はばっちり見えた。
「ああ、あの人だよ、告ってきた奴」
「うはっ、マジか」
そうして視界に入ってきたのは、先ほどからの不満の原因になった男の顔だった。
きっと彼も、向かい側に座る友人と思しき男に私のことで不満を口にしているのだろう。
ちらちらとこちらを見る目には、当たり前だが明るい光はない。
「あーもー、ほんと最悪だよ。なんであいつの好みの顔だったんだよ私…」
思わずテーブルに突っ伏したくなるのを堪え、それでもついてしまった両肘の間で低く呻いた。
先ほど自分でも言ったように、私は決してものすごい美人ではない。
けれど多分100人に1人くらいの割合で、私の見た目がどストライクな奴がいるのだ。
少し茶色がかった癖がないストレートヘアに二重の目、小さな口に白い肌。
黙っていれば深窓の令嬢もかくやと言われるこの見た目のせいで、思い込みの激しい割と変な奴に私はとても好かれやすい。
彼ら曰く、私は「優しそう」で「大人しそう」で「か弱く」て「守ってあげたくなる」のだそうだ。
誰だよそんな絵に描いたような大和撫子。
残念ながら私と仲のいいえっこたち曰く、私は「気が強く」て「頑固」で「さばさば」していて「腹黒い」し「素直な分口が悪いし性格も悪い」そうだ。
うるせーよと言いたい。
年の離れた兄が二人もいたらがさつにもなるし、女子ばっかの学校でぐちぐちした女の子たちに嫌気が差して冷たくあしらうことに慣れていったらこうなったんだからしょうがないだろ。
自慢じゃないが年下の女子にはお姉さまキャラとして意外とモテるぞ。
「まあ気にしてもしょうがないんじゃない?あんたが嫌なら嫌でいいと思うし。こっち見て文句言ってたんだとしたら、そんな男逃がしたところでもったいないとも思わないしね」
ズズーっといつの間にか二本目のジュースも飲み干した彼女はそう言って立ち上がると、
「てことで教室帰ろ。次移動でしょ」
手荷物をさっと回収して足取り軽く食堂を後にする。
「ちょ、おいてかないでよ!」
私も慌ててお弁当袋や財布を持つと彼女の後を追った。
余談だが、紙パックとはいえオレンジジュースを二本も飲んだ彼女は、移動先の教室で腹痛に見舞われていた。
放課後。
取り立てて用事のなかった私はさっさと帰ろうと靴を履き替え、校門を右に曲がった。
そして三分ほど歩いた先にあるバス停へ着く直前「危ない!!」という男性の大声と共にぐいと襟を引っ張られ、思わず「ぐぅぇ」と女子にあるまじき声を漏らしてしまった。
瞬間、目の前をダンプカーが横切り、私は目を見開いて息を詰める。
ダンプカーはそのまま走り去ったが、果たしてあれは私が悪いのだろうか?
「ごめん、咄嗟に引っ張っちゃったけど、苦しかったよね?」
呆然と車道を見ていた私の後ろから知らない男性の声が聞こえ、無意識に私は振り向いた。
そこには同じ年頃の男性が申し訳なさそうな顔で所在なさげに立っている。
「えっと?」
誰だろうと思ったが、すぐに先ほど助けてくれた男性だと気づき、私は慌てて頭を下げた。
「あ、すみません。危ないところを助けてもらったんですよね。ありがとうございました」
何故あんなことになったのかはわからなかったが、とりあえず自分はこの男性に助けられたのだと思い礼を言ったのだが、彼は慌てたように手を振り、私に顔を上げるように言った。
「全然!その、俺、びっくりしてさ、慌てて引っ張ったからむしろ申し訳なくて。首大丈夫?」
「くび?」
言葉通りの表情を崩さぬまま、彼は少し屈んで私の首を見たようだ。
すると「あっ!?」と声を上げ、
「やっぱり!けっこう赤くなってる。うわ、どうしよう…」
私の顎をくいと持ち上げると「ここ痛くない?」と言って赤くなっているだろう部分に指を這わせた。
「へぇっ!?い、いえ、痛くないです!」
突然そんなことをされた私は驚いて思わず後ろに一歩下がった。
だって普通、初対面の女子の首に許可もなく触るか?
この人が優しそうで無害そうな見た目のそれなりイケメンじゃなかったら、セクハラで逆に通報されても文句は言えない状況だったと思う。
ていうか助けてくれてなかったら私は遠慮なく通報していた。
動揺で心の声がものすごく荒れたが、その間も彼は私の首を見ていた。
「咄嗟のこととはいえ女の子に傷をつけちゃうなんて…。ほんとごめんね。お詫びはするから」
大変なことをやってしまったと後悔しきりの彼だが、先ほどから言っている通り首は痛くないし、なんなら危ないところを助けてもらった私の方こそ本来お礼をするべきだろう。
だが生憎私はこれ以上彼と関わる気はなかった。
私は一目惚れしてくる奴も嫌いだが、それなりだろうとイケメンも嫌いだ。
というか信用できない。
「本当に大丈夫ですから。このくらい、ダンプに引かれていたかもしれなかったことを思えば安いものですし」
だから気にしないでこのまま立ち去らせてほしい。
私は言葉に出さなかったが、そういう意味を込めて彼の目を見た。
というか、今更気恥ずかしくなってきたので、バス停に用のなさそうな彼にできればさっさとどこかへ行ってほしい。
けれどそんな私の願いはまたも叶わず、男性は一向に引き下がろうとしない。
「だめだよ、痕になったら困るし。とりあえず冷やすからこっち来て」
ぱしっと私の手を掴むと、彼は有無を言わさず私の手を引く。
「えっ!?あの…」
バスもうすぐ来るんですけど!?
そう声に出して言えればよかったのだろうが、彼の雰囲気からその言葉を口には出せず、私は大人しく彼に従った。
「入って」
「え、ええぇぇ…」
5分ほど歩いた先にあった小綺麗なアパートの前でそう言うが早いか、彼は鞄から鍵を取り出してドアを開けるとさっさと中へ入ってしまった。
いやいや、出会って数分の女性を自宅に招くとか、この人何考えてんの?
私入らなきゃダメなの?
え?実は新手のナンパだったの?
やっぱり顔がいい男なんて信用できない!
急展開と言ってもいい出来事の数々に、とうとう私の脳は思考を放棄し、私はその場から進むことも逃げることもせずに彼が消えた扉の前でぼけっと突っ立っていた。
どうするのが正しいのか、なぜ自分がこんな状況に陥っているのか、その全てがわからなくなっていた。
「ちょ、帰っちゃった!?…って、なんでそんなとこ立ってんの?中入りなよ」
動けないでいると目の前の扉が再び開き焦ったような彼が出てきたが、立ち尽くす私を見て驚いたような呆れたような顔でまた私の手を引いた。
ぱたんと、先ほどは目の前で閉まった扉が今度は自分の後ろで閉まる音が室内に響く。
玄関から覗く室内はトイレかユニットバスがあるであろう扉の他には壁しか見えない。
つまりワンルームタイプということで、彼はこの部屋に一人で暮らしているようだ。
彼の家族に会ってしまうのも気まずいが、男性の一人暮らしの部屋にいるのもそれはそれで色々とまずい。
「あの、ここまで来て言うのもなんですけど、本当に手当てとか大丈夫ですから」
今からバス停に戻ってもバスには間に合わないだろうが、よく知らない人の部屋にいるよりは精神衛生上いいような気がした。
それにバスなら30分ほど待てば次のものが来るのだから、さほどのことでもない。
そう思えば思うほど一刻も早くここを出たいのだが、目の前の男性は空気を読んではくれなかった。
「んー、でもさ、今の時期だとまだ首出すでしょ?その位置に痕があると、その、変に誤解されることになるかもしれないよ?」
けれど心配はものすごくしてくれているようで、困ったような顔のままスマホをいじっていた。
「誤解?」
手当てするという割に突っ立ってスマホを操作する男性に首を傾げながら、その言葉にも疑問を持つ。
変な誤解ってなんだ?
「うん。正直乱暴されたか首吊ろうとしたのかって感じ?」
彼は言いながらスマホから顔を上げてこちらを見たものの目が合うことはなく、やはり困ったような顔をしていた。
しかし言われた言葉を理解すれば、なるほど確かに首にある締め痕というのはよろしくないかもしれない。
ここは素直に手当てを受けるべきかと思ったところで、「これかなぁ?」という小さな呟きが聞こえてきた。
「一応首についた痕を消す方法っていうのを調べてたんだけど、手首についた輪ゴムの痕を消す方法っていうのが出てきたから、一回それ試していい?」
今度は視線の合った彼の言葉に今更ながら手当の方法を調べてくれていたんだと気づいた私は、中々に失礼なことを思ってしまっていたなと反省した。
よくよく考えて見れば私だって冷やせばいいのかなくらいで、具体的に手当ての仕方に見当がついていたわけではない。
それよりもネットで調べて情報を得るというのは正しくスムーズな方法だった。
「蒸しタオルとかマッサージとかで血行を良くすればいいらしいから、ちょっと待ってて」
言うが早いか、彼はさっそく蒸しタオルを作りに行ったようだ。
「どう?沁みたりしない?」
ほどなく戻ってきた彼は首にタオルをあてる私を心配げに見守る。
「はい、大丈夫です」
触られても痛くなかったのだから大丈夫だろうと思っていた通り、蒸しタオルをあてても首の痕が痛むことはなかった。
むしろ肌寒い今の時期には気持ちがいい。
ほっと息を吐く私を見て、ようやく彼も少し安心したように笑った。
「よかった。少しは緊張も解けたみたいで」
「…え?」
彼の言葉に私は首を傾げる。
傾げたが、普通見知らぬ男性の部屋に通されたら誰でも緊張もするだろうと思ったので、素直にそのまま答えることにした。
「まあ、命の恩人とはいえ知らない男性の家ですから。多少は」
「そっか。そーだよねぇ」
はははと誤魔化すように乾いた笑みを見せる私に彼は苦笑する。
それは残念がっているようにも見えるし、なにかを諦めているかのようにも見えた。
首に巻いたタオルが僅かにぬるむ程度の温度になった頃、私はタオルを外して鏡で首を見てみた。
「うん、薄っすら赤いけど、目立つほどじゃないですね」
そういえば元々どの程度赤くなっていたか確かめていなかったので、これがどの程度回復している状態なのかはわからない。
けれど自分で気にならない程度の赤味になったのであればいいだろう。
「よかった。ほんとにごめんね」
彼はまだ少し赤いことを気にしてか再び申し訳なさそうな顔を見せたが、それでも安堵の笑みを見せてくれた。
「それじゃあ、何もお返しできなくてすみませんが、ちょうどバスが来そうな時間なのでお暇しますね」
時計を見れば乗ろうと思っていたバスは出てしまっていたが、次のバスはあと15分くらいで来る時刻。
タイミング的にもちょうどいいと私は彼に礼を告げ、その場から去ろうとした。
「あ、ちょっと待ってね」
しかし彼は「すぐだから」と私を引き留め、備え付けのワードローブになっていたらしい壁を開け、中から薄手のストールを取り出した。
「これくらいしかないけど、よかったら使って」
そしてそれを私の首にふわりと巻き付ける。
微かにすっきりとしたアクア系の香りがした。
「きっと家に着く頃には痕は消えてるだろうけど、バスだと気がつく人もいるかもしれないし、念のため」
ね?と笑う目の前の人から香ってくるのと同じ匂い。
気づいた瞬間、顔が赤くなるのがわかった。
「は……」
そして「い」が口を出る前に、私は俯いて彼の視界から赤くなった顔を隠した。
どうしてか、無性に恥ずかしかったのだ。
もしかして、私は彼を好きになったのだろうか。
まさか、あの短時間で!?
だが一目惚れではない、はずだ。
きっと、ダンプに引かれそうだった時の動悸をときめきと勘違いしている、要は吊り橋効果というやつだろう。
そうに違いない。
そうでなければ…困ってしまう。
翌日、彼の名前も聞いていなかったと気づいたのは、例によってえっこに昨日の出来事を語っていた時だった。
「とりあえず彼にそれを返したいってのはわかったけど、名前も知らないんじゃあどうしようも…」
「でも家はわかるのよ?」
「逆にそれがなんでだって話に普通はなるんだけどね。お持ち帰りされたんじゃしょうがない」
「言い方」
だってそーじゃん?と彼女が言った通りではあるが、それでは世間体がよろしくない。
第一その言い方だと男女的な何かがあったみたいではないか。
「純粋に助けてくれた人なんだから、そういう風にからかわないで」
「はいはい、ごめんごめん」
「もう…」
軽く睨んでみたものの、チェシャ猫のようにきししと笑う彼女には通じない。
軽くため息を吐いて気分を落ち着けようとした、その時。
「お前、ホントに紗那ちゃんに会いに行ったのか!?」
「…ああ」
自分の名前と聞き覚えのある声が二人分耳に届いた。
一人はこの間告白してきた誰か。
もう一人は。
「マジでか!で、で!?なんて言ってた?」
「いや、ちょっとアクシデントってか、まあ色々あって、その辺は全然」
「んだよもう。せっかく顔がいいんだから、ガンガン行けよ」
「お前なぁ…」
そう言いながら、昨日のはにかんだような困ったような笑顔とは違う顔で言うのは、確かに昨日の彼で。
「…ねえ、あんたが言ってたのって、あの人?」
なんで、と小さく呟けば、同じく気がついていたえっこが耳打ちをしてくる。
それに頷けば彼女は「そう」と苦々しいため息を吐き、
「あの人だよ、昨日ここであいつと一緒にいた、あんたから見えなかった人」
そう言って視線を彼らに戻した。
私も同時に視線を戻す。
彼らはまだ私たちに気がついていないようだった。
「お前がナンパして成功しなかったことなんてないじゃん。その人畜無害そうな面であの子も落としてくれよ」
私が振った男はそう言って彼に手を合わせる。
「な!ちょっと俺と同じ気持ちを味合わせたいだけなんだから、ちゃちゃーっと」
そして「この通り!」とおどけたような雰囲気で彼に頭を下げた。
「……サイテー」
「っ!?」
「ちょ、えっこ!」
「え!?紗那、ちゃん!?」
「あ…」
しかしそこで友人に限界が来た。
なにのって、我慢の。
彼女は彼らに向かい底冷えするような低い声で言うなり、私から彼のストールが入った袋を奪い、彼に突きつけた。
「はいこれ。この子を助けてくれてどうもありがとう。でもくだらない復讐のためならもう二度と近づかないで」
初めて見るほど険しい顔の彼女はそう言うと私の手を取って踵を返し、一度も振り返らないままその場から立ち去った。
混乱していた私は最後まで何も言えなかった。
「あーもー!!ホント最低!!なんなのあれ!?」
講堂裏の目立たないベンチに移動してきたえっこはベンチに座りながら早速悪態を吐く。
当事者の私よりも余程腹が立っているのだろう、途中で買ったいちごミルクを一息に飲み干した。
「振られた腹いせにあることないこと吹聴した馬鹿もいたけど、今回よりはマシね!てかあの男もあの男よ!なに手を貸してんだか」
ぐしゃりと彼女の手の中のいちごミルクのパックが潰され拉げる。
視界に入ったパックを持っていない反対の手も同じように握り込まれていた。
「だからイケメンって信用できないのよ!女は皆自分に惚れるとでも思ってるのかしら!」
ふんふんと鼻息を荒くし肩を怒らせて、友人の怒りはピークに達していた。
そして反対に私は混乱も収まり、酷く凪いだ心持ちで彼女の怒りが収まるのを待つことにする。
その間、彼女が言った人たちのことを思い出してみた。
あることないこと言った人。
その人は私に振られた後「あの女は自分に惚れてる男たちを利用してブランド物や高級品を貢がせてる」「化粧で誤魔化しているがすっぴんは見れたものじゃない」などの噂を流していたが、私がブランド品が嫌いなことも、普段から全く化粧をせずすっぴんで過ごしていたことも知らなかったらしい。
それでよく「貴女が好きです」なんて言えたものだと皆で笑った。
当然ながらそんな噂が流行ることもなく、今では彼はひっそりと佇む置物のようになっている。
もう一人、私たちがイケメン嫌いになったきっかけの人。
彼は誰の告白も受けない私を対象に、友人と落とせるかどうかという賭けをしていた。
私に近づくためにまず友人(隣にいるえっこではない)に近寄り、彼女と付き合うふりをして私たちと知り合った。
そして一週間もしないうちに友人は捨てられ、私は彼に告白された。
「君の笑顔が頭から離れないんだ」とか言って。
だから「私は貴方の顔を覚えていませんが」って言ったらその場で逆ギレされて、色んな意味で危なかったけど、そういえばその時、最終的にはえっこに助けられたんだ。
「もー、なんであんたって貧乏くじばっか引くのかね?」
そう言いながら毎回私に力を貸してくれるこの友人に。
「ふふふ、ごめんねえっこ。いつもありがとう」
「あんたなに笑ってんのよ。笑い事じゃないでしょうが」
「ごめん」
私はいい友人を持ったなと思って笑いながら謝罪と感謝を述べるが、彼女に笑っていることを咎められた。
でもこんなに素敵な、得難い友人がいてくれることが嬉しくて、やっぱり私は笑ってしまったのだった。
もう彼のことなんてどうでもいい。
吹っ切れたような私を見て、ようやく彼女も笑ってくれた。
なのになんで、今私たちの前には土下座した男が二人並んでいるんだろう。
しかも校門のすぐ横なんていう目立つ位置で。
「……邪魔なんだけど。踏んでいいの?」
帰りに何か美味しいものでも食べて気分を変えようという時に、その変えたい気分の元凶がいては元も子もない。
友人の機嫌は急降下し、片足は既に告白してきた方の男の手を踏んでいる。
「ごめん!」
一方私側にいた一応命の恩人である彼は顔を上げて私を見た。
その顔は昨日の彼のような、自分の行動を悔いている顔だったので、とりあえず話は聞いてもいいかもしれないと思い、場所を移そうと提案する。
「なら俺の家に」と彼は言いかけたが、すぐにハッとしたような顔で「いや、講堂裏のベンチに行こう」と言い直した。
彼らは私たちをベンチに座らせると向かい合うように芝生に正座した。
そして再度「すまなかった」と頭を下げる。
「ほんのいたずらのつもりだったんだ。あまりにもあっさり振られたのが悔しくて、それで」
告白をしてきた男―告白男は私を見てぐっと唇を噛んだ。
言いたいことはあるが、言ってはいけないと自制しているのだろう。
「せっかくの機会ですから、言いたいことは全部言っていいですよ」
けれど私はその言葉を聞いてみたいと思った。
何故かわからないが、聞かなければいけない気がした。
「…じゃあ言うけど」
そう言った顔は「ホントに言うけど、文句言わないでね」と語っていたから私は頷いて見せる。
告白男は一瞬面を喰ったような顔をしたが、すぐに顔を逸らしてぼそぼそと語り始めた。
「俺は真剣だったんだ。初めて見た時に好みだったのは確かで、それから何度か食堂で見かけた。その度笑う顔だとか飯食ってる顔だとか、なんか色んな顔が可愛くて、俺にも向けてほしいって思うようになった。だから告白したんだ。なのに」
すうっと大きく息を吸って吐いて、告白男は言葉を継ぐ。
「なのにあの日、紗那ちゃんは始めから上の空で、俺の告白に考える素振りも見せないで、俺のことなんか見もしないで「一目惚れされるのが嫌い」って、そう言って断ったんだ。一目惚れしたって言ったのは俺だし、俺が見てたことなんか知らなかったんだろうからしょうがないんだけど、なんか、俺の気持ち全部が無視されたような気がして、初めは悲しかったんだけど、だんだん腹が立ってきて…」
「…思い余って俺に相談してきた。けど初めは純粋に振られたって、悔しいってだけだったんだ。けど食堂で、あんたたちが「相手は私の見た目が好みだったかもしれないけど、私は相手の見た目が好みじゃない」って話してるのを聞いちまって、やっぱりあれは体のいい断り文句で、自分が不細工だから振られたんだって言い出して」
途中から恩人の彼―恩人が黙り込んだ告白男の代わりに説明をする。
その内容は確かに私がえっこに言ったものに間違いはない。
「こいつがもしかしたら俺ならあんたの好みに合うかもしれないから、一目惚れさせて来いって。声掛けてくるだけでもいいからって言ってきて、声を掛けるくらいならって俺は昨日あんたに話し掛けるタイミングを窺ってた」
その結果偶然にも私は命を助けられたというわけか。
ならばある意味彼らに感謝しないといけないのかもしれない。
けれどそれ以外のことも含めて、私はやっぱり彼らの話を聞いてよかったと思った。
気づかないうちに告白男に失礼なことをしていたんだと気がつけたし、友人との会話と思っていてもどこで誰が聞いているとも限らないのだと知ることができたから。
「ねぇ、あんたたちさ、その前の会話って聞いてた?」
私がそう思っていると隣で腕も足も組んでいたえっこが二人に問うた。
そして二人は「聞いてない」と揃って首を振る。
「なら、それは誤解だよ」
そして彼女はため息を吐いたが、はて、一体何が誤解なのか。
「その前にこの子はこう言ってたの。「一目惚れしましたってことは、その人私の性格とかどうでもいいわけでしょ?貴女の見た目だけがどストライクですって言われて嬉しい?」って」
その言葉に告白男は小さく「あ」と声を上げた。
自分はそういうつもりではなかったけれど、相手にはそう伝わったのかと理解した顔だった。
それを見ながら私は「ああそれかぁ」と一人納得していた。
よく言ってる文句のやつね、と。
「って、なんであんたは今わかったって顔してんだよ」
しかし私が告白男を見ていたように恩人は私の反応を見ていたらしくツッコまれた。
覚えてなかったんだからしょうがないと思うな。
「ああ、その子天然だから。気にしないで」
「え?その見た目で?」
「悪かったな!てか天然違うし!」
それに友人がフォローでもない説明をすれば、恩人はとても失礼なことを言った。
私はすぐに反論したが、彼は「嘘だろ…」と言って口を押さえている。
君、人を見た目で判断しちゃダメだよ!!
まあ、「イケメン嫌い!」とか言ってる私が言えたことではないが。
「話が逸れたけど、つまりこの子は本当に一目惚れされるのが嫌いなの。それは私が保証する。だから別にあんただから振られたわけじゃない。そこの人だって誰だって、「一目惚れしました」って言った瞬間にこの子の返事は決まってるの。だから誤解よ」
友人はそう言うと背もたれに寄りかかり、「はい解決~」と言って天を仰いだ。
つられるように見上げれば、快晴ではないが普段より高い位置にあるように感じる空と掠れた雲、それを横切る雁の群れが目に映り、私を清々しい気持ちにさせてくれた。
肌寒いくらいの冷たい風が今は心地いい。
「じゃあ帰ろうか」
よっと反動をつけて立ち上がり、友人は私に手を差し出す。
「すっきりした気分で食べるスイーツは格別美味しいぞ」
そう言ってパチッとウインクした彼女に「うん」と笑い返してその手を取り、私たちは今度こそ帰ろうとした。
しかし「ごめん、これだけ言わせて」という妙に必死な声が私たちの足を止めさせた。
「あの、昨日、俺があんたにストールを貸した理由は、こいつに協力するためじゃないんだ」
声を上げたのは恩人で、彼は芝生から立ち上がって私の目の前に立つ。
少しふらついたから、正座で足が痺れているのかもしれない。
でもその顔は怖いくらい真剣で。
まるでいつも呼び出された先で見る顔のようで。
自然と私の背筋は伸びた。
「俺はただもう一度あんたに会いたいと思って、きっかけになればと思ってあれを渡したんだ」
「はぁ?ちょ、おま、それどういう!?」
彼の言葉に告白男が戸惑いの声を上げるが彼はそれに答えず私の手を取った。
「は?」と今度はえっこが声を上げるが、やはり彼は答えない。
「俺、あんたのことが好きなんだ!」
そして彼女が握っていた手を離してしまうほどの強さで私を引き寄せ、がばりと抱きしめた。
「は」
「はあああああぁぁぁ!!?」
友人の呆然とした声と告白男の絶叫が響く中、私は予想していた予想外に目を回しながら、またもやすっきりとしたアクアの香りに包まれた。
「で、結局付き合うことになったのね」
「う、うん…」
あれから一週間が過ぎた頃、私は照れながらもえっこに恩人―高橋優斗くんと付き合うことになったと報告した。
告白の翌日から始まった猛アプローチは日増しにエスカレートしていき、とうとう昨日「だって紗那俺のこともう好きでしょ?嫌いならこんなにしつこくされてるのに顔を赤くするなんてあり得ない」と言われて観念した。
「……自分でしつこい自覚があるあたり質悪いわね」
顛末を聞いてはあ、と最近ずっと吐きっぱなしのため息を吐いたえっこは不意に視線をずらすと「げっ」と呻く。
「あ、英里子さん!紗那ちゃんもいる~」
「紗那!」
その視線の先には優斗くんと告白男―斎藤圭太くんがいて、圭太くんが手を振る横を優斗くんが駆け抜けて私を抱きしめる。
「わわっ!?」
「ちょっと、横でいちゃつかないで!」
「英里子さん!淋しいなら俺といちゃつきませんか?」
「却下!!」
彼の重みによろけているとえっこは私を支えてくれながら悪態を吐いた。
そしてあの一件で彼女に好意を持ったらしい圭太くんがすかさず彼女にアプローチして手を広げるが、器用に繰り出された彼女の足しか受け止められなかった。
「ひ、ひどい…」
「酷くない!てかキモい!!」
「それでも僕は諦めない!」
そう言って圭太くんは懲りもせずえっこに手を広げて迫っている。
彼女は「来るな!」と言いながら圭太くんを遠ざけるが、でもその彼女の顔に薄っすら赤味が差しているから、もしかしたらこの4人でデートに行く日も近いかもしれない。
「ふふ、私の時にはあんなにガッツがなかったんだから、やっぱりそこまでじゃなかったんだよ」
私は圭太くんのあの時には見せなかった諦めの悪さを見ながらそう思った。
だからこそ、あんなに必死になっているえっこに対しては本気なんだろうとも。
「じゃああんな風に諦め悪くつきまとわれてたら、紗那は圭太と付き合ってたかもしれない?」
いつの間にか背後に移動していた優斗くんは私の頭に顎を乗せながら、少し面白くなさそうにそう言う。
その声は否定してほしそうだったが、もしもを語ったところでその答えは絶対ではない。
「わからないけど、でも私は『優斗くんに』しつこくされて諦めたよ?」
だから確定していることを答えとして彼に返した。
今私の隣にいるのは貴方だよ、と。
正確には後ろだし、その前から本当は多分好きだったけどね。
「まあ、ならいっか」
優斗くんは「ふはっ」と小さく吹き出すと、ぎゅっと私を抱きしめる手に力を込める。
嗅ぎ慣れ始めたアクアの香りが、今日も私を優しく包んだ。
読了ありがとうございました。