34 凪の始まり
さっきのショッピングモールに戻って俺は待ち合わせをしていた。
「ママ~」
遠く、別の入り口から来たであろう、リリィさんを見つけてアリサが全力疾走していった。
「アリーシャ! ■◆××○○」
走っていったアリサを両手を広げて待ち構えている。
興奮するとロシア語が出るようになっていたリリィさんの癖は治りそうにない。別に構わないけど。
「どうだった?」
「順調、次は男の子かも」
「そうかぁ、それもいいね! ウチの中、全部女の人では俺の肩身が狭いからな。
今だってね」
「何よ、そんな幸せある? こんな美人達に囲まれて暮らせるなんて、ね~」
手をつなぐアリサにリリィさんは同意を求める。
「ね~」
俺は、笑顔で俺を見るアリサの手を取った。
子供の頃の俺はこの幸せを失う事になる。今度は、俺がこの小さな手を掴んで離さなければ、その幸せを失う事は無い。俺は決して離すことは無い。絶対に。
俺は、幸せの捕まえ方を、あの小学六年生の一年間で学んだんだ。
それは……
実にシンプルな答えだった。
望んで、与える事だった。
望むことが怖かった俺は、同じように誰にも手を差し伸べる事など無かった。でも、それは、間違いだと、やり直しの六年生で改めて知った。
リリィさんのおかげで、アリサのおかで、これから生まれてくる子供のおかげで、満島先生やオーナーや雅さんや……
あとは省略の人達のおかげで……
これからもきっといろいろな機会が訪れるだろう。俺はこれからも掴んでいく、俺の為に、家族の為に。
「ねえ……
久しぶりに、あの防波堤に行かない?」
「どうしたの?」
アリサと話をしていた薄茶色の大きな目が俺を見つめた。
「君との思い出が詰まったあそこに行って、凪いだ海が、時折、聞かせてくれる波の音が、俺の苦しかった事や悲しかった事を洗い流して、楽しい出来事ばかりの思い出に変わって、幸せを噛みしめる事が出来るんだ。
俺にとっては、全てのスタートだったあそこに立って……
昔の辛かった事が二度と起きない様に……
今の幸せをもっと、もっと幸せにするんだって……
そう、一度、スタートラインに立って、確認したくなる。
決して、俺は君たちを悲しませたりしないって、確認したくなるんだ。
だから……
これから……
一緒に行かないか?」
「……いいよ……
でも……
手、繋いで……
その幸せに私達も入れなさい……」
薄っすらと微笑むリリィさんが俺に腕を差し出した。
「ありがとう……」
「ありがとうは、こっちだよ……
けんたろー……」
「アリーシャ、行きたくない!!」
「ええ? 一緒に行ってよ……
ママとパパが初めて会った、最初の始まりの場所なんだから……
アリサ」
「だって、パパとママ手つないで、アリーシャの手つなぐ場所無いもん!」
「ああ、そういう事?
だったら、真ん中にどうぞ……」
俺は子供の時に母さんと父さんと真ん中で手を繋いで、あの防波堤から、秋の夕日を見ながら家に帰った。
その時の幸福感と、その後の絶望感……
今でもはっきりと思い出す。
そうか……
でも……
さあ、これで俺のあの防波堤をめぐる思い出はループした。
俺は、二人と手を繋いであの防波堤に向かう。
俺のあの絶望の始まりだった、あそこでの楽しい思い出は、長い時間をかけて一周した。
そして、そのループから抜け出して、俺は新しい幸せのループを作るんだ……
俺の大切な家族を悲しませることのないループを……
その為に、温かなアリサの小さな手を取って、リリィさんと目を合わせた。
「じゃあ、行こうか!
俺達の始まりの防波堤の先端へ!」
二人の幸せそうな笑顔に俺は、凪いだ海の様な穏やかな人生を彼女たちに送る事を誓った。
終わり
永い間、長い文章に、健太郎の人生の一部にお付きあい頂いてありがとうございました。
今作は本稿で終了いたしますが、福島のあの港町では、今でも健太郎は防波堤で凪いだ海面を見つめ、昔を思っている事だと思います。
ただ、今までと違うのは、彼には彼を慕う、彼の大切な家族が寄り添っている事です。
恐らく、今、あの防波堤に行くと、リリィさんや彼の子供たちがはしゃぎながら釣りをしていているでしょう。
そして、遠くの阿武隈山脈にゆっくり夕日が沈むころ、工場の終業のサイレンが鳴るころに、今日の楽しかった思い出を語りながら、家族は手を繋いで家路に帰っています。
永遠に寄せては返す穏やかな凪いだ波の音を聞きながら……
永遠に訪れる幸せを噛みしめながら……
本作でのエピソードは、私自身と家族、友人の実際の話をベースにフィクションを加えて創作しています。
でも、流石に六年生をやり直すところは完全にフィクションですが……
身近に起こっている、起こりそうな話でまとめた地味な物語でしたが、深く読んで頂いた読者の皆さまに支えられ、ここまで、1年間、20万字を書き進める事ができました。
この場で、お礼を言わせていただきます。
永い間のご愛読ありがとうございました。
樹本




