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9 奪われた日常9
それは、濁流だった。俺の背中5m程のところでさっき、俺が走って来た路地が既に真っ黒い濁流の一部に成り下がり、近所の車なのだろうか、そいつが流されて家の塀にぶつかった音におれが振り向いたのだ。
マズイ、これはまずいどころの話ではない。多少高いリリィさんのアパートまで行ったとしても、今いるここから、高々、3m程度だ。一方、背後の濁流はもう俺の足元まで迫って、俺の取れる選択肢は既に喪失しているという事だ。
「まずいな。リリィさん……
後ろ手に高台へ登れる道はないの?」
俺がアパートの玄関で、お母さんと一緒に居るリリィさんに聞いたが、聞いている俺の視界には逃げ場など見えてこない。アパートは路地を登った袋小路にあって、裏手は崖のような海岸段丘の一番下にあたる部分だ。そこに立つと、今さっき、走ってきた防波堤と、その手前の道路がかろうじて見えていた。




