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凪の始まり  作者: 樹本 茂
10月 けんたろーの旅路
158/387

29 けんたろー……

「けんたろー、ごめんね。聞いてたよね?」


大きな河の遊歩道にあるベンチで、日がとっくに暮れて、肌寒くなってきたけど、私とけんたろーは一緒にゆったりと流れる川面を見ながら話しをして、あんまり、顔色の優れない、けんたろーに、私は加減がわからずにしゃべっていたことを謝った。


川の対面は高層ビルが迫り、大きな橋がいくつも見えて、ウォーキングを楽しむ人がひっきりなしに行き交っている。


「……聞いてたよ。俺は、どうしていいかわからなくなってたんだ。


満島先生が何処で調べたのか知らないけど、ここに父さんがいるから行って来いって、今のお前なら向き合えるんじゃないかって、でも、ダメだった。


玄関で父さんを見た時、急にいろんなことを思い出して、動けなくなった。


随分老けた父さん、目が見えなくて別人のようになっていた。

俺の想像していた父さんの暮らしとはあまりにも離れていて、俺はそこで固まって動けなくなっていたんだ。


俺は、もっと父さんは俺の知らない誰かと幸せな暮らしをしているんだろうと思っていた。


でも、あの玄関で見た家の中は、父さんの靴が一つだけあって、うす暗い廊下には、何もなくて、天井の所々には蜘蛛の巣があって、それは、多分、父さん以外、目の見えない父さん以外、そこで暮らす人がいないんだろうと、一人で生活しているのだろうと、俺は生活感すら感じさせないような、あのうす暗い玄関と廊下を見て理解したら、もう駄目だった。


恨みごとの3つや4つや5つ言ってやりたかった。


どれほど俺が苦労したか、悔しかったか言ってやりたかった……


でも、ダメだった。


そんな事すら、ぶつける事すら出来ずに、俺は……


何も言えなかった……」


俯くけんたろーは、ベンチに座るけんたろーは、身体を曲げて、足の間から地面を見て、両手で顔を隠している。


私は、そんなけんたろーを見て言葉を探しているのだが、とても、私が簡単に口に出せる言葉で、けんたろーの気持ちを推し量ることなど出来ないと、してはいけない事だと、私は思って、何もできずに、隣で背中にそっと手を置いて、そんな彼を見つめているだけだった。


「けんたろー……でもね、けんたろーっぽくて、私はそれで良かったのかなって思うよ」


恐らく、下を向いて涙を流していると思う、私にその顔を見られたくなくて、顔を覆っているけんたろーに私の想いを言葉にする。


「私……けんたろーが、けんたろーのパパに何も言えないってわかってた。だって、それがけんたろーだもの、でも、本当にけんたろーは、そんな事を言いたくて、ここまで来たの? 私の知ってるけんたろーは多分、絶対、違うと思う。けんたろー……


もう一度、ちゃんと話しなくて後悔しない?」


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