8.2秒で殴り返すくらいでちょうど良い
間髪入れず、お仲間が吹っ飛んで行った方向を眺めている令息の足を掴む。
「はい次」
ジャイアントスイングの要領で、勢いをつけてその体をぶん回し、1人目と同じ方角に向かって放り投げた。
ぎゃーとかいう悲鳴が小さく聞こえた気がしたが、気にしない。
あちらにあるのは厩だ。きっと上手いこと牧草の上に落ちているだろう。ここはやさしい世界なので。
呆然としていた最後の1人の顔が見る見るうちに青くなる。
逃げられないうちに回り込み、退路を断つ。姿勢を低くし、相手の腰に腕を回す。
「最後ー!」
掛け声と共に、また同じ方角に向かって投げ飛ばした。
おお、一番遠くまで飛んだかもしれないな。
しばらく彼らを放り投げた方向を眺めていたのだが、どうやら戻ってこないようだ。
戻ってきたら諦めてくれるまで投げ続けるつもりだったのだが、その必要はなさそうだ。
普段稽古のときに投げているもちもちのお兄様より軽いとはいえ、何度も投げるとなるとさすがに骨が折れる。正直助かった。
きっと今頃、ふわふわの牧草の上に落ちた3人は、一本取られたな~わっはっはとか大の字で笑っていることだろう。
大丈夫。男の子は仮に殴りあったりしたって、一緒に河原で寝転んだら友情が芽生えるのだ。
肉体言語で話し合えば、もう友達だ。そのようなシステムのはず。知らんけど。
いやぁ、平和的に解決ができてよかった。
喧嘩したとか殴ったとか、ご令嬢に怖がられるような噂が流れては避けられてしまうかもしれない。
それは困る。私はモテたいのだ。
同世代の令息では相手にならないということも分かったし、私の評判が落ちることもない。他の攻略対象に恩も売れた。万々歳である。
清々しい気持ちで振り返り、地べたに座ったままのアイザックに手を差し伸べる。
「大丈夫かい?」
「……僕まで放り投げないだろうな?」
警戒されてしまった。
さっきまでの、身分が上の者に対するような畏怖を含んだ視線ではなく、ただ得体のしれないものを見るような目つきだ。人聞きが悪い。
「人聞きが悪いことを言うなよ。私は一応、君を助けたつもりなんだけどな」
「……僕は、助けてくれなんて頼んでいない」
ひねくれ者が言いがちな台詞トップ5に入りそうなことを宣って、アイザックは私の手を取ろうとしなかった。
「僕は僕なりに、やり返すつもりだった」
「ふぅん?」
「あいつらが僕に嫌がらせをしてきたのは、何も今日に始まった話じゃない。……どうせ、兄さんたちにいじめられた腹いせで僕に仕返しをしているだけだろう。直接文句も言えないくせに」
アイザックは1人で立ち上がると、ぱんぱんとズボンの尻を叩く。
彼は宰相の3男坊という設定だった。貴族の家では、長男が後を継ぎ、次男が補佐兼長男のスペア、三男以下はパイプ作りのために他家に婿入り、というのがもっとも一般的だ。
立場で言えば、外交のカードに使われる女子と似ているかもしれない。
大切に育てられた長男が増長して、わがまま放題になってしまうのはよく聞く話だ。
アイザックは家族仲がよくないという設定だった。きっと彼も、兄たちの被害に遭っているのだろう。
しかし、アイザックの兄の知り合い、ということは、さっきの令息たちはアイザックより年上なのかもしれない。
だとしたら僥倖だ。2、3歳上までなら容易に投げられることが分かった。
成功体験は自信に繋がる。自信はモチベーションアップに繋がる。良いこと尽くめだ。
「あいつらの名前も、家のことも調べてある。後ろ暗い所のない貴族などいない。いずれ表舞台に出られないようにしてやるつもりだった」
「頭のいい奴って、敵に回すと怖いなぁ」
私なんかよりずっと怖いことを言い出すアイザックに、苦笑いをして肩を竦めるしかない。
「結局、私が手を出すまでもなかったということだ」
私はあっさりと恩を売るのを諦めた。
彼の言うとおり、私が助ける必要はなかったのだろう。何故なら、彼はここで大怪我をするわけでも、まして死ぬわけでもないからだ。
現に、今日この場所で誰の助けも得られなかっただろうゲームの世界の彼も、9年後には貴族の通う学校の内で最も身分と学力の高い学園に主席で入学し、天才の名を欲しいままにする。
しかも眼鏡の美丈夫に成長していた。その頃には、誰も彼をいじめていなかった。
「強い男だな、君は」
本当に辛抱強い奴だと思う。やり返せるまで、何年かかるのだろう。
私にはできそうもない。2秒で殴り返してしまう。
いつか主人公を巡る恋敵になったときのことを考えて、私もその辛抱強さを取り入れてみようかと思ったが、やめた。
恋愛にはスピードも重要だ。いくら辛抱強くても、攻めなければ勝つことはできない。
だいたい、1年間という限られた期間で主人公を惚れさせなければならないのだ。
やはり2秒で殴り返すくらいでちょうど良いし、私の性に合っている。
私が彼を眺めて思案にふけっている間、アイザックもまた、怪訝そうな顔で私のことを見つめていた。
「リジー? ……エリザベスー?」
ふと、遠くで、お父様の声が聞こえた。
まずい、探されている。
「ええと、じゃあ、ごきげんよう。またいつか」
適当な挨拶をして、踵を返す。
軽く膝を曲げて飛び上がり、降りてきたバルコニーの手すりを掴んでよじ登る。
私が手すりの内側に着地して居住まいを正すのと、バルコニーを確認しに来たお父様が窓を開けるのは、ほぼ同時だった。