9.エモーショナルなボイスのシステム
朝のランニングから戻ってシャワーを済ませ着替えていると、コンコンとノックの音が響いた。
「姉上?」
「ああ。いいよ、入って」
「リリアさんが姉上と約束を、」
ドアを開けて私の姿を視認したクリストファーが、ぎょっと目を見開いた。
そして見る見るうちにその顔を真っ赤にして、勢いよくドアを閉める。
「着替えてるのに『いいよ』って言わないでくださいって何回言ったら分かってくれるんですか!?」
「見られて困る身体はしてないつもりだけど」
「ぼくが困るんです!!」
怒られた。
やれやれ、我が弟は礼儀作法に厳しくて困る。侍女長の教育の賜物だろうか。
だいたい着替え中と言ってもあとボタンを3つ4つ留めるだけで完成なのだから、ほぼ終わっているようなものである。
さすがの私も全裸だったら「いいよ」とは言わない。きちんと問題ないことを確認して返事をしているのにこの言われようは少々不満だった。
ボタンを留め終わってからドアを開けてやると、クリストファーにじとりと睨まれた。非難の視線を軽く肩を竦めて躱しながら、部屋に入るように促す。
彼は大きなため息をつくと、胸の前で腕を組んで私を見上げた。
「リリアさん、サロンで待ってますよ」
「すぐ行く」
ジャケットを羽織って、姿見の前で自分の姿を確認する。
髪型よし、身長よし、メイクよし、広背筋よし。今日も今日とて盛れている。
「……今日は、何の約束なんですか?」
「ん? んー……」
入り口まで戻ってきた私に、クリストファーが問いかけた。
何の約束かと言えば、このあと一緒に訓練場に行ってロベルトを逆ハーレムごっこの仲間に加えようとしているのだが……その前に、もちろんクリストファーのことも引き入れるつもりであった。
だが――ふと、ゲームとの違いに気づいてしまった。
そうか。クリストファーはリリアのことを「リリアさん」と呼んでいたか。
ゲームでは確か、「リリア先輩」だったはず。
……ふむ。
「クリストファー、ちょっと『リリア先輩』って言ってみて」
「? リリア、先輩?」
ぽんと手を打った。あまりにもしっくりきたからだ。
これだ、ゲームで聞いていた音声。ものすごく聞き覚えがある。
ちなみにロイラバは某有名乙女ゲームのようにエモーショナルなボイスのシステムは実装されていないため、音声があるのはデフォルト名のみで、それ以外の名前を設定した場合は「君」とか「先輩」と呼ばれることになる。
それもそれで話の流れによっては少々違和感があるので、今思うとあのシステムは本当に画期的だったな。
聞き慣れたこの呼び方もいいが、せっかくなら他も試してみるか。
「次、『リリアちゃん』」
「り、リリアちゃん」
「『リリアお姉ちゃん』」
「リリアお姉ちゃん!!??」
クリストファーが悲鳴を上げた。
年下キャラなら定番の呼び方だろうと思ったのだが――余談だが、1つや2つしか年が変わらない他人のことをそんなに気軽に「〇〇お兄ちゃん」やら「〇〇姉」やら呼ぶ場面というのは人生でついぞ見たことがないのだが、実在する事例なのだろうか。兄弟や親戚ならともかく、赤の他人では無理があるのでは。まぁそんなことを言い出したらギャルゲーも乙女ゲーも「ファンタジー」なので野暮というものか――何やらクリストファーの地雷を踏んだらしい。
勢いよく私に詰め寄って、慌てた様子で腕を引っ張ってきた。
「あ、姉上、ついにリリアさんの毒牙に!?」
誰が「お義姉ちゃん」だ。
というかリリア、毒牙とか言われている。
どう考えても日頃の所業が原因なので本当に反省してもらいたい。どういう主人公をやっていたらそうなってしまうんだ。
「いや、今度学園のパーティーに遊びに行こうとしていて、それで――」
「姉上……また変なことにリリアさんを巻き込もうとして……」
「逆だよ、逆」
人聞きが悪かった。あまりにも私への信用が欠如している。
リリアが巫女を何とかしてくれと泣きついてきたからこうなっているわけで、私はむしろ巻き込まれた側である。
どうせやるならと完璧主義が顔を覗かせつつ、それなりに面白がっているのは、まぁ否定しないが。





