3.「童心に返る」というのは子どもには出来ない
「眉間のシワだけどうにかしてくれたらそれでいいんだ。それなら出来そうだろ?」
「シワなど寄せていない」
「寄ってる寄ってる」
言いながら早速寄っているシワを突っついた。
ついでなのでぐりぐり揉み解してやると、アイザックが私の手を振り払う。
「こら、やめろ」
「君みたいな万人に対して人当たりが悪い男が、特定の相手にだけこのマリアナ海溝くらい深い眉間のシワを緩めるわけだ。たぶん勘のいいあの子ならそれで十分理解できる」
「そう言われても」
「ほら、また寄ってる」
「ぐ、」
逃げられないようにヘッドロックの要領で首を捕まえて、親指の腹で眉間のシワを押し広げる。
抵抗とも呼べない程度のか弱い力でじたばたしていたアイザックだが、やがて観念したのか大人しくなった。
眉間のシワの凹凸がなくなったのを確認して、彼を解放する。
妙にげっそりしてやたらと長いため息を吐いてはいるが、眉間のシワは消失していた。
「ほら。その方が男前だ」
「……お前は、いつまで経っても子どもだな」
「人生長いからね。今から大人になっていたらこの先大変だぞ」
この世界の平均寿命とか知らないが、どう見てもおじいさんといったビジュアルの学園長はピンピンしているし、私のお祖父様もお祖母様も健在だ。
50、80喜んで……の80は言い過ぎにしても、60、70くらいは生きていく可能性がある。
そうなると私はまだその三分の一にやっと足を掛けたところである。
逆を返せばこれから先、これまでの二倍の長さを生きていくのだ。
その期間ずっと物分かりの良い大人としての人生を送っていかなければならないのかと思うと、眩暈がしてきそうだ。残念ながらまだそれほど人間的に成熟していないのである。
現在の私は花も恥じらう22歳。前世だったらまだぎりぎり大学生でもおかしくない。大学生と言えばモラトリアムの真っ只中だ。
それならば、もう少し子どもでいたっていいだろう。
少しくらい子ども心を残していても咎められる謂れはないはずだ。
だいたい「童心に返る」というのは子どもには出来ない行為である以上、たまに子どもに戻ったように振舞うことこそが真に大人らしい行動と言えるのではないだろうか。知らんけど。
なお、この際前世から通算したらモラトリアムどころではないだろうことは差し置くものとする。
嘯く私に、アイザックがふっと口元を緩ませた。
その表情がまるで乙女ゲームのスチルのような見事なものだったので、思わずぱちんと指を鳴らす。
「それだ」
「は?」
「ほら」
アイザックの肩を掴んでリリアの方に向きを変える。
アイザックがこちらを振り向こうとするのを、後頭部をがっちり掴んで阻止する。
「その顔でリリアの方を見る」
「どの顔だ」
「今どうなってる?」
「眉間どころかしかめっ面です」
「おい君ちゃんとやれよ」
「だから何の話だ」
ため息をつきたいのはこちらの方である。
やれやれ、眉間に皺を寄せないだけのことが何故こうも難易度が高いのか。
後頭部をがっつり握られているからだろうか。
ただ指摘するだけではどうにもならないなら、致し方ない。何かトリガーを見つけて正しい眉間の位置の感覚を体に覚えさせるのが簡単だろう。
何なんだ、正しい眉間の位置って。デフォルトがシワが寄っている状態の方がおかしいだろうに。
一般的に眉間のシワがどんな時に緩むだろうかと思考して、提案する。
「ほら、何か楽しかったこととか思い出すのは?」
「楽しかったこと……」
「あ、ちょっと緩みました」
「読んだ本が面白かったとか、仕事がうまくいったとか、訓練場の書類が期限通り出てくるとか」
「ダメでした」
「何でだよ」
「想像力の限界だ」
「次からちゃんと間に合うように出すって」
グリード教官が。
というかやはり私が来る前からまともに期限を守っていなかったんじゃないか。
それならきちんと特殊な訓練を積んだアイザックの監督の元で提出している私はマシな方なのではないか。
まぁこれから時間をかけて仕込んでいこうと、アイザックの後頭部を解放する。
ほっと息をついたアイザックの顔を見ていたリリアが、つーっと視線を私に向ける。
「ていうかエリ様、一回いいですか」
「何?」
リリアが一瞬黙った。
その沈黙の間に、大きく息を吸って、そして。
「距離感が!! バグってるんですよ!!!!」
叫んだ。
声が大きすぎて、城の侍女たちが一瞬こちらを見てから、見てはいけないものだと判断してそそくさと去っていった。
「なんかもう最近怖いんですよエリ様。わたしがいないところで散々このパーソナルスペースの狭さでやってきたからこその今のこの大惨事なんだと思うと」
「大惨事って大げさだな」
「し、知らぬが仏~!! ていうかむしろ鬼、足軽、人でなし~!!」
「だから足軽は貶してないって」





