92.私を何だと思ってるんだ
いや、いくら乙女ゲームが終わったとはいえ、リリアは主人公だ。
ロイラバは無印も2も平和な世界で、ピンチはあれど主人公が死ぬルートなど存在しない。
2にも無印の主人公が匂わせ程度であるが出てきている以上、こんなところで彼女が死ぬはずがないのだ。
だいたい、自動復活とかいうチートはどうしたのだ。まだ使ったことはないと言っていたが、リリアの大聖女の力は本物だ。使っておけばたとえ死んだとしても生き返る。
そう。いくら考えても、ここでリリアが死ぬ展開などあり得ない。
息をしていないとかいうのも、私の勘違いか、リリアが悪戯で息を止めているか、そんなところだろう。
死んでいるわけがない。
死ぬはずがない――のだが。
横たわるリリアを見る。頬に触れる。
顔色は紙のように青白く、その頬はひやりと冷たい。
――ああ、もう。
死ぬはずがないのだから、息をしてくれ。
横たえた彼女の額に手を添える。顎を指で持ち上げ、気道を確保した。
そして自分の呼吸を落ち着け――心肺蘇生を開始する。
胸の上、胸骨の下側中央に右手掌底を当てる。上から左手を重ねて、指を組んだ。
手のひらと肩が垂直になるようにして、真上から胸が4~5センチ程度沈むように、体重を加えて圧迫する。
「ぶごはぁッ!?」
一撃でリリアが覚醒した。
ふっと肩に入っていた余計な力が抜ける。
なんだ。死んだふりか。
「た、タンマタンマ! エリ様の力で押したら折れますって!」
「心臓マッサージは肋骨折ってでもやるものだよ」
「肋骨どころか背骨が折れますよ!」
げほごほ咳き込みながら抗議するリリアだが、文句を言いたいのはこちらである。
腕を組んで、彼女の顔をじろりと睨む。
「このタイミングで死んだフリするとか。趣味が悪いよ」
「だってぇ、……人工呼吸とかして、もらえるかなって……」
「しません」
リリアを放置してすっくと立ち上がった。
人工呼吸、実はドラマやアニメで見るほど簡単ではない。
素人がやっても失敗することが多いので、それよりも胸骨圧迫を途切れずに続ける方が効果的なこともあると聞くくらいだ。
人命救助のために最も生存率を上げられそうな選択をしたのだから、文句を言われる筋合いはない。
「うう……エリ様からマウストゥマウスしてもらうチャンスが……」
「心配して損した」
しょうもないことで項垂れるリリアに、やれやれとため息をつく。
たとえ口と口が触れ合ったとて、ただの救命行為だぞ? それで嬉しいのか? 死んだフリをするほど?
あと普通に息が出来ているところにさらに空気を送り込まれたら、それこそ咳き込んでしまってそれどころではなくなる気がする。
がっくり肩を落としていたリリアが、がばりと顔を上げて私を見上げる。
「し、心配してくれたんですか!?」
「君、私を何だと思ってるんだ」
また呆れてしまった。
西の国へ彼女を連れてきたのは私である。しかも、半ば無理やり。
それで何かがあったら、さすがに寝覚めが悪すぎる。
心配して何が悪い。
もはや呆れを通り越して怒りが湧いてきてしまった。座りこんだままのリリアを放置して、踵を返す。
「もういい。置いて帰る」
「えっ」
「さ、行きましょうマリー殿下」
「ちょ、え、エリ様!? やだ、ほんとに怒ってます!? ねぇちょっと!!」
「ああもう、いちゃつかないでよ!」
いちゃついていない。
マリー王女は私とリリアを交互に見て、そしてリリアに向き直った。
「あんた、分かってるの!? この人、お、女なのよ!」
「はい、知ってます」
「知ってるの!?」
マリー王女が素っ頓狂な声を上げた。
そんなに驚くことでもないだろう、と思う。
私がお兄様のフリをして、ダイアナ王女を騙すことが目的だとすれば……ディアグランツ王国の人間は全員グルだと考えるのがむしろ自然なのではないだろうか。
マリー王女が戸惑いに金色の瞳を揺らしながら、小さく、呟くように問う。
「知ってても……好き、なの?」
「はい、好きです。超好きです、大好きです」
「女の人、でも?」
「はい」
マリー王女の問いかけに、リリアが即答した。
何故そんなことを聞くのかと言いたげな早さだった。
大丈夫だろうか。第一王女を腐女子にしてしまった挙句、第二王女まで何らかの「癖」に目覚めさせる気じゃないだろうな、このトンデモお騒がせ女。
「そこも含めて、好きなので」
「…………そう、なのね」
「ね! エリ様!!」
リリアがぐるんと首を回してこちらを向いた。
私は自分の指の爪を眺めながら、答える。
「え? 何? 聞いてなかった」
「ガッデム!!!!!!」