15.泣かれると、どうしてよいか分からない
昼にも1話更新しています。
まだの方は1話前からどうぞ。
中心街に近くなったところで、お兄様に肩を叩かれて立ち止まる。
「ここまで来ればもう急がなくても良いと思う。僕は降りて歩くよ」
「そうですか? もう遅いし、このまま私が走ったほうが速いと思いますが」
「妹に背負われているところを見られたら、いよいよお嫁に来てくれる人がいなくなってしまうよ」
「今更ですね」
本当に今更だと思う。
そのくらいで嫁に来るのを嫌がるような女性は端からお断りしてよいと思うのだが。
「あ、あの、じゃあぼくも……」
身じろぎをしたクリストファーの肩を、お兄様がそっと押し留める。
「たくさん歩いて疲れたでしょう? もう少しそのままでいたら? ね、リジー」
「私は構いませんよ」
クリストファーは困ったように私とお兄様を交互に見上げていたが、諦めたのかおとなしく私の胸に体重を寄せた。
「大冒険だったねぇ、クリス」
歩きながら、お兄様がクリストファーの顔を覗き込み、やさしく微笑む。
その声にも眼差しにも、咎めるような色はない。
「まだ小さいのに、こんなところまで一人で来られるなんて。クリスはすごいよ。とても強くて、立派だ」
「ぼくは、その」
クリストファーは、今にも泣き出しそうな顔で小さくなっている。
「……ごめんなさい」
「……ええと。どうして『ごめんなさい』なのか、理由を聞いても?」
優しい兄は、義弟の涙声に些か動揺したようだった。
いつもだってやわらかい声音を、さらに配慮にあふれたものにして、問いかける。
「お、おふたりに、迷惑を、かけたから……ぼくが、勝手に、出かけて」
ぽろりと、大きなはちみつ色の瞳から涙がこぼれた。
一度こぼれたそれは、堰を切ったように次から次へとあふれ出す。
私はまた、「勘弁してくれ」と思った。目の前で泣かれると、どうしてよいか分からない。
先ほど手を引く際に握ったクリストファーの、手のひらの小ささが何故か鮮明に思い起こされた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。お、怒らないで」
「うーん。怒っては、いないんだけど」
お兄様は困ったように笑いながら、クリストファーの頭をそっと撫でた。
「迷惑だとも、思ってないよ。でもね、すっごく心配したんだ。僕も、リジーも」
わずかに顔を上げた義弟の瞳が、お兄様の姿を映していた。彼もまた、どこか泣きそうな顔をしている。
「だから、『迷惑をかけてごめんなさい』も、『怒らせてごめんなさい』も必要ないけれど……『心配かけてごめんなさい』なら、もらっておこうかなって思うんだ」
目を細めて笑うお兄様に、しゃくりあげていた義弟が小さく息を呑んで、ほんの少しだけ頷いた。
それを見て、お兄様はクリストファーの髪をやさしく撫でる。
「今度からは、僕たちに相談してね。屋敷を抜け出すのは得意だから、きっと役に立つよ。リジーはとても強いから、用心棒になるし」
「お兄様、唆さないでください」
私が窘めると、お兄様は眉を下げた。そんな顔をしてもダメである。
危険なことをしたときは、きちんと叱らないと本人のためにならない。
「うーん……どうしよう。やっぱり僕は、誰かを叱るのって苦手だなぁ」
「私が代わりましょうか?」
「そうしてもらえると助かるけれど。でも、リジーはやりすぎそうでちょっと不安かな」
「ぼく」
ぽつりと、クリストファーが言葉を漏らす。
「ぼく、あの。お母様が、生きているって聞いて。それで」
「……そうか。それは、会いたいって思うよね」
お兄様の言葉に、クリストファーは頷く。それを横目に、私はそっと舌打ちした。
おそらく、ゲーム内の回想で出てきた「過去」が今日なのだ。
屋敷に出入りする商人が使用人と話しているのを聞いた、という設定だったはず。今日屋敷に訪れ、噂話をするような商人といえば、おおよそ特定出来る。
もともと我が家と取引したいという店は掃いて捨てるほどあるのだ。上客の子息の噂話を、うっかり本人の耳に入れてしまうような迂闊なやつは、出禁だ、出禁。
何でもないような振りをしていたつもりだが、私が穏やかでないことを考えているのはお兄様にも伝わってしまったようで、ちらりと非難するような目を向けられた。
クリストファーへの態度とずいぶん違うではないか。私の日ごろの行いのせいだろうか。
ダンスの練習相手として倒れるまで回しまくったのを根にもたれているのだろうか。
「でも、お母様は……もう、ぼくのお母様じゃなくなってた」
クリストファーの言葉に、お兄様は目を見開く。そこまでは、お兄様も知らないだろう。
知っていたのはきっと、お父様とお母様。そしてスチルを見たことのある、私だけだ。
「お、お母様……赤ちゃんを、抱っこして……知らない男の人と、楽しそうに、笑って」
クリストファーはまた、ぼろぼろと涙を落とす。
その後の言葉はほとんど、嗚咽になってしまって聞き取れない。
あふれ出る涙を手で拭おうとしているようだが、一向に止まる気配はなかった。やっと聞き取れたのは。
「ぼくの家族、誰も、誰もいなくなっちゃった」
そんな小さな、悲鳴のような呟きだけだった。
その言葉に、お兄様も俯きながら、痛ましそうに胸を押さえている。