第1話ー5
「・・・ユオは、逃げ切れたかな・・・」
イグニスの体が炎に包まれる。防壁を張る魔法だ。辺りが僅かに明るくなる。
その時、教会の中から騒ぐ声が聞こえた。イグニスがいないことに教会の天使や聖職者たちが気づいたようだ。
次々と教会の人間が外に出てくる。そして皆、イグニスに気づいた。ユオを除いて、誰もイグニスが戦闘型の魔法を使えることを知らない。驚愕に染まっていた。
「贖罪の悪魔が逃げるぞ!」
「何としても捕まえろ!」
バレてはならない。逃げられてはならない。その焦りと動揺が、波のように広がっていく。
人数は聖職者が十三人と天使が一人。皆、魔法を使う体制になっている。イグニスはわらわらと集まってくる施設の人間たちを冷ややかに見た。
逃げるつもりなど、初めからない。
「くらえっ!」
雷が飛んできた。が、炎に弾かれて消えていく。イグニスは下に飛び降りると、一人目の聖職者を貫いた。そのまま持っていた燃える刃を投げ、二人目の聖職者の胸を貫く。その聖職者は、胸からメラメラと燃えていった。劈くような悲鳴が、静かな森と海に響き渡る。更なる動揺が、施設の者共に広がっていく。その様子を、天使は眉ひとつ動かさずに傍観していた。
再び、少年の手に燃える刃物が現れる。そして、後ろに跳びのき、飛んできた魔法の刃をかわす。そのまますぐに走り、聖職者たちの中に突っ込んでいった。刃が聖職者たちの肉体を突き刺し、切り裂いていく。イグニスは舞うように刃を振るった。その度に、触れた聖職者たちの体が燃えていく。悲鳴が、幾重にも折り重なっていく。
一人の聖職者が浮遊し、海に向けて手を掲げた。その手には青い魔法陣が輝き、海から水で出来た竜巻がイグニスに向かう。イグニスも浮き上がった。武器を持った両手を後ろに伸ばし、手を離すと刃はイグニスの後ろで浮遊した。イグニスは空いた両手を前に突き出し、竜巻を見据える。そして、両手から凄まじい勢いの炎を噴射した。竜巻に炎が混じり、凄まじい熱とともに海水が蒸発していく。イグニスのところに竜巻が届く頃には、竜巻はただのそよ風と化していた。動揺する聖職者に向けて、炎でできた銃を創り、構える。ダン、と音がするとともに浮いていた聖職者は燃え上がった。そして暴れながら、海に向かって飛んでいく。イグニスはさらに銃を何発か打ち込んだ。すると、その聖職者はもがきながら墜ちていった。残念ながら、海には届かなかった。
残った聖職者は五人。天使は相変わらずこの光景を余裕そうに眺めている。
残りの聖職者たちはもはや逃げ腰だ。最早勝てない、と察したのだろう。走り出そうとした。が、イグニスが指を鳴らすと、聖職者たちの周囲が炎で包まれる。悲鳴と嘆く声が、イグニスの冷たい心に響く。イグニスは開いていた手を握りしめた。すると、炎の円が一気に閉じた。中で、聖職者たちが燃えていく。炎の音に、燃える彼らの悲鳴がかき消される。
と、イグニスは背後に気配を感じた。がすでに遅く、イグニスの背に大きな傷ができた。振り向くと、天使の男が剣を持って浮遊し、イグニスをニヤニヤと見つめている。
「なかなかやるじゃないか。戦ったことのない子供のくせに、なあ?」
そういうとやれやれと身振りをした。
「ああ、なんてことだ! 十三人もの尊い命が失われてしまった!」
わざとらしくニタニタと言う。
お前が僕を早々に殺しておけば、死ななかっただろうに。イグニスはそう思いながら、背中に癒しの炎を灯し、再び刃を握った。
「いいか、勘違いするなよ。お前は確かに五段階目の悪魔だ。そりゃあ、魔力も膨大だ。うんうん。体も小さく、すばしっこい。皆、不意をつかれたのだろうなあ」
そして、汚い笑い声を漏らした。かつての、イグニスの両親に似ていた。人を見下す時の声だ。
イグニスが黙ったまま天使を睨んだ。ユオからの情報が正しければ、この天使を殺すと・・・正確には彼の持っている宝石を破壊すると、その魔力がイグニスに吸収される。まあ、聖職者たちの魔力もイグニスに流れているのだが、天使の魔力に比べると微々たるものだろう。
彼が余裕綽々なのは、何か策があってのことなのか、それとも現実を甘く見ているだけなのか、それともイグニスが何かを見落としているのか。イグニスは注意深く刃を構えた。
天使は足元に向けて手を伸ばした。すると、浮遊する天使の足元に白く輝く魔法陣が浮かび上がり、ぐるぐると回り出した。魔法陣の光はどんどん増していく。
「俺に楯突いたこと、後悔するといい。はあぁあああ!」
イグニスは冷たい目で天使を見た。そして光の速度で近づくと、容赦無く両手の刃を腹と胸に突き刺した。
そして右手を離し、その手に拳銃を作り出した。そして、天使の宝石に向けて銃を撃った。
「グフッ・・・!?」
足元の魔法陣が消え、光も消える。砕けた宝石から光が放たれ、イグニスの腕に吸収されていく。
イグニスはさらに冷たい目で天使を見た。天使は、ゆっくりと地面に落ちていく。そして地面に着いた天使の元にイグニスは降り立ち、氷点下の声で尋ねた。
「・・・何がしたかったの?」
天使は血を吐きながら、驚愕したような顔でイグニスを見ていた。どうやら、食らいさえしなければ何のダメージもないような大型魔法でも撃つつもりだったのだろう。
「嘘だ・・・こ、っこんな・・・え、・・・冗談だろう」
イグニスは天使の腹に刺さっている刃を引き抜くと、刃についている血を指でなぞり、その血を天使のほおになすりつけた。
「本当。だよ」
天使にはもう宝石がない。つまり、彼はもう天使ではない。ただの人になった。魔力源を失ったため、もし再生魔法を持っていたとしても使うことはできないだろう。
彼は本気で慢心していたのだ。冗談だろう、と言いたいのはイグニスの方だった。
彼は笑おうとしているようだったが、声が出ないようだった。まだ、自分が死ぬと言う現実に頭が追いついていないようだ。あんなに、たくさんの死を見送ったのに、自分の事となるとこうだ。情けないというか、ふざけているというか。この感情を何といったらいいのだろうか。
イグニスは持っていた銃を男の頭に向けた。
「それじゃあ、おやすみ」
乾いた発砲音が響く。男の絶命を確認したイグニスは、森の茂みに向かって声をかけた。
「・・・終わったよ」
すると、茂みの中からユオが出てきた。驚いているような、それでいて納得しているような表情をしていた。
「ああ。さすが、五段階目の悪魔だ。俺にはあんな魔法、できないよ」
そう言うとユオはイグニスに教会へ入るよう促した。イグニスは、黙ったままそれに従った。