第1話ー4
そして、それから十年がたった。少年が、恐らく十三歳になる前日になった。
この十年、大したことは起こらなかった。炎を身に宿す贖罪の悪魔として。そして、仮名を下賜され、少年に傷を癒す能力があると気付いた聖職者と天使が、少年への拷問を日々苛烈にしていった。どうやら一定の年齢になるまで拷問を繰り返し、それがひどければひどいほど、強い悪魔になるらしかった。
そして、この世界には当たり前に魔法が存在しているのだということ、「神」と呼ばれる存在が実在していることを、少年は教わった。
毎日、呪文と激痛の地獄。しかし少年は、日々の痛みの中で、様々な魔術を覚えていった。傷を癒す魔法。体を一時的に頑強にする魔法。空を飛ぶ魔法。他にも、様々な種類の魔法を覚えていった。これらは基本的に、ユオが教えてくれた。すべて炎が基盤の魔法だが、それらすべては少しずつ上達し、それなりの強さにまで覚醒していた。
そして、少年に生きる目的を与えられたらしい雑用のユオは、天使を除いて、教会で一番の古株になった。どうにか、この場を離れたくないとゴネたらしい。そのため、ユオは言葉通り少年を見守り続けた。そして、教会や今の世界の事、魔法の知識などを少年に教え続けた。
少年は夜空を見上げた。いい夜だ。恐ろしいまでに、美しい夜空が広がっている。鮮やかな星々が、少年を見下ろしていた。そしていくつか、ユオに聞いた、この世界の史実を思い出していた。
まず、「神」というもの。これは、少年が転生する前の世界と大分意味が違う。この世界の「神」というのは人間で、世界に一つしかない宗教の長たちの事なのだそうだ。つまり、人間なのだという。
「神」たちはそれぞれ国を持っており、「国民」、「聖職者」、「天使」たちがいるのだという。ということは、「神」は呼び名こそ神々しいが、人間であり国王である、ということだ。そして、神は凄まじいまでの力を持っており、どんな奇跡だって起こせるのだという。
少年は、少しだけ得心がいかなかった。つまりは「現人神」、というわけだ。何だか、かなり不安定で不確かな存在のように思えた。
そして、それに仕えているのが「天使」という存在。「天使」は、人間とは比べ物にならない程の強さを、強い魔力を持った「特別な宝石」という形で神から授けられるそうで、人間なのに人間じゃない、みたいな存在らしい。
大体、一万人に対し四百人程度しかいないのだという。つまりその「特別な宝石」というものを持っているのが、「天使」と呼ばれる存在なのだ。ちなみに、その「天使の宝石」を奪い取ってつけると、その宝石の魔力を使うことができるそうだ。そして逆にいうと、宝石を失った天使は天使としての力を失い、ただの人間になってしまう。
天使は「普通」、「中位」、「上位」に分かれていて、与えられた宝石の強さによって位が分かれている。先程言った四百人のうちに五人程度しか中級はおらず、上級は一人いるかいないか、という程なのだそうだ。ちなみに、十五人ほどしかいないこの施設には、一人「普通天使」が配属されている。
そして、その次に「聖職者」が位置する。彼らは、天使ほどではないものの、一般人よりは格段に強いのだという。一応、一般人からすると「エリート」的な立ち位置にいるそうだ。しかし、一般人に最も近い、下級の聖職者は、場合によっては戦闘や知識において、一般人に負けてしまうこともあるという。ユオは、下級聖職者だ。
そして、神と敵対するものとして、「悪魔」の存在がある。
この世界のエネルギーは光と闇に分かれている。分かりやすく言うなら、表と裏だ。光と闇をそれぞれ基盤にして、風や炎などの属性が存在する。つまり、一枚の板のように、この世界のエネルギーは成り立っているのだ。
皆、ほぼ百パーセントの人間が生まれつき、表のエネルギーである光属性が流れていて、ひょんなことから裏返ると「堕天」となり、闇属性になってしまうそうだ。闇属性に一度なってしまうと、もう二度と光属性には戻れない。それでも、世界の八割は光属性で構成されているらしい。
堕天し闇属性になった人間のうち、一定以上魂が闇に染まり、強力な闇の力を得たものが「悪魔」と呼ばれる、別位の存在へと転化する。悪魔は基本的に人を殺し、騙し、悪魔同士殺しあったり、天使を殺害したりすることになるそうだ。これは世界が、そういう作りになっているからである。
それはどういうことなのか。それは、「悪魔」というものの性質にある。
悪魔は人間や天使、神などとは違い、その身に魔力を浸し、エネルギーの塊のような存在になる。
そして悪魔は「魔物や誰かを殺すと、殺した相手の魔力を吸収する」、という性質と、「死んだ時に肉体から溜め込んだ魔力を解き放つ」という二種類の性質を持つ。
つまり殺せば殺すほど強くなる。そういうことだ。だから悪魔は、殺戮の化身となる。そして、相手が強ければ強いほどより強力な悪魔になれる。
悪魔の強さは五段階あるといわれており、「贖罪の悪魔」は五段階目に相当する。つまり、非常に強力な悪魔である、ということだ。
ではなぜ、教会はこのような危険な悪魔をわざわざ作り出したのか?
先ほど、天使は「特別な宝石」を下賜されることで天使になる、と述べた。では、その「特別な宝石」は、一体何でできているのか。
それこそが、贖罪の悪魔を生み出す理由であった。悪魔は、死んだ時に持っている魔力を肉体から解き放つ。そして、その放出された魔力を魔法陣にて吸収し、結晶化させたものが「天使の宝石」となるのだ。
強い悪魔であればあるほど、その放出される魔力の量は膨大になってくる。そうなると、より強い天使を生み出すための宝石を作るには、段階の進んだ悪魔の命が必要になる。しかし、それほどまでになった悪魔は天使を倒せるくらいには強くなっているだろうし、そもそも生け捕りにしなくてはならないのだ。極僅かな、五段階目まで到達した悪魔を、生け捕りにする。これがどれほど難しく、非効率的であるだろうか。
だからこそ、贖罪の悪魔が生み出される。強力な天使を生み出すために、必要だからだ。つまり、少年のような贖罪の悪魔たちは、ただ殺されるためだけに育成される子供なのだ。
贖罪の悪魔に選ばれる子供は、それなりの特徴を持っている。例えば、少年が贖罪の悪魔として「寄付」されたのは、少年が極稀な生まれつきの闇属性だったからだ。その上、体に特徴的な模様がある。そういった理由から、少年はこの施設に運ばれた。他にも望まずに産まれた子供や、中には家なしの子供をさらってくることもあるという。ちなみに、ある程度成長した状態の子供だと、段階があまり進んでいない悪魔になるそうだ。
そして世界は、この事実を知らない。知っているのは贖罪の悪魔を生み出すための教会に所属している者や神、限られた上位天使のみ。この世界に生きる大多数の人間、天使、聖職者たちはこの事実を知らないのである。
悪魔は弱点を持てない。友人や恋人など、弱みを握られて生け捕りにされてしまえば、拷問されたのち殺されて宝石になる。だからこそ、攻撃的になるという。
そのうえ、一般の人間も聖職者も天使も、闇属性となった人間や悪魔に対し、攻撃的な行動をとるように洗脳されているらしく、闇属性になってしまった人間は肩身狭く生きるほかなく、悪魔になれば世界中の天使や聖職者に狙われることになる。身を守るためにも、そうするほかないのだそうだ。
そして悪魔になった者たちには皆、体のどこかに紋章が浮き上がるのだという。
ちなみに、罪を犯した罪人は堕天していなくても、罪の重さにより儀式で転化させられ、強制的に「悪魔」にされるそうだ。
可笑しな話であった。神は、極上の悪魔を欲していた。
表向きは悪魔を退治する教団側としては、特に「贖罪の悪魔」なんてもの外にばらす訳はなく、秘密裏に行われている・・・いわゆる、裏の仕事という訳だった。教団は、外向きは清浄な組織なのだ。
少年はここいらで考えを止めた。なぜなら、もうすぐ十二時になるからだ。日付が変わるという事・・・それは、少年の死を意味していた。
(・・・・・・きれいな夜だ。)
少年は窓を開け、そこから空に向かって飛び出した。そしてそのまま宙を飛び、教会の三角屋根の上に飛び乗った。
そして、一つ呼吸をした。少年の胸は、微かに高鳴っている。
「・・・さあ、終わらせよう」
少年は両手を微かに挙げた。すると、そこには赤黒い炎を纏う、一対のナイフのような炎が現れた。刃渡り三十センチないくらいの刃だ。
ユオにはもう、逃げてもらっていた。この日を、ずっと待っていた。
右腕が明るく輝き始める。まるで、炎を灯しているかのようだ。光はどんどん強くなり、やがて収まった。そこには黒く、しっかりとした線で描かれた悪魔の紋章が現れていた。少年は、悪魔に転化したのだ。
そこには悪魔としての名が記されていた。
「イグニス」と。