第1話ー9
ユオは受付の女性からもらった地図を見ながら言った。
「居住区は・・・向こうの端の方だ。やっぱり、どこの居住区も端っこだよなあ。それもそうか。うん・・・」
ユオはイグニスの視線に気がついて、少し寂しそうに笑った。
「そうなんだ。俺は闇の居住区出身でね。・・・闇属性の親から生まれた子供は、光属性の親が生んだ子供と同確率で光属性が生まれる、って話はしたね」
イグニスは頷く。
「俺はここじゃない遠くの、王国にあった居住区の生まれでね。皆、毎日を生きるのに必死だった。三日四日、食べるものがない時もあった。皆飢えていた。毎週、誰かがやってきて、毎週、誰かがいなくなった。売り飛ばされた子供も、飢えて死んだ大人もいた。それでも、皆毎日必死に生きていた。・・・生きていたんだ」
そういうとユオは辛そうに目を細めた。
「「浄化」・・・という名の、皆殺しがあったんだ。家は焼かれ、光属性の子供は連れ去られ、その他の全員が殺された。・・・あの時の、遠くから聞こえる悲鳴と絶叫を、今でも覚えている。俺が闇属性にならなかったのが、不思議なくらいだ。だが、闇堕ちした他の子供がどうなったか・・・。考えるまでもないか。俺が実際、やっていた事だからな。俺は光属性だったから教団に拉致されてまあ、このザマだ。君と出会った時間も含めてだいたい、二十二年間か。ずっと雑用の毎日だった」
ユオは悔しそうな、もどかしそうな目で地図を睨んだ。
「・・・なあ」
呼びかけに応じ、イグニスはユオの顔を真っ直ぐ見た。その、辛そうな顔は変わらない。
「間違ってるよな。この世界。闇堕ちした人間は、何も皆悪い人間だったわけじゃない。ただ現状に絶望して、ただ何かの歯車が食い違って、それで・・・苦しんで、闇に堕ちた人もいる。それなのに・・・」
イグニスは先程の、荷物を運んでいた御者を思い出した。
「ああやってさ。臭いものに蓋をして。闇に堕ちて苦しんでいる人たちを迫害して、隅に追いやって。・・・元々、虐められて闇属性に堕ちた人間もいる。虐めた奴らは皆、光属性のままだ。虐待された子供、虐められた人間、村八分にされた人、仕事に追われる大人。確かに泥棒をして闇に堕ちた人間もいる。人を殺した人も、強盗になった人も。確かにいる。だが、それが全部じゃない。むしろ、少数派なんじゃないか、とすら思う」
二人は歩き出した。闇の居住区へ向かって。
その道中にもユオは話を続ける。
「そんな彼らを捕えて悪魔にするために拷問して・・・悪魔になって絶望したら即、宝石だ。こんなのってないよな・・・」
ユオは力なく笑った。
「この事実を世界の殆どの人間は知らない。特に一般人、天使たち・・・光を生きるものたちは。あの天使の宝石が元々は人間だなんてさ」
だんだん居住区が近づいてくる。
「当然、闇属性の人間も悪魔も、知らない奴は知らない。だから、自分たちの命の本当の価値を理解していない。なんでこんな居住区が許されているのか、その理由も。・・・皮肉なもんだよなあ・・・」
その後、二人はしばらく黙ったまま歩いた。そして、ついに居住区へとやってきたのだった。
居住区に入ると、一気に人の視線を感じた。そして、ひそひそと小さな声が響く。イグニスは、口元を布で覆った。
と、何か野草のようなものを持った笑顔の子供が二人駆けて来た。イグニスは、ユオが警戒態勢に入って荷物に注意を払い始めたのに気がついた。よく見ると、子供の一人は片手を後ろに回している。
「やあ、お兄さんたち! どうしてここまで来たの? 教会の人?」
ユオは形だけの笑顔で答えた。
「いいや、違うよ。俺たちは冒険者で、依頼をこなすためにやって来たんだ。残念だけど、その野草は買い取らないよ」
すると、子供の表情が一気にふてくされたものになった。
「なあんだ。「わかってる人」なんだ。残念。じゃ、何かちょうだいよ。お腹が空いて仕方ないんだ」
片手を後ろに回した子供がそっとユオの背にある荷物に近づいている。イグニスは黙ったまま、脅すように燃える刃を出した。
すると、その子供は怯えたような顔をして後ずさった。
イグニスはもう一人の子供の表情を見た。明らかに青ざめている。
「あー・・・あのね! その・・・やっぱ、なんでもないよ! ひ、引き止めてごめん! ジョエル、行くよ!」
「う・・・うん・・・」
二人の子供は走って逃げていった。イグニスは、手に持っていた刃を消した。
ユオはふっとため息のように息を吐いた。
「・・・ありがとう、イグニス。でも、油断はしちゃいけない。彼らは、俺たちを敵か、カモだと思っているからね」
そう言うとユオは迷いなく歩き出した。まるで、依頼主がどこにいるのかわかっているかのような足取りだ。イグニスも辺りに注意を払いながら後を追った。
奥の方は闇市で賑わっていた。まあ、賑わっているといっても比較的人が多く集まっていてざわついている、というだけで、表より人が少ないことに変わりはない。
女性が声を掛けてくる。
「お兄さん、ヒマしてない? よかったら私と遊びましょうよ。そこの坊やも」
ユオは作り笑いを浮かべながらべったりとへばりついた女性を押しのける。
「いいや、忙しいんだ。悪いが、仕事があってね。離れてくれるかい」
女性は残念そうに離れていった。
「お仕事終わったら・・・ぜひ声を掛けてね。サービスしちゃう」
ユオは相変わらず作り笑いを浮かべている。
「さあてね。それじゃ、失礼するよ」
ユオは再び歩き出した。イグニスに小さな声で話しかける。
「・・・居住区でははっきりと断るんだよ。じゃなけりゃ、隙を突かれて取引をすることにされてしまうし、ぼったくられるからね」
イグニスは頷いた。
そして少し歩くと、人が減っていった。少し大きめなボロ家に着く。まあ、ボロ家とはいえ他の建物よりはずっと豪華だ。
ユオはその家の扉を叩く。
「依頼で来た。手紙を届けに来たよ。開けてもらえるかい」
すると、中から三十代くらいの美人な女性が出てきた。
「見せてみな」
それだけ言うと、ユオの差し出した手紙をひったくるように取り、宛名をじっと見た。
「・・・間違いないね。あの子の手紙だ。どれどれ・・・」
女性は封筒を開けると、中の手紙を読み始めた。厳しい表情が、穏やかなものに変わっていく。
「・・・そう。あの子は元気なんだね。良かった。・・・あの子は、優秀な子だから・・・」
女性はユオをイグニスを見ると、クイっと顎で示した。
「入んな。あんたらに依頼を頼みたいんだ」
「いいだろう。・・・行こう」
イグニスは頷いた。そして、女性の家に入った。
「あなたは・・・多分、この居住区で一番偉い方ではないか?」
入るなり、ユオが真っ先に聞いた。
女性はちぐはぐな椅子に座った。二人にも、座るように促す。
「そうだよ。あんた・・・全然動じないね。スラムに慣れてんのかい?」
ユオは頷いて、それから首を振った。
「・・・俺は光属性だが、違う国の居住区の出身だ」
女性はけらけらと笑った。
「どうりで動じないわけだ。大体のルール、わかってたんだね。そっちの子は・・・」
そう言うと女性はイグニスをじっと見た。探るような、そんな目だ。
「闇属性だろう。いいやむしろ・・・悪魔、じゃないかな?」
ユオは首を横に振った。
「いいや。・・・どうしてそうだと言い切れる?」
女性は笑った。
「あたしは大体の人の魔力を感知できるんだよ。それだけの強い魔力を持っているのは悪魔くらいだ。ここじゃ隠さなくていいんだよ。誰も聞いてないし」
ユオは何も答えない。正確に明言するつもりがないようだ。
すると女性はユオに顔を近づけて、小声で言った。
「・・・「贖罪の悪魔」・・・じゃないかい?」
ユオがかすかに動揺する。女性は再び笑った。
「だよねえ。その年で悪魔だなんてさ。生き残った贖罪の悪魔なんて初めて見たよ。噂だけの存在だと思ってたけど・・・実在するんだね。残酷なことだよ」
ユオはため息をついた。
「随分詳しいんだな。ここの居住区の人間は、贖罪の悪魔の存在を知っているのかい?」
「いいや。多分、知ってるのはあたしだけだよ」
そこで女性は思い出したように手を打った。
「そうだそうだ。依頼だったね。ちょっと待ちなよ・・・」
そう言うと古そうなペンと、乾きかけのインク瓶を取り出して、先ほどの手紙の裏面に文字を書き始めた。
・・・5分くらい経っただろうか。二枚あった便箋の裏側が、全部文字で埋まった。
「これを、この子に届けてくれるかい。名前はレイラ。この街で一番大きな屋敷で、黒魔道士として働いているんだよ。この依頼の料金はこの子が払ってくれるだろう。・・・頼んだよ」
そう言うと女性は、寂しそうに笑った。ユオは黙ったまま女性を見た。
イグニスはなんとなく察した。きっと、「この居住区にいるみんなは元気だ、安心しな」と書いてあったが、それは嘘なんだろう。ユオの話が正しければ、何人も死んでいるだろうから。精一杯の応援、というやつなのかもしれない。
「それじゃ、頼んだよ」
そう言うと女性は棚から酒を取り出し、飲み始めた。ユオとイグニスは立ち上がると、女性の家を後にした。




