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   感情の天秤

 


「まあ――飲まなくても良いから付き合ってよ」



 置かれたカップに手を伸ばす、この身体でも香りは感じる事ができる。

 紅茶の香りを嗜みながら、クリストフはハインツを見た。

 少し、顔が疲れているようにも見える。今日は一体、何の用でここに来たのだろうか。ヴィクトールもハインツも、時間を見つけてはここに足を運んで来るのだが、執務は大丈夫なのか少し気になってくる。



「ヴィクトールから手紙が届いているはずだ」



 じっとハインツの顔を見て、今朝方城の、それも王太子の担当の侍従がご丁寧に持ってきた手紙を思い出す。

 くだらない内容だ。わざわざ側付きの侍従が持ってきたのだから、どれだけ重要な手紙かと思えば……。



「確かに届きました。侍従が私に手渡したと報告を受けているのでは?」



 昨日の今日、ではなく今日の朝だ。急ぎにも程がある。



「侍従を使ってまで届ける内容とは思えないのですが」

「……内容単品なら、そうだろうな」



 何かを抑え込むような声色。



「付随する何かがおありで?」

「ある、と言えばある」



 ハインツの歯切れが悪い。一度ちらり、と応接間の扉に視線を向ける。



「彼女ならもういません。今はキッチンに出入りしていますよ」

「……君のその力は便利だね」



 困ったように眉尻を下げ、ハインツはクリストフを見た。こちらに視線を向けていても、どこか泳ぐように宙をさ迷っている。

 ――境遇と引き換えに得た力を褒めるのに、抵抗があるのか。



「ハインツ。あなたも魔法使いになってみますか?」

「自分の身体を研究できるなら」



 即答だ。根っからの研究者気質だと、クリストフは思う。



「あ、うん。なんと言うか、すまない」

「急に謝られると戸惑うのですがね」

「いや、別に君を解剖してみたいとか、そこまでは思っていないからな」

「なるほど。知識の塔の連中は、私の腹を捌いてみたいと?」



 嗤うように言ってみれば、ハインツが体を硬くする。

 あそこはまさに研究者たちの塔だ。賢人すらも集う場所は、秩序ある無秩序が支配する。ある意味で、法の及ばぬ世界。



「自分が魔法使いになれば、きっと調べる。が、友人の腹を捌く気はない」



 ハインツが居ずまいを正すように、一度咳払いをした。



「すまなかった。君に無神経なことを言った」

「……私は冗談で言ったんですが。ハインツは昔から真正面から受け取りすぎです」

「自分を利用した冗談はやめてくれ、本当に」



 がっくりとうな垂れるこの友人は、身近なことではとたん疑うことをしなくなる。

 研究の結果は、たどった過程を正しく見せ付けると言っていたし、ヴィクトールの相談役のような事をしてからは、最初から裏の裏を疑ってかかる。

 そんな生活を続けていった果てに、行き着いた境地――らしい。



「こちらこそすみません。今度は分かりやすい冗談を考えておきます」



 急に世界に引き戻される。彼らはいとも容易く、クリストフをこちら側(・・・・)へと連れてくる。割り切って、仕舞い込んだもの(・・)がそろりと顔を覗かせる。

 本来なら、こうして話している自分の姿は違うはずなのに。


 ぞわり、と腹の奥底深くから何かが頭をもたげてくる。

 完全に切り捨ててしまえばいいのに。そうすればこの感情の天秤とも離れられると言うのに。人の世界と、異形の世界は交わることなどありえないのだから。



「はあ、話を最初に戻そう。ヴィクトールの手紙の話だが、受ける気はないかい?」



 ――何故こんな話を持ってきたのか。


 膝の上で手をきつく握り締めている、ハインツを見る。


 ――ああ、裏の裏……か。


 ヴィクトールが持ってきた話だ。裏が無いわけがないのだ。

 そしてハインツはこの話に、恐らく、納得してはいない。

 巻き込むのは、自分の異形に(・・・)関係していない第三者。



第二(・・)がまた、何かで遊ばれたのですか?」

「それに答える前に、一つ、訊きたいことがある」



 真っ直ぐに視線を向けるハインツに、クリストフはわずかに首を傾ける。元の姿ならば瞬きなどの表情で、相手にこちらの動きを見せることも出来るが今は無理だ。



「まだ覚えていると思うが、現在進行形で外交問題になっている、国境付近で起きたヴェルツェル国外交事務官の代理が乗った馬車襲撃事件のことだ。僕が訊きたいことは一つ。なぜ、君が(・・)あの場所にいたのか、だ」

「まだ、記憶操作(・・・・)は上手くいかなくて、よく調べましたね 」

「つまり現場にいたんだな。なんでまた昼間に、あの場所にいたんだ」

「大したことではありません。事件の前日、沈むのにちょうど良さそうな水路を探していたら、そういった(・・・・・)人間を見かけまして。ほら、私たちは分かるじゃないですか? それで話を聞いて現場に行ったらあの事態に」



 嘘は、何一つ言っていない。水路にそって歩いた先で裏社会の人間を見かけた。その中で知ったのは、他国を巻き込んで自国に不利益を与えようとするものだ。



「どうして一言……こっちに言ってくれてもよかったじゃないか」

「時間的に裏づけ調査が出来ませんでしたし、近衛としての資格は返上といった問題からです。今はお伺いすら立てられないでしょう?」

「……時間については仕方がないが、ここで一般常識を出すか、普通。一応の侍女はいるんだ、メモなり何なり出すことだって出来ただろう?」

「城にこもっていたあなたの手元に届くまで、中身が見られない保障があるなら」



 はっきりと言うクリストフに、ハインツは口ごもった。あの侍女は確かに仕事に関しては有能だと思う。だが、あの第二王子のお手付きなのだ、城に上げて道中何もないとはいえない。

 そもそも連絡できる相手の居場所が城と言うの問題だった、二人揃って城に引きこもるとはどういう訳だ。



「せめてハインツは、まめに侯爵邸に帰っていてほしかった」

「……それはすまない。最近第二(・・)の問題で時間が惜しくて」

「屋台の娘に手を出したとか、大衆酒場の客たちが盛大に騒いでいましたよ」

「その罵倒は、ヴィクトールの耳には入れるなよ」

「民の噂ですよ。率先して殿下の耳に入れる気は、今の私にはありません」



 ――ハインツの顔色からして、事実なのだろうが。


 あの大衆酒場に入るのは、ハインツには荷が重たいだろうな。きっちりとしている分、ああいった色々な物が緩い環境は馴染めないだろう。



「分かった。クリストフ、報告書を上げてくれ。届け先は侯爵邸の方に。執事に話は通しておく」

「了解しました」



 おそらく冷めてしまっているだろう紅茶に、ハインツは口をつける。場の仕切り直しといった所か、眉間には相変わらず皺が寄っているが。



「質問に答える。第二が遊んだ何か、ではない」

「つまり、処分場目的ではないと?」

「お前な、相手が貴族令嬢なのに処分場とか言うな」

「いえ、他に適切な言葉がなかったもので」



 今まで、第二王子がやらかした結果を見れば否定できない。傷物にされた令嬢たちの行き先は、ことごとく事故物件の男たちばかりだ。邸内で冷遇されるだけならまだましだが、一部にいたっては嗜虐を受けている者もいると聞く。

 第二王子側でないにしても、行き先がヴィクトールの派閥の家になっただけで、クリストフも立派な事故物件だと自認している。それだけに、あの手紙にあった名も知らぬ令嬢に同情してしまう。



「あまり自分を卑下するな、クリストフ」

「化け物に妻は不要です」

「……ヴィクトール王太子殿下の勅令にしたいのか?」

「相手の令嬢やその家族が納得しないのでは?」

「時間をかけて説得するつもりだ。だが、クリストフ。命令ならば結婚するのか?」

「今は殿下の近衛ではありません」

「だがレーベンタール(このくに)の貴族ではある」



 ――いっそ命令をしてくれればいいのに。


 そんな心境にクリストフは苦笑する。相手になるであろう名も知らぬ令嬢のことを、何一つ思っていない身勝手な考えに。

 そう言えば、あの馬車に乗っていた娘はあの後どうなったのだろうか。ふと、クリストフは思い出した。


 確か、イレーネ・ブランケンハイムだったか。ヴェルツェル国外交事務官と同じ家名を持つ娘。本来あの馬車に同乗していたのはルトガー・ブランケンハイム氏と、二名の部下だったはず。なのに出てきたのは身内と思しき娘が一人。

 弟一家が代理として乗っていたのをクリストフが知ったのは、事件の後だった。



「なら言い方を変えよう、クリストフ。令嬢の保護のために結婚してもらう」

「殿下の命令ならばこちらに否なはありません。保護、とは?」

「不確定要素もいくつかあるが、その令嬢は事件に巻き込まれ命を狙われている可能性がある」



 ――不確定要素? と、クリストフが小さく呟く。



「屋敷に住み始めてから、使用人が次々と死んでいる。おかしいと思うだろう? 事件に巻き込まれた令嬢は、本人も気が付かないうちに、犯人たちにとって見られたくないものを見たのかもしれない」

「重要人物といったところでしょうか」



 見られたくないもの……ありえそうな事でもあるが、ならばなぜ使用人を殺害するという回りくどい方法をとるのか。直接その令嬢を始末するほうが、はるかに楽だとクリストフは思う。



「そのこともあってか、年頃の娘だと言うのに気味の悪い噂が付いてしまっている」

「なんです? あの屋敷には死神が住んでいる、とでも言われているとか?」

「いや――令嬢は、死人姫……そう呼ばれている。周りの人間が次々と命を落とす、死を招く娘、だから死人姫」

「……死を招く娘」



 以前のクリストフならば、そう呼ばれている令嬢の境遇に対して憤る言葉を出していただろう。

 けれど、今は違う。

 死を招く娘とは、一体どんな人物なのだろうか。

 この不死の身体となった自分を、死へと誘ってくれるというのか。


 ――死ねる。


 そう、今度こそ(・・・・)死ねるかもしれない。

 酷く、それは焦燥のようにクリストフの心を揺さぶった。


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