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   かつての場所

 


 そして今、死ぬための方法を模索して生きている。

 実に皮肉なことこの上ない。生きている理由が死ぬ方法を探すため。それはまったく意味のないことだというのに。人が生きているのであれば、遅かれ早かれ死は必ず訪れる。けして逃げることなどできない、終わり。神に祈ろうが、どれ程の金貨を積もうが避けられないそれ。

 肥えた権力者が喉から手が出るほど欲しい不死を、クリストフは持ってしまった。


 仕える者を護るために死ねればどれ程良かったことか。

 今はただただ無意味な生にしか、クリストフは感じられなかった。仕事人間だったとは思っていない。仲間とともに主を護り、職務から離れれば時に他愛もない会話に興じることもある。誰しもが進むことができたであろう、普遍な生き方。


 クリストフは父の顔を思い出した。

 前に会いに来たのはいつだったか。父は恐らく、凡庸な男と言えるだろう。他の貴族に比べれば驚くほど欲がない。その父はこの一件で、幸か不幸かオストヴァルト侯爵家と近しくなった。

 自分がここで過ごすようになってからたった一度、父と会った。表情を硬くした父が言ったことは、自分を心配していること、あとは延々と胃が痛い思いをしているとクリストフに話した。


 品行方正、清貧などと言われてもなんらおかしくない父は、とたん家格が上過ぎる貴族との付き合いに神経をすり減らしていたらしい。周りからは意味もなく妬まれるなど、実の息子に話すことではないだろうと呆れながら聞いていた。

 そんなことを何の気なしにハインツに話したら、ハインツ手製の胃薬が届いたと手紙が来た。嘆きのような内容だったな……。今までは目立つことのなかった父には、耐え難い事態なのだろう。

 その父が、王家に抗議へと上がったのだから、自分の一件が父にとってどれだけ大きな衝撃だったのか、推して量れる。


 ――そう言えば、王族の誰に父は会ったのだろうか。


 順当に行けば、主人であるヴィクトールなのだろうが……。クリストフは母から父の抗議の話を聞いただけで、詳細までは問えなかった。


 ――ハインツなら知っていたのだろうか。


 ヴィクトールのハインツへの信頼は、最早側近とほぼ変わりない。付き合いが長いが故に、茶飲み話の合間に愚痴すら聞かされているのは知っている。

 羨ましい……のだろうか。この姿に感覚がかなり変わっている自覚がある。容姿に対する感情はそぎ落ちてきているが、この日々の歩には渇望のようなものが止め処なく溢れてくる。

 生きているのだ。その生命(いのち)の足掻き。死にたくてたまらない生き物の――叫びにも似た何か。


 今が平穏な世でなければ、少しはこの生に使い道があったのかもしれないが、残念なことに今の世でするべきことなどない。互いの足の引っ張り合いや、見得のために着飾るぐらいで。

 ……何かを挙げろと言うのなら、たった一人の問題児ぐらいだ。それが手を出していい相手ではないのはクリストフも理解している。

 でも、時々思うのだ。王族への不敬、それも殺害は、この上なく甘美な言葉であると。どれだけ家格が上だろうが、どれだけ人格者だろうが、行き着く先はすべて同じ。断頭台の上である。


 ただクリストフは動けばいいだけなのだ。誰も見咎められることなく王城へと侵入することなど簡単だ。あの第二王子は離宮だろう。きっと、国王陛下の妾を後宮から連れ出して楽しんでいることだろう。慌てることはない、前後不覚になった()の首を、自分はそっと絞めればいいだけ。

 誰にも気付かれない自信はある、この身は好都合なことに音が立たない。何しろ人間ではないのだから。だから、もし、それを(・・・)行動に移してもいいと、誰かが――誰かが言ってくれさえすれば……。


 この期に及んで自分は命令(・・)を求めてしまう。根っからの兵士であること喜ぶべきか、意気地の無い己を嘆くべきか。

 どちらにしろやはり自分は主を求めてしまうらしい。己の主の命令通りに、この屋敷に閉じこもり、ただ無為に生きている。


 だと言うのに――。外を、人を、人としての感覚に手を伸ばそうとしている。己の生命(いのち)を絶とうとすることも、第二王子をこの手に掛けようと欠片でも思うことも――元をたどれば、たった一つの感情に突き当たる。

 望まず離れた元の場所、今の姿形になった元凶の人間。


 ――ああ、やはり自分は憎いのだ。


 恐ろしいほど醜い感情。嫉妬や腹を立てることはあっても、人を手に掛けたいと思うほど強く、持ったことのないもの。仕舞い込んだはずの人としての感情が、どろり、と瞬間表に顔を出す。

 今では遠く離れた場所は、それはとても光で溢れている。目を細めないと見ることすらできない、かつていた場所。

 自分が必要とされていると、証明した場所。


 ぎぃっ、と音がした。

 扉の動く音だ。

 ――あの侍女か。

 微かに鳴る衣擦れが、近付く。


 いつものように、わずかに眉尻を下げた顔をしているのだろう。

 忠言を聞かないクリストフに、内心呆れているはずだ。

 奇妙な女だとも思う。


 化け物の屋敷に仕えるなど。

 そう、正気の沙汰ではない。

 侍女は、人間なのだろうか?


 この屋敷の使用人の雇用形態からして、異常性が分かるというもの。

 だというのに、もろもろの条件すら気にせずここへと来たらしい。

 ハインツがヴィクトールからの密命で探した人員らしい。奇妙かつ縛りの多い条件で、人選は難航したと聞いている。クリストフが不要と言った側仕えに、仕事を探しにこの国へ来ていた下級貴族の娘が自分から声をかけてきたと聞いている。


 当人曰く、シェフルドの貧乏男爵家の一人娘――とのこと。

 ここに来るのだから、ハインツの身元の調査は問題なかったのだろう。だがしかし、少し妙な気も出てくる。いかに貧乏といえども、そこは貴族。婚姻ではなく出稼ぎに他国へ来るのはおかしな話だ。爵位を見ても高望みさえしなければ、そこそこの家に嫁げたはず。

 話し振りから彼女は自分の立ち位置を理解しているようにも見えたそうだし、借財がある話もハインツが調べた限りないらしい。


 だとすると、第二王子の表向きの噂を聞きつけてきたのだろうか? あの王子は好色であるという、公然の秘密。それに隠されたえげつない真実を彼女は知っているのだろうか。

 人の容姿に優劣をつける気はないが、侍女は美貌の持ち主だろう。気の強そうな目元が人目を引く。第二王子が今まで手篭めにしてきた令嬢達とはまた違う部類のはず。たまには毛色の違う女もいいか――そう思って手を出してくるのを待っていたのだろうか。


 否――。既に彼女はお手付き(・・・・)だ。城に報告へ上がった時に手を出されたらしい。相変わらず節操の無い男だ。だが珍しく加虐のない寵愛を与えておきながら、第二王子は彼女を自分の宮に引き連れていかない。

 いったいあの王子は何を考えているのか。ヴィクトールの命で就いた侍女に手を出すとは。


 何も考えていないのか。時折思う、あの王子の表情(かお)を、罪悪感という言葉すら持っていなそうな無邪気な笑み。

 それを利用する者がいるのもまた事実で。城はまさに伏魔殿。気を抜けばどこかから放たれる殺意。その中を歩く人間はまさに腹に一物抱えているのが当たり前。第二王子は、さぞや使いやすい(・・・・・)のだろう。

 影がすう、と隣に並ぶ。



「ご主人様。オストヴァルト侯爵家嫡男、ハインツ様が面会を希望しております」



 手当ての道具箱を持った侍女が、手馴れた様子で箱を開く。



「いかが致しますか?」



 ――二つの意味を持つ問い、なのだろう。

 会わないのなら手当てはしない、会うのならば……ハインツのためにも最低限言い訳を繕うべきなのだろう。



「……用意(・・)を」



 見目が美しい侍女は手早く首の傷口を拭う。一般的な貴族令嬢が、傷口の手当てに抵抗が無いと言うのも、この侍女の謎を深める。第二王子に近付くのなら宮に入らねば意味がないはずなのに。

 白地の布が、細い首に巻かれる。

 クリストフは侍女の手を止めて、応接間の準備を促した。


 あまり時間がかかれば、またハインツが扉を蹴り飛ばして屋敷内を走る。

 肩を怒らせ、青色吐息な姿でクリストフに怒鳴ることだろう。

 荒事が嫌いで、運動が好きではないくせに。ものの見事に研究者資質の持ち主は、この屋敷に来るとかなりの頻度で声を荒げる。


 クリストフは鋏を持つと、今度は素直に包帯を切った。

 凶器になりえる可能性のあるものは屋敷に置かなければいい――そう言ったのはハインツだ。複数回の自傷行為にかなり頭に来ていたらしい、叫ぶように怒鳴ったのをクリストフは覚えている。


 命を粗末にするな、戻る方法を諦めるな――何度も何度も言っていた。

 ――前を見ることが出来るのは、それはとてもいいことだ。

 クリストフは内心で嗤った、そのことに気付かれてはいないはずだ。


 友人たちと同じ時間を生きている、けれどその進みは違う。

 自分が来る前から屋敷の時間はひどくゆっくりと進んでいた。緩やかに、凪のように穏やかに、朽ち果てていくのを待っていたのだろう。

 使い込んだ鋏を箱へと戻す。時の中で終焉を迎えるはずの屋敷は、その姿を延命させられた。新たな家具が運び込まれ、人が行き交う。


 人間がいなくなると、途端、建物は痛み出すのだ。

 果てるのを待っていた屋敷は、さぞや迷惑をしているのだろうな。

 どこから出ているのか分からない息を、ふっと吐くと、いつもの応接間へ向かう。

 静かに扉を開けると、見知った顔がこちらを見上げる。



「クリストフ……ああ、うん。無事なようでよかった」



 応接間の、指定席となっているソファーに腰掛けたハインツが声をかける。



「残念ながら、今回も死ねませんでした」



 ハインツが顔を顰めた。

 視線の先はクリストフの首筋だ。



「今度は刺殺か?」



 微かに怒気を含んだ声。自然とクリストフの腰が引ける。



「ええ。よくある方法でしょう」

「そうだな。一般的な凶器ではある」



 ハインツは乱雑に灰銀髪を掻くと、クリストフを席につくように促す。

 毎回のことではあるが、どちらがホストか分からなくなってくる。ハインツの方が家格のこともあって、こういった所作を自然とやってのけるのだから仕方がない。


 そう、三人揃うと纏めていたのはハインツだった。

 王族のヴィクトールは立ち位置が違うし、クリストフは下位に位置する貴族。

 形ばかりの伯爵とは違う。クリストフは自嘲する。


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