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■03・故に異形は死を求む

 


 呆れながら、クリストフは手紙をしまった。

 朝から何度読んでも思う。この期に及んで、友人は気でもおかしくなったのだろうか、と。この身体になってから、まともな生を歩むことなど不可能だというのに。そんな分かりきっていることに、どうして今更――。


 百人に聞けば、百人が答えるはずだ。無理だ、と。クリストフですらそう答えるだろう。だから友人たちならば大丈夫だと、解っていると思っていたのに。

 それなのに何故、今になって、縁談の話を持ってくるのだろうか。相手が気に入らないといった次元の問題ではないのだ、この姿だ。この有様になって以来、極力人との接触を避けているというのに……。

 屋敷を王都の外れへと構え、家族とすら縁を切ったも同然の、自分に持ってくる話ではないだろうに。


 ――何故、静かに死なせてはくれないのか。


 手のひらで弄ぶようにペーパーナイフを上へと放り、落るそれを受け止める。

 それから続いた動作は、当たり前のように自然な動きだった。

 ほんの少し前は手紙を開けるために使ったそれで……クリストフは己の首を掻き切った。


 常のナイフと違うそれは、少し深い切り傷を作るだけに留まる。

 たらりと、流れる赤い色は間違いなく自分の血の色で。

 この身体になっても尚、変わらない部分があることに皮肉に嗤った。


 ……いったい何を考えているのだろうか、あの友人たちは。

 手紙は人並みの幸せ云々等とつらつらと述べているが、果たして本心はそれか?


 クリストフの頭の中に浮かぶのは、悪巧みをしている時のヴィクトールの顔だ。いや、悪巧みは言葉が悪いか。少なくとも、クリストフ自身のための縁談ではないのだろう。裏にあるのは政治的な問題だろうか。それとも、第二王子の捨てた人間(おんな)の後始末場所だろうか……。


 ――どちらにしろ、もう少し考えてやれよ。


 他人事のようになってしまうが、思わず心の中で毒づく。ここまでくると、政治にしろ後始末にしろ、何も知らずに嫁がされるであろう令嬢が哀れになってくる。街中からは外れ、屋敷に近いのは広がる森。

 住み込みの使用人は何故かメイドではなく侍女一人。後はすべて通いの者たち。その使用人たちは、王家選定者立会いのもと、口外不可の書類にサインをしている。そして遠巻きな監視つきの生活。

 ……まあ、普通に逃げるよな。


 恐らくこれは自分だけではなく、一般的な結論になるだろうとクリストフは思う。

 ぼんやりと、カーテンの向こう、ガラス窓の外を見やる。今頃無言の監視者たちは、クリストフの自傷行為に頭を抱えていることだろう。

 朝な夕な、晴れの日も雨の日も……ご苦労なことである。


 死にたくば放って置けばよい。それが彼らの流儀のはずだろうに。

 骨と皮ばかりの指に、不釣合いに長く尖った爪先で血を拭う。

 近衛兵という立場上、緩やかな終焉を願ったことはなかった。


 まさか先々、それを進んで求めることになるとは皮肉なことこの上ない。

 この身体の異常性に気が付いたとき、自分でも気付かないうちに叫んでいた。


 醜く足掻くにしろ、潔く散るにしろ――己の命も含めた後始末、それら全てが無駄だと悟るまで――家族にかけた負担は計り知れない。腫れ物といった話ではないのだ。

 哀れみとも侮蔑とも違う視線、あれは困惑と悲しみ――それと血を分けた肉親に起きた不条理への怒りがない交ぜになった瞳。それらはクリストフの心に強く印象に残っている。自分の代わりに憤る家族の態度に救われたところはある。


 始終無言だった父が、王家へ抗議に行っていたのが驚きだった。

 生きていると先がどう転ぶかわからない、とはよく言ったものだ。

 クリストフは常に命を懸けた仕事に就いていた。その自負もあった。兵士として国に仕え、そして近衛兵としてヴィクトールに仕えた。


 王太子の命を狙うものは数知れず、時として兵士の花形とも言える近衛に対し羨望以上の嫉妬も――行動として向けられ退けてきた。

 ――まさか、まさかこんな形で去ることになるとは……。

 クリストフは己の頬に触れた。そこにあるのは冷たく硬い、ザラついた骨の感触。


 数年前の蒸し暑い夏の日、クリストフは魔法と呼ばれるであろう現象に触れた。魔法の存在しないこの世界で、恐らく唯一無二の物だったのかも知れない。

 しかしそれは夢物語のようなものではなかった。誰も彼もが憧れたものは、性質(たち)の悪い呪いのような魔法。クリストフの耳に、絶叫が響いた気がした。


 夢であったらどれだけよかっただろうか。温かさのない身体、痩せ細ったを通り過ぎ骨と皮ばかりの身体。あばら骨に触ることのできる腹と、土気色の肌は少し前に本で見た木乃伊(ミイラ)のようである。これはまだいい、最大限に服を着ていれば隠すことができるのだから。

 だが頭はどうにもならない。隠そうにも形からして変わってしまったのだから。人の頭蓋骨ではないそれは、獣の頭のような骨。ぽっかりとあいた両目の空洞に光が灯る、くすんだ白い骨。


 その時は気付かなかったが、落ち着いた頃になってどうやって視力を得ているのかと疑問が湧いた。恐る恐るその窪んだ穴に指を入れたが、何にも当たらなかった。

 獣の骨の中身――その中はぽっかりと開き、暗闇が詰まっている。


 中身はがらんどうであるというのに、クリストフはこうして物を考えることもできるし外を見ることもできる。だから日がな一日、どうやれば死ねるのかと、無駄な足掻きを繰り返す。人の身体ではなくなり、ミイラのお仲間とやらなのだから自死ができないのも当然、とでも言うべきか。


 ハインツの苦虫を噛み潰したような顔が思い浮かぶ。かの友人は、タイミングがいいのかクリストフが自殺を試している最中によく来る。

 ……まだ、人の形をしていないほうが気が楽だろうか? ハインツは人の死を見るのが嫌いな男だ。侯爵家の生まれながら、人の生き死にことさら敏感だ。もしこれが元の姿のままで、そしてクリストフが自殺を決行していたら――ハインツは気絶をしているかもしれないし、トラウマの一つでもできていそうな気もする。だからといって、自分が自死を試さない理由にはならないのだが。


 クリストフは人と接触するのを避けてから、夜、ふらりと出歩くことが増えた。

 その結果――街外れの屋敷には化け物が住んでいると噂が出た。


 より一層人が近付かなくなったのは好都合だった。この屋敷を持っていた貴族は、汚職が発覚し処刑されている。もともと曰くのあった屋敷なのだ。愛人を囲っていただの、噂が絶えなかった屋敷は、いつしか殺された愛人の霊が自分を殺した貴族を探して夜な夜な徘徊していると囁かれていた。


 その噂が屋敷の外へ出てきたと騒がれても、今更といったところか。

 夜の闇と同じ色のコートで全身を包み、以前ならば何を躊躇うこともなかった街へと、そっと静かにクリストフは足を進めた。初めのうちは、外へ出ることすら躊躇した。足を出しては引いて、また出す。それを何度も繰り返した。自分の異常性には気が付いている。だからこそ怖かった。人と違うこの姿で、人であったかつての自分と同じ行動をすることに。


 自分はまだ、人として、人の感覚を持って行動してもいいのだろうかと。


 化け物なのだ。

 醜く変わった容姿。

 悲鳴を上げ逃げた人間。

 闇色のコートの中の暗闇。

 夜に歩く人ではない何者か。

 驚愕の表情の次に出るのは恐怖。

 バケモノが出たと叫び走る後ろ姿。


 叫ばれた言葉に、クリストフは肩を落とすよりも姿を見られたことに怯えた。

 人は、人とは違う何かを恐れる。

 目に見えるものだけではないが、その恐れは見えるものほど、おぞましい姿形であれば尚のこと、強烈に人の記憶に、それこそ落ちない染みのように残る。


 クリストフが慎重に、一歩外へと踏み出した先に待っていたものは、目を背けたかった現実だった。

 そうしてクリストフが選んだ結果は、人としての感覚をしまうことだった。

 その感覚を手放すことは、クリストフには何故かとてつもなく恐ろしいことだった。だから仕舞った。大事に、胸の奥底に。もしかしたら、万に一つでも、再び必要になることが起きるかもしれないからと言い訳をつけて。


 否、姿形が変わっても、人である事を辞めたくなかった自身の願いなのだろう。

 か細く、叶うことのない願い。

 そうして仕舞いこんだ翌日、クリストフは屋敷にあったすべての鏡を割った。驚く侍女に、化け物に鏡は必要ないと言い放ち。


 あたりに八つ当たりをしようが、憤り悲しもうが元に戻ることはないのだ。もとより兵士、それも近衛兵だった。己の感情を抑えるための(すべ)は、クリストフの骨身に染みていた。だから飲み込むように抑え込んだ。

 そこまでやって、ようやく外へ出ることへの抵抗感が減った。あの、人の目には美しく見えるであろう侍女に見送られ、屋敷から、闇夜の世界にするりと溶け込めた。

 するとどうだろう――まるで誰も気が付かない。


 街は闇の世界だった。

 ところどころを明るく照らす街灯が並ぶ道。

 その下を歩く家路へと向かう者。

 花街の関係者らしき姿。

 警邏の兵士が道端で酒瓶を抱えて眠る男に声をかけていた。


 ――憲兵。


 かつて自分がいた場所。

 初めて兵士を目指したとき、最初に就いた部署。

 戦場上がりでもない限り、貴族も平民も、まずはそこだった。


 ――ああ、懐かしいな。


 教会の屋根の上に腰かけ、クリストフはぼんやりと街の中央通りを眺めた。たまに見る城付きの警備兵。そして祭典の時、王族の護衛に就く近衛兵。腰に下げた剣の、柄から流れる房飾りに憧れた。いつか自分もと、思いながら訓練に打ち込む。


 あの房飾りのついた剣を受け取った日は、忘れたくても忘れられない。

 近衛兵となった日、ヴィクトールから渡された剣。

 緊張した面持ちで受け取った剣の重さと、かけられた言葉に。自室に戻ってからクリストフは、一人静かに泣いた。貴族男子たるもの、迂闊に泣くものではないと教えられてきてはいた。それでも、あまりの嬉しさに泣いた。


 今でもはっきりと覚えている。切っても切ってもすぐ伸びる長い爪で、レンガ屋根を引っかいてみる。

 耳障りな音、表面にうっすらと線が引かれた。

 教会の屋根を傷つけてしまったが、この場所なら誰も見ることはないだろう。

 ただの人間が、道具も用いず来ることがまずできないこの場所に。


 自分だけが知る印に、ほんの少し笑う。

 きっと表情に何の変化も起きていないのだろう。それでもクリストフはその時、確かに笑った。

 おかしかったのか、楽しかったのか、皮肉なのか、それとも自棄になっていたのか。心境としての笑みか、はたまた表情という物理的な笑みだったのかはついぞ解らない。ほんのわずかに出た声は、闇に消えていた。


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